【勇者、書記官】
――ルシアンとガルドが西の泉での依頼を終えた翌日、まだ静かな朝。
冒険者ギルドセレス支部の会議室では、上級書記官や調査員らが、寝不足のなんとも苦い顔で額を抱えていた。
「……救助班の手配、つきませんね……」
先程まで湯気が上がっていたマグは、今はしんと静まり返っている。夜通し流し込んだコーヒーや紅茶は、すでにわずかな眠気覚ましにもならない。ぼやいた若手職員が、眉をしかめていた。
机の上には広げられた資料群は、付近で崩落した坑道の現地調査にあたったものだ。
がさり、とそれを力なく引っ掻き回しながら、上級書記官が再度資料に目をやる。
「……若手や中堅じゃ無理だ。魔力地帯で、崩落してて、魔獣も出る。しかも子どもが……」
「そもそも、子ども連れて行ってんじゃねーよって話っスけどね……」
――セレスは、いわゆる中継都市と呼ばれる街であった。
近隣の小村落や北側の採掘場、東西にそれぞれある隣街を街道でつなぐ中継点であり、物流や整備、補給そして情報の集積地となっている。
この北側の採掘場方面――街の北門から接続される山岳地帯の一箇所において、……昨日の朝、地盤が大きく陥没する崩落事故があった。
作業員から冒険者ギルドに救助の要請があったのは、昨日の夜。
――地面が大きく落下した。魔獣の気配もある。作業員と子どもが崩落に巻き込まれ、子どもだけがまだ見つかっていない――。
「作業員は自力で這い上がってきた者もいたんですが、魔獣らしきを見たという報告もあって……」
夜を通して調査に赴いていたギルド調査員が、資料群の中から現地の情報をまとめた書類を引っ張り出す。
崩落で新たに現れた"地底"には、魔力を帯びた地底湖があった。底は広く、光と水ではなく魔力と水で咲く花が群生しているのも確認できた。
「子どもは……?」
「呼びかけてみましたが応答もなく、たとえ無事だとしても返答ができない状況にあるのかと……」
坑道が既知の安全圏だと思われていた中での、崩落による新階層の発見。当然護衛の冒険者などはついておらず、採掘ギルドの傘下で行われていた採掘作業。
――想定外の地形や魔力地帯、魔獣の存在が一気に露見し、全てが後手に回っていた。
職員の間にため息が広がる中、一人がぽつりと呟いた。
「……あれっ、今……街に"無哭"いたよな?」
会議室の空気が、ひたりと静まる。手を止めた者、目を上げた者、誰もが同じ姿を思い浮かべた。
しかし――冷めきったカップの紅茶に話しかけるように、別の一人が呻くように言う。
「……いやでもさ、あの人……ほら、アレだろ」
「ああ……気に入った依頼しか受けない……」
「あとめっちゃ怖い……」
しん――と再び、場が静まり返る。
だが、件の現場では、今も子どもが取り残されている。
「……いやいや、さすがに人命がかかってれば……い、依頼書読んでくれれば……ワンチャン」
「あっ、でもあの、なんか仲間……?いませんでした……?確か、ルシアンさんとかいう魔術師」
その名が出た瞬間、別の職員が眉をひそめた。
「……ああ、銀の瞳の……」
「そう、なんか貴族っぽい……商人かな……」
「そんなんどうでもいいだろ!」
逸れかけた話題に、職員の一人が耐え切れずに立ち上がる。椅子の足が床を滑る音が響いて、眠気に流されそうになっていた面々が意識をハッとさせた。
「……魔獣地帯に子どもだぞ、時間ねぇだろ。ひとまず、書類まとめて依頼書」
わずかな緊張が走ったまま、会議室に静寂が戻る。
無哭に受けてもらえるかどうかは二の次、――今は動かなければ。
次の瞬間、会議室の扉が控えめに叩かれ、顔を出したのは朝の受付業務に当たっていた職員だった。
「上級書記官、無哭の仲間がランクアップの手続きに来てるんで、対応願います」
「…………」
――沈黙。
入室してきた職員が、会議室の空気に首を傾げた。
「……え、無哭は……?」
「あ、はい……無哭もいたっスよ」
「…………」
ということは、これはチャンスか……?――そうは思ったが数秒後、全員がかぶりを振った。
「い、いや誰が行くんだよ!また"俺に言ってんのか"って睨まれるじゃんか!」
「俺なんて昔、書類出しただけで睨まれたからな!?目がやべーんだよあの人!」
「いや目がっていうか、命刈り取られる気がすんだよな……」
皆それぞれ、過去に"無哭"に睨まれた覚えがあるようで――けれどパニックに陥りながらも、書類をまとめる手元はぶれない。
「……あ、あのさ……」
ふと、血走った目で依頼書を書き綴っていた書記官が手を止め……そろりと顔を上げた。
「……魔術師……ルシアンさん?……のほうにお願いすれば、無哭を連れてってもらえないか……?」
「…………」
――再び、沈黙。……いや、それだ……!
