【護衛契約】
しばしその赤い眼差しを見やったのち、……ルシアンが小さく頷く。
「旅をするのに、案内人が必要でして。ついで護衛もできる人物ならなおよしと」
応接室の張りつめた空気を、柔らかな声が割った。肩に斜めにかけている革鞄から、ルシアンが金貨を一枚、指先で取り出す。
光をはじき、テーブルの上に静かに置かれるそれは、カツリと硬い音を立てた。
「我々は初対面です。当然私のことも信用できないでしょうから、まずは試し金としてこちらを」
「…………」
「ひと月務めていただければ、残りの四枚をお渡しします。翌月からは、月に金貨五枚の契約金でいかがでしょう」
部屋の魔法灯の下、応接テーブルの中央に控えめに差し出された貨幣に、男の目線が止まった。
――金貨。
この世界において一般的に出回っている銅貨や銀貨よりも価値のある貨幣で、庶民はあまり見ることのないものだった。
それを月に五枚、おおよそ五十万Gが契約金。仮に自分を専属で雇うとするならば、十分に適正な価格。
それを恐らくこちらの実力も何も知らず、しかし当然のように提示する、得体のしれない男。
ただでさえ鋭い赤い瞳が、わずかに細められた。
「契約の条件は、私の護衛をしていただくこと。日数はあなたが私から離れるまで。待遇は今申しあげたとおりです」
微笑む銀の瞳は、一度も目の前の男から逸らされることがなかった。――テーブルの上で、金貨が澄んだ光を放つ。
「……金貨五枚……、それがてめぇの命の値段か」
……低く、重い呟き。
だがその声音に皮肉の色はなく、ただ慎重に相手の意図を見極める眼差しだ。
男の指先が、テーブルの金貨をひとつまみ。
重みを確かめるように手の中で転がし、また元の位置に戻す。
「雇い主が死んだら意味がねぇ。……無茶はしねぇんだな?」
問いかける男の声は、確認のような、それでいて試すような声だ。
頷きがひとつ返ってきて、淡紫の髪が揺れる。それでも柔和な微笑みが変わらないのを見て、男はひとつ鼻を鳴らした。
「……ったく、何なんだお前は」
「……と、いいますと」
やわく首を傾ぐルシアンに、男は椅子の背にもたれながら、がちりと腕を組んだ。渋面は、柔らかな前髪の奥をじっと見ていた。
「食堂の冒険者ども見たろ。……普通俺んとこにゃ来ねぇんだよ」
……苦く眉を歪めた男の言葉は、決して誇張ではない。自分の風貌と睨み、威圧に怯えなかった者など滅多にいない。
だからこそ今、目の前の彼が微笑を崩さず、わずかな身じろぎすらないことに――やりようのない戸惑いがある。
「これでも人を見る目は自信があるのですが……」
「……。……面倒な荷物は持たねぇ主義なんだがな」
小さく笑ったルシアンにそう言って、男は指でもう一度、テーブルの金貨を指先でとった。
赤い瞳がまっすぐにルシアンを射抜く。
「……ひと月。付き合ってやるよ」
――金貨がその武骨な手に収まったのを見て、ルシアンはやっとわずかに目を伏せた。……が、それはほんの一瞬で、すぐにまた視線を絡める。
「ありがとうございます。とはいえ、あなたに見限られればそれまでと思っておりますし、もしそうなっても契約金は全て支払い、追いませんので」
からりとした、距離。――あと腐れのない提示だった。
その涼しげな態度のまま、胸元に手を添えたルシアンが、またも首を傾げ、微笑む。
「ルシアンと申します。どうぞよろしくお願いしますね」
たったそれだけの動作に、男が眉を寄せて顎を引く。耐性のない者を数人転がすような……魅力、か。
これは、――単に魔獣から護衛すればいい、というわけでもなさそうだ。
「……チッ、めんどくせぇ」
盛大な舌打ちがひとつ。
だがそれは、苛立ちというより、呆れに近い音だったのかもしれない。
