【グラスホッグ】
半透明で、青白く、不規則にともる小さな花――星花は、床一面が光の粒で覆われているかのようだった。
静かな星空のように揺らぐそれは、魔力を浴びて咲く性質があるようで……恐らくここが、魔力が流れる地脈の支流だということが伺えた。
その中を歩けば、花が刺激を受けて、ふわりと輝く。特に、魔力を伴ったルシアンの足元の反応が著しく。
すぐそばの地底湖も、地熱と鉱物の成分により、水面が淡い銀青色に発光。
――絶景であった。
一拍、心を奪われたが、ルシアンはすぐにガルドに向き直った。
はるか上空、崖の上では、団員とギルドの救助隊の面々が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
周囲を警戒するガルドの隣に、並び立つ。
「ガルド、こうして光を灯しているのに、なにも魔獣が寄ってこない。地底というこの地の性質上、視覚に頼らない魔獣なのだろうか」
「……ありうるな。地底にいるとなりゃあ、……グラスホッグか、アヴィネークか……」
ガルドが口にしたのは、皮膚が半透明のモグラ型の魔獣と、毒性を持つヘビのような魔獣だった。どちらにしろ、子どもが襲われればひとたまりもない。
アヴィネークは一噛みで全身に猛毒が回るし、グラスホッグはこの花畑に紛れ込まれたら、すぐそばにいても光の屈折で見えにくくなりそうだった。
すこしだけ思案したのちに、ルシアンが視線だけをガルドへ向けた。
「私、感知魔法使おうか?」
「……ああ?」
「魔獣と、子どもの位置がわかると思うよ。けど欠点もある」
涼しげに淡々と放つ言葉は、まるですべてを俯瞰から見ているようで。
「……言え」
「もし魔獣が魔力に反応するタイプだったら、襲い掛かってくるかもね」
「…………チッ」
ガルドが小さく舌打ちをしたあと、無言で辺りを睨む。――地底の静けさと、星花の揺らぎ。
あまりに幻想的な光景のなかで、その怒りにも似た思考の回転だけが、異質に廻る。
「おい」
低く、ルシアンを呼ぶ。
「そうなりゃ、魔獣が向かっていくのはお前だ。感知はなしだ」
赤い瞳が、静かに見据えてくる。決して、魔術師の力を疑っているのではない。
だが、感知という“餌”を晒し、囮となる行為に、彼がどれほどの実力と、覚悟を持っているのか――、まだ、測れなかった。
背の大剣の柄に手をかけながら、さらに言う。
「……俺に護衛させるってんなら、命令は……聞いてもらう。下がれ、って言ったら従え。いいな」
「……うん、わかった」
静かな笑みが、星花に照らされる。
それを確認したのを最後に、ガルドが大剣を少し引き抜き、そのまま保持する。
――静寂。
子どもの声はおろか、魔獣の息遣いも聞こえない。
けれども、どちらも、どこかにいる。
「……影のほう、照らすね、ガルド」
「……ああ」
ルシアンの指先の動きに合わせて、光源の玉が宙を滑った。
花畑の上を漂い、わずかに地底を照らしたその瞬間――星花の中から、見えない何かが飛び上がる。
「――おや」
――バチンッ!と破裂するような音を立てて、ルシアンに振りかぶっていた爪が、銀色の眼前で大きく弾けた。
瞬時にガルドが振り返る。
ルシアンの身体の前に、――ほんの一瞬、光の壁が見える。防御魔法を、盾のように生成したようだった。
次の瞬間にはもう、ガルドの巨躯が壁のようにルシアンの前に立ちはだかっていた。
自分をかばうように伸ばされた腕に、ルシアンのしなやかな手が軽く触れる。――防御の膜を、その背に預ける。
びく、とガルドの肩が震えて、肩越しに一度だけルシアンを見た。
「どうぞ、楽しんで?」
赤い瞳ににこりと微笑みを返し、――ルシアンが両手を、左右に広げた。
現れたのは、半透明の魔獣、グラスホッグ。
姿の見えない敵。なるほど、面白い、と。
――周囲に、光源の玉が、無数に咲いた。
数十ではない、百以上、数百個かもしれなかった。
その玉は、高く地上付近まで高く咲き誇る。
地底が昼日中のように明るくなる。どこにも影がないほどに。
そしてそのうち地面近くのものが、数十個、一斉に星花の上に落ちた。
魔力の塊、それに反応する星花の輝き。
どんなにうまく隠れようが、たとえ半透明だろうが。
光の玉がその身に降れば、かすかに玉の挙動が変わる。
地に落ちた玉。花に当たった玉。――”宙で止まった”玉。
「全部で八体だよ、ガルド」
「上等だ」
赤い瞳がぎらりと閃き、大剣が一気に抜き払われる。星花の光を浴び、刃が鈍く黒銀に反射した。
――ガンッ――!