停滞していた会議室に、一筋の光明が差し込んだ気がした。
わっ、と皆、席を立つ。
「あっ、ある!あるぞ!あっちは常識人っぽかった!」
「で、でも"あの人"、今日Eランクに昇級ですよ!危険な現場には……!」
「大丈夫だろ、無哭がいれば!」
バサバサと資料が舞う。
会議室の職員たちが一歩前進したあたりで、先ほど入室してきた男性職員が、また一言。
「……そういえば、さっきその人に"美しい景色を知りませんか"って聞かれましたけど……」
「――は……?」
今度は、――びたっ、と会議室の全ての動きが止まった。
受付職員が、顎に手を当てながら首をひねる。
「なんか綺麗な景色探してるんっスって。無哭もなんも言わなかったから、そういう旅なんでしょうね、あのふたり」
――なん、ですと――、である。
そんな旅の目的、聞いたこともない。
まして、それにAランク冒険者を連れまわすなんて。
いやしかし、当の無哭本人がそうして隣にいるのであれば、きっと了承の上で、いや違う、それどころではない。
……それどころではない!
「どっ、ど、どうします」
「そっ、花だ、底にある花って光る花って書いてなかったか!」
「あ、あと地底湖の自発光!うんんん……っ地底に差す光とか!」
「――あの、だからその魔術師、向こうで昇級手続き待ってますよ?」
わかってる!!と、どこからか鋭い声が飛ぶ。
依頼書は最悪後回しでいい。今は、情緒に訴えかけるような資料が必要だった。
やがて上級書記官の一人が立ち上がり――、
「おっ、俺、昇級手続きしながら、あ、あ、足止めしてくるわ!」
――など、さながら勇者のように肩を震わせる。
ルシアンに対して武者震いを――というよりは、その後ろにいるであろう、無哭の視線に、だった。
皆の視線が集まる。向けられているのは、尊敬と畏怖の眼差し。
「き、気ぃ抜くなよ……」
「声のトーン、絶対間違えちゃダメですよ……」
「無哭は見なくてもいい……ルシアンさんだけ見とけ、絶対だぞ……!」
室内が、戦場のような空気に変わる。
上級書記官の肩に、次々と手が置かれていく。
「俺たちもすぐ行きますから……!」
「万が一無哭と目が合っても、気をしっかり持てよ……!」
「ああ、資料、急いでくれよ……っ」
普段の事務仕事では見せない、腹をくくったかのような、上級書記官のその表情。
立ち去っていく背中も、どこか"もう帰ってこないのでは"という哀愁を漂わせる。
そうして扉が閉まったあと、誰かが震える声で言った。
「……てかホントに魔術師のほうに話通してイケんのか……?」
「……だって目を見て話せるのあの人しかいないよ……無哭こええじゃん……」
「でも無哭の隣でにこにこしてんのも大概よ……?……けど一縷の望みだわ」
「そう……笑ってんだよな……」
「なんで笑えるんだ……」
一同が、肩を落として会議室の扉を見る。もうそこに、あの哀愁漂う勇者の背はない。
だがその向こうで、きっと今も勇者……上級書記官が、その"魔術師"と対峙している。
「……資料、早く仕上げようぜ。魔術師の琴線にかかればこっちのもんだ」
崩落に巻き込まれた子どもを思い――職員たちは改めて、書類に向き直っていった。
――【勇者、書記官】




