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ルシアンの物見遊山【つづきはIIへ】  作者: フジイさんち
星花の盆地

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【無哭を振り向かせるために】


まずはEランクへの昇級の話題から――そこで如何に、引き留めるか。


やけに丁寧に昇級の書類を支度しつつ、上級書記官が受付カウンターへ向かう。ギルドホールに視線を向ければ、出入りの大扉近くの待合スペースに腕を組む無哭がいた。

そして、その傍らにあるソファに腰かけて待つ、淡紫の姿も。


「――っルシアンさん、すみません、お待たせいたしました!」


ひっくり返りそうになる喉を堪えつつ上級書記官が声を張れば――にこり、と柔和な笑みを以てして、ルシアンが立ち上がった。

周囲のざわめきと息を呑む気配の中、ふたりの影が緩やかにカウンターへと近づいてくる。


(や、やっぱり無哭も一緒に行動してる……!!)


ひとつ足音が響くたび、緊張に胃を押さえる。

ちら、と会議室のある廊下のほうを見やるが――まだ増援の気配はない。


「おはようございます」


そんな穏やかな声とともに、銀の瞳がふわりと柔和に笑んだ。

やわく上がった口角と細められた眼差し、傾げられた首の角度まで完璧で、上級書記官が思わず息を止める。


――考えが、甘かった。


ただの挨拶ひとつで、そう思ってしまった。


隙が無い。まったくもって、付け入る隙が。

無哭が剣なら、こちらは砦だ。すべてを受け入れるような笑みではなく、すべてを俯瞰から見るような笑み。必要のないものは、一切寄せ付けるつもりのないような。

無哭がダメならこっちに頼もうなど無謀だったのでは――とすら思えてくる。


その一歩後ろでは、赤い目の男が腕を組んで立つ。……もはや誰に何を言われずとも、その視線を直視できなかった。


「……っ、Eランクへの昇級、おめでとうございます。お手続き、こちらの書類を読んでいただき、各事項にご記入をお願いいたします……」

「はい」


上級書記官が差し出した用紙には、確認事項が数か所と、簡素な祝辞の文面。それと新しいカードの受領欄。

ペンを取るルシアンの手元を、ガルドの赤い視線が追う。


「……お名前の欄はこちらになります。……っ、ありがとうございます」


進んでいく手続きの最中、いつの間にか準備を整えた増援の職員たちが、カウンターの陰で静かに資料を握りしめていた。



「見てる……!」

「無哭めっちゃ魔術師の動向見てるぞ……!?」



極限まで潜められた悲鳴に、各々の喉が何度も鳴る。

だが、ここまで来たらもう引くわけにはいかない。


書類の横に静かにペンを置いたルシアンに、上級書記官がランクを更新したギルドカードを差し出した。


「い、以上で昇級手続きは完了となりますッ……」

「ありがとうございます」


その受け渡しが終わった瞬間、まるで堰を切ったようにして、職員が数名なだれ込んできた。


「ル、ルシアンさん、失礼いたします!」

「お時間少々よろしいでしょうか……!」



突如として切り替わった前線に――はた、と銀の瞳が見開かれる。先ほどの上級書記官は、胃を押さえて後方へ下がっていった。


「実は、今回の昇級にあわせて、ぜひ一件……!」

「景観調査にご興味があれば、ぜひお目通しいただきたく……!」


そう言って差し出されたのは、〈星花の盆地〉と題された地図と資料の束。

――勝負の瞬間に、何故かそれを眺めていた冒険者連中も、わけもわからず息などを呑む。


「…………」

「……ほう?」


ルシアンの視線がそこに落ちるのと、――迫りくる面倒ごとの予感にガルドが額を押さえたのはほぼ同時である。

しかめられた赤い瞳が訝(いぶか)しげに職員を見るが、見ない気づかない怖気づかないをモットーに……職員は、ルシアンから目を逸らさない。


「ひ、ひとまず応接室までお越しいただけますか……!」

「あのっ、もちろんガルドさんもご一緒に!」


職員らの声は、情けないことにところどころで裏返っていた。

けれどにこりと笑ったルシアンが歩を進めてきたので、慌てたようにした職員数名が、大移動のように群れを成して動いていく。

……仏頂面のままそれに追従してきたガルドも目の端で捉えて、職員の何名かがやはり息を呑んだ気配もあった。



「こちらでございます!」

「足元に段差がございます!」

「ただいまお茶をお持ちします!」

「ええと……お気遣いなく」



そんなやり取りを経て、廊下の奥の応接室……その扉が開かれる。

ソファが二脚と机があるだけの、小綺麗な空間。なんとかぎりぎりで用意された資料の束を抱えた職員たちが順次入り、壁際に並んだ。


職員に促されるままにルシアンが応接のソファに座れば、合わせてガルドもその後ろに立つ。……ただそれだけで、空気の圧が一段重くなった気がした。


「……こ、こちらが資料となります……」


書記官の男が震える手で、ルシアンの前に資料を差し出す。



〈緊急救助依頼:星花の盆地〉



資料の一番上には、そんな文字が見えた。わずかにずらすようにして並べられた二枚目の紙には、子どもの救助依頼と詳細。

柔和な微笑を浮かべたルシアンの表情は、ぴくりとも動かなかった。


「おや、……大変ですね」

「っはい、危険地帯でして、ぜひガルドさんと……その、元あった坑道が崩落して、その下に地底が、そ、それで新しい階層が発見されまして、貴重な環境で――……」


突き刺さるような赤い視線が降り注ぐ中、あまりの緊張に、職員がしどろもどろになる。