最も近くに潜んでいた一体が、叩きつけるような一撃で地面へ伏せられる。
岩盤を割るような轟音と共に、半透明の肉体が砕け散った。
「一体」
ガルドが呟き、即座に身を翻す。
光の下、逃げ場を失った魔獣たちが、ざわめくように花畑を駆け抜ける。
隠れることをやめれば、それはもう気配の塊で――、ガルドにももう、手に取るように分かった。
二体目の突進を、肩で受け流すように押し返し、その勢いのまま剣を振り抜く。
赤い軌跡と共に、花弁が宙を舞った。
「二」
背後、影が伸びる。
ルシアンが笑みを浮かべて片手を上げると、その影の動線にぴたりと光の玉が降りた。
眩い閃光に怯んだグラスホッグを、ガルドが背後から一閃。
「三体」
地底に、星花と光の玉、銀青の水面の反射が乱れ咲く。
その全てが、戦士と魔術師のための舞台のように輝いていた。
――残り、五体。
花畑の奥で、半透明の群れが牙を剥き、唸り声を上げる。
ガルドは大剣を肩に担ぎ、血の気を帯びた赤い目で正面を睨んだ。
その背に、柔和な銀の光が重なる。
「……まとめて来いよ。潰してやる」
ガルドの全身から滲む魔獣への殺意に、光に覆われたあちこちで、グラスホッグの爪がこすれる音がした。
足を踏み出す。花が揺れる。眼光が、風を裂いた。
身体ごと振り抜いた蹴りで、四体目の胴体を地面にめり込ませる。
そのまま大剣を薙ぎ払い、五体目・六体目に向かって、刀身を回転させて叩きつけた。肉を裂く音が空洞に響く。
花の光が波のように揺れる中、ルシアンの側に二体が回り込んでいた。
突進してくる影が、光に照らされて浮かび上がる。
だが、ルシアンの瞳に動揺はない。
手のひらがふわりと振るわれ、先ほどの壁のような防御魔法が、二体のグラスホッグを押さえつけている。
――“押さえる”。
それだけに徹した、最小限の魔力の奔流。
衝突音が何度か響く。
突進するグラスホッグの体が、まるで空気に押し返されるように弾かれていく。
微笑のままに、一歩も引かぬ淡紫の影。その足元で、星花たちがふわりとまた光る。
魔力の気配に呼応して、まるでルシアンその人が花の中心に咲いているようで。
しかし、まごうことなき、囮であった。
ガルドの耳が、わずかに揺れる空気を捉えていた。
――背後の音。突進の気配。二体、流れたか。
「……くそモグラども――」
振り向かず、振り抜く。
大剣ではなく、拳だ。
ルシアンへとさらに回り込もうとした一体の横面を、拳が潰した。
半透明の顎が裂け、星花の上に鈍く転がる。
「七」
ガルドが、大剣を掲げ、剣の腹で打ち付ける。その質量を以てして、押しつぶすように。
花畑の中心で、鈍い肉音と共に、地面が揺れた。
「八、だ」
――空気が、静まった。
地底が、再び息を潜める。
ルシアンの元に歩み寄るガルドは、わざとらしく肩を鳴らす。
そして、鋭い赤の目で、微笑を見下ろした。
「……楽しんだかよ、魔術師」
「うん、とっても」
ふふ、と笑うルシアンと、がさりと髪をかきあげる、ガルド。
足元の小さな花々が、ふたりの影を揺らしていた。
――【グラスホッグ】




