【留まる淡紫】
花と光源の海の中、ルシアンの瞳はぐるりと辺りを見回していた。
ただ景色を見ているわけではない、どこか魔力の流れを読むかのような視線。
気づいて、ガルドも同じように周囲を見回す。
こちらは魔力など読めない、野性の勘と経験則だ。
崩落に巻き込まれ、行方不明の子ども。
おおよそ二十メートルにも及ぶ、地上からの高さ。その崩落に巻き込まれたにもかかわらず生命反応があるということは、崩落地点の中央付近にいたのではなく、壁際を滑り落ちていったか。
やがてルシアンが、地底から少し上の岩肌に光の届かない暗闇を見つけた。
注視していなければ見落としそうな、小さな亀裂だ。
「ガルド、あそこ」
その壁を指で示したルシアンに小さく頷きを返し、すぐさまガルドが岩肌の突起に足をかけた。
地底から五メートルほどにある、ほんの少しの足場と、狭い亀裂。
狭い段差に肘をかけて覗き込めば、自力でここまで逃げ込んだのか、奥の方で……恐らく気を失っているのであろう子ども。
――ガルドの巨躯では入れなかった。
段差を一気に飛び降りてきて、そのままルシアンのもとへ戻る。
「いた。穴の奥にガキ。俺は入れねぇ」
「そう……私なら入れそうかい?」
「ああ」
言うや否や、がしりとガルドがルシアンの胴に腕を回し、肩にその身を抱え上げた。
「――わっ、ぁ!」
咄嗟のことに、びくりと細い身体が跳ねる。
それを落とさないようにしっかりと腰を抱えて、またもガルドは岩肌に足をかけ、足元を確認しながら登り始めた。
「……暴れんな、落ちる」
「っ……」
低く抑えた声の中に、どこか滲む焦燥。
それでも腕の力は揺るぎなく、ルシアンの身体を確実に支えていた。
――岩肌に当たる足音。
光源となっていた光の玉は、役目を終えて一つ、また一つと消えていく。
砂礫や崩れた礫がぱらぱらと落ちるたび、眼下の地底湖がきらりと光を反射する。そのぼんやりとした銀青の光が、ふたりの影を岩壁に長く伸ばしていた。
やがて、その小さな亀裂の前へたどり着けば、ガルドはルシアンの身体を支えたまま、小さく声を落とした。
「……おい、どうだ、這ってなら行けそうか」
「ん……うん、大丈夫……」
首だけで振り返ったルシアンが、亀裂を見て軽く頷く。それを確認して、ガルドは静かに腕を緩めた。
「ぅし……気ィつけろ」
それだけを言ってわずかな足場に膝をつき、崖際の段差にルシアンを慎重に下ろす。
細い岩場に手をついたルシアンも、そのまま這うように身を低くし――しばらくして、亀裂へと潜っていった。
一つ浮かせた光源の玉を亀裂の奥へと滑らせ、慎重すぎるほどにゆっくりと、奥深くへと進んで行く。
(……、……?)
やけに慎重だな、とガルドがそれを見送っていたが、ほどなくしてルシアンが子どもを抱え込んで亀裂から出てきた。
くったりと力を失った小さな身体を、ガルドが受け取る。遥か地上のほうで、これを見守っていた救助隊の歓声が聞こえた。
「……衰弱して、気を失っているみたいだね。怪我はしてたけど、治しておいたよ」
亀裂から半分身を乗り出したまま、ルシアンがガルドに抱えられた子どもの額をなでた。
そうして、ひとつ、口を開く。
「私は少ししてから行く。自力で上がれるから、先に上に連れて行ってあげて」
弱く笑うようなその顔に――ぴくり、とガルドが険しい顔をした。
「……なんだ、どっか怪我したか」
問う声は低く、あからさまに眉をしかめている。怪我か、魔力を消費しすぎたか。だが顔色はどこも悪くはない。
「大丈夫だよ、すぐ行くから」
「……そっかよ」
短く鼻を鳴らすと、ガルドは子どもを腕に抱え、もう一度だけルシアンを見下ろした。
その銀の瞳に、ほんのわずかでも陰が差していないか、確かめるように。
――だが、そこにあったのは、いつもの柔和な笑み。光源の玉に照らされた頬が、ふわりと揺れる。
「……大丈夫なんだな」
「うん、すぐ行くよ」
「……来いよ」
ぼそりとひとつ念を押してから、ガルドが岩肌を蹴った。子どもを胸に庇いながら、花の海へと飛び降りる影。
よろめきもなく着地し、そのまま上層へ延びるロープのほうへ。
星花が、その影を照らしていた。
地上の崖際からは、歓喜にも似た声が上がっていた。
崖に手をかけたガルドがその姿を現した瞬間、毛布や担架を持った数人が駆け寄ってくる。
「ガルドさん!」
「ああ、生きてる!!」
「よかった、無事だ!」
声が重なり、手が伸びる。
力の抜けた子どもが引き渡され、数人が付き添いながら野外の救護テントへと駆けていく。
そちらを一瞥だけして、ガルドは再び背後を振り返った。
――来ると言った。ならば、待つ。
苦々しく地底を見下ろしながら、ガルドは静かに立っていた。
一つ、また一つ、光の玉が消えていく。
静かになった地底の裂け目に、また暗闇が戻ってくる。
その中で、亀裂に片膝をかけたままのルシアンが、ゆっくりと天井を仰いでいた。
腹に手を当て、しばしの呼吸。やがて、細い手が岩肌を掴んだ。
再び地底へ降り、落ち着いた足取りでロープのほうへ。
グラスホッグの残骸の中を、そちらに目をやることもなく静かに歩く。
そうして崖際で見上げれば、遥か上方でこちらを見下ろす大きな影と――恐らく目が合った。
……頷き、ロープに手をかける。
あんなにも離れた場所にいて、まるですぐ後ろで守られているかのようだ。
ルシアンは脚に力を込め、静かに己の体を引き上げていった。
――【留まる淡紫】