ルシアンはそれを始終笑顔で聞いていたが、ふと資料の一か所を見て、小首を傾げた。


「地底ですか」

「え、あ、はい、地底です……!」

「真っ暗なだけで、何も見えなさそうですね」

「――……」



――職員、死。



壁際に控えていた数人が、明らかに慌てふためいた。


「っ――!?」

「あっ、いえっ、あの光はちゃんと!」

「発光するんです!!自発光、あの、星花!!星花と名付けられまして!」

「星の、花と、湖が、光って!!」


必死に取り繕う職員一同に、非常に面倒そうな顔をするガルドと、ふわりと微笑むルシアン。……とても対照的だったが、しかし。


「ガルド、子どもの救助依頼だって」


穏やかに発せられたそれは、まっすぐに背後の護衛へ。……言外の"行ってみたい"だった。

無哭を舞台に引き上げた魔術師に、職員一同、心の中でガッツポーズ――だが、身体は膝から崩れ落ちそうだった。




――ひとつため息をついて、ガルドの赤い瞳が鈍く光る。

じとりとルシアンを見て、しばし沈黙。……その後、低く押し殺すような舌打ちが落ちた。重い巨躯が、腕を組み直す。

だが拒否の構えではない。――それを誰よりも、ルシアンの微笑みが語っていた。


「……ガルドさん、ルシアンさん、お願いしてもいいでしょうかっ……!」

「い、依頼書は現在作成中で……!」

「とりあえず!星花の光景資料、こちらになります!」


職員たちが我先にと、星花の盆地に関する資料や図面、環境報告書を机に並べ始める。

その中には、銀色に発光する花弁や湖面に反射する星光の様子を描いた簡易的な素描も。


「こちらが盆地の地形図でして、発見されたのは崩落後の――」

「自発光の花が、地底湖の水面に映って……」

「お子さんの最後の目撃情報がこちらで……」


――場が熱を持ち始める一方で、ガルドは無言のままに腕を組み、壁にもたれて動かない。

ルシアンだけが、銀の瞳で一つ一つの資料を、微笑みながら静かに眺めていた。


その姿に、職員たちの期待がもう一段高まる。

あとは――どちらかから一言、「行く」と確定の言葉を引き出せれば……それだけで、"無哭"が動く。


職員数名が、祈るように手を組んだ。




そうしてしばらく黙ったまま机に目を落としていたルシアンだったが、やがて数ある資料の中から、一枚だけを手に取った。

静かにそれを、ガルドへ手渡す。


子どもが崩落に巻き込まれた際の状況報告書。最終目撃地点。

そのたった一枚だけを手渡してきた雇用主に……ガルドが、鋭くため息をつく。


――初めから、見捨てるつもりもなかった。



「……、ガキは……複数か?どれくらい奥だ。魔獣は?」


矢継ぎ早の言葉とともに、ずい、と一歩前に出たガルドに、職員たちが慌てて顔を見合わせた。


「ッはい!十歳の子どもが一人、採掘団と共に行動していたようで……崩落後、消息不明に……!」

「崩落も広範囲で深く、ギルドの調査員による一晩の捜索では発見に至りませんでした!」

「……魔獣も、複数の目撃例がありまして……!」


ガルドが唸るようにして、低く息を吐く。その傍らでも、ルシアンは静かに微笑んでいた。

差し込む朝の光に、淡紫の髪がふわりと照らされる。


「……あの」


――沈黙の中で、一人の調査員がおそるおそる、けれど確実に一歩を踏み出した。


「可能であれば本日中……できれば昼前に出発していただければと……」

「……、……あ?」

「急な話で申し訳ありません……でも昨夜の時点でまだ、生存反応が……!」


口元を歪める調査員に、すっ――と職員たちが、一様に頭を下げた。

その沈黙の中、銀の瞳が背後のガルドをちらりと振り返る。


――にこり。


「……っ、くそ」


低く舌打ちをして、ガルドが顎を引く。手に持っていた紙ぺらを無造作に机に放れば、その報告書は資料束の上に、ぱら、と静かに落ちた。


「……行くぞ。支度する時間くらいは寄越せ」

「ッありがとうございます!!」


前に出ていた調査員が、腰を抜かしそうになりながら、叫ぶ。


――瞬間、応接室の空気が一気に動き出した。


星花の光も、貴重な地底景観も、もうその場ではどうでもよかった。

無哭と魔術師が、確かに頷いた――それが、今の全てだ。


「現場への馬車、すぐ手配します!」

「救助要請の詳細も更新します、おい急げ――!」


応接室が、熱を帯びたままに渦を巻く。まるで命が繋がったかのような安堵と、それでも急がねばという慌ただしさ。


ルシアンの動きは変わらない。

静かな微笑を浮かべたまま、立ち上がり、軽やかにガルドの隣へと歩み寄る。


「ご準備が整い次第、街の北門へお越しください!馬車をご用意しておきますので……!」


ふたりのそばに職員が慌てて駆け寄り、深々と頭を下げる。

その声に、ルシアンは笑んで軽く頷き、ガルドは無言のまま応接室の扉へと踵を返した。


「……あ、あの、報酬などについては、また後ほど正式に……!」


――背に受けたその声に、立ち止まる足も返事もなかったが……背中がすべてを物語っていた。ただ行くと決めた男の、重く揺るがぬ意志。

そして、それがやはり魔術師の笑みによるものだったということを、誰よりも先に職員たちは理解していた。



「……い、行ってくれるってよ……」


ぽつりと誰かが呟き、ひとり、そしてまたひとりと、頷きが連鎖する。


それは誰に向けたものでもなく、地の底で助けを待つ一つの命と――それをすくいあげに行く者たちへの、静かな祈りだった。






――【無哭を振り向かせるために】

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