ルシアンの提示は潔く、あまりに隙がない。突き放しているようで、きちんと懐へ誘っている。そのくせ試すでもなく、媚びるでもなく、ただ"己の価値"だけで立つ男。
加えて、あの銀の微笑である。
(……こいつ、自分がどれだけ"目を引くか"分かってやがる……)
男が、早くも若干の後悔を抱く。中性的な柔和さを装ってはいるが、真正面から"値踏みされる側"に立った者が、まともでいられる保証はない。
「……ガルドだ。好きに呼べ」
赤眼の男がそう名乗ったのは、諦め混じりに額を押さえながらだった。
そうでもしなければ、この銀の瞳はいつまでも自分を値踏みしてくるだろうと思ったから。
「契約はひと月。……それ以上は、そんとき次第だ」
……そうして、ガルドが席を立つ。話し合いは済んだ。互いの名も交換した。ぐるりと肩を回して応接室の扉へと向かいながら、一度だけ背中越しに振り返る。
「……出発は、いつだ」
それきり特別に返答を待つわけでもなく、ガルドはそのまま扉を開けて部屋を出た。
後を追うルシアンの表情に、軽やかな笑みが満ちていた。
順に応接室を出てきたふたりに、ギルドホールは再び静寂に満たされていた。
片や同業の冒険者連中も目を合わせたがらない"無哭"。
片や素性も知れない、中性的な美麗の男。
その異質な取り合わせは、目線も合わせず、言葉も交わす様子はない。
けれどホールを横断して出口へと向かう足並みは、間違いなく、連れ立っていた。
ギルドの大扉を出れば、空は夏。昼過ぎの街の陽気。
潮風を纏った陽射しのもと、地面に大きく影を落とす男が、肩越しにもう一度ルシアンを振り返る。
「――出発、ですよね」
先ほど投げられたその問いに、ルシアンは少し視線を横にずらしていた。さながら、今考えています、とでも言い出しそうな表情。
……恐らく、最終的な目的地があるわけではないのだろう。
「そうですね……、そちらに予定がなければ、明日の朝には街を発ちましょう。道中、美しい場所や不思議なものがあれば、ぜひ立ち寄りたい」
「……ああ?」
「私の旅の目的です。美しい景色や不思議な場所をたくさん見たい」
聞き間違えたか、というガルドのその表情に、ルシアンは柔和な笑みを浮かべた。
「……酔狂な……」
「ええ。もしそこに魔獣がいれば、あなたの出番です。私は魔術師ですが、攻撃魔法は使いません。……その代わり、」
淡紫が、一歩ガルドに近寄る。その巨躯の斜めすぐ後ろ、手を伸ばせば届く距離。ガルドは目の端で、その姿を捉え続けていた。
丁寧な指先がガルドへ伸ばされ、静かに腕の辺りに触れる。
ぞわりと薄い膜が身体を包む感覚――そんな妙な気配に覆われ、研ぎ澄まされる身体。
「このような防御魔法が使えます。あなたに怪我をされては旅に差し支えますので」
「っ……」
――硬い肩が、わずかに揺れる。
ガルドは純戦士で、魔術には明るくない。しかしこういった魔法に対する知識は持たずとも、肌に感じたその感触は明らかに"異質"だった。
皮膚の上、瞬時に張り巡らされる薄膜。鋼鉄とは異なる、しなやかでありながら確かな防壁。
目に見えぬはずの力が、ひたりと全身を覆っている。
「……魔術師、な」
腕に残る温もりを振り払うように、ガルドは片眉を上げた。
だが、その赤い瞳に宿るのは不快ではなく、純粋な疑念と、そしてわずかな感嘆だった。
「……たかが護衛に、随分と好待遇だな」
「ふふ」
「攻撃魔法は"使わねぇ"。……了解」
皮肉のように吐き捨てつつも、その声にとげはない。
ルシアンが自然体である限り、ガルドも無理に踏み込む理由がなかった。
歩き出す足が、街路を踏みしめる。続くように、すぐ後ろを歩む細い足音。
「だがまぁ……悪くねぇ」
前を向いたままぼやくガルドの背に、ルシアンの眼差しが向いた気配があった。
昼下がりの陽射しの中、路地を歩む二つの影が、濃く重なっていった。
――【護衛契約】




