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ルシアンの物見遊山  作者: フジイさんち
都市セレス
18/54

【二度の手】


ガルドはそれ以降、席を離れることはなかった。食事をし、渋面ながらも他愛のない話をしながら、酒を飲む。

ルシアンも同じように過ごしながら、周囲から聞こえてくる会話にも耳を澄ませていた。


村の家畜が。学術ギルドで。

坑道の崩落事故が。渡り蝶が。


なるほどこれは確かに情報の宝庫だと、ルシアンが目の前のグラスを見つめる。

酒も二杯目。果実酒は口当たりがよく、とても飲みやすかった。


ガルドはといえば、料理を食べ、こなれたように酒を呷っている。料理屋で座って食事をした時とは違い、一口ががぶりと大きい。

食って、飲んで、戦って。元来、そういう性分なのだろう。


「……何見てやがる」


ごき、と酒を飲みながら、少し顔をしかめてガルドが言う。

――これは、ちょっと照れた顔。ルシアンも、だんだんとその変化がわかるようになってきた。


「ふふ、楽しいよ、ガルド」

「……ああ、そっかよ」


ガルドはそっぽを向いたまま、皿に残った肉を骨ごと掴んで噛みちぎる。

がぶりと噛みつけば、骨の先から肉片が引きはがされた。


「そんなら、なによりだ」


淡々とした声。だが、耳の先がわずかに赤い。

照れているのか、酒がまわってきたのか、あるいは両方か。


「……にしても、意外と飲むな、お前」

「そうかい?……普段よりはちょっと進んでるかもね」


軽やかな返答を耳に、ちら、とルシアンのグラスを見やる。――ほのかに甘い果実酒。確かに飲みやすい部類だが、酔いが回るのは早いはずだった。


「……顔に出ねぇな。強ぇのか、鈍いのか……」


再び、ぐび、と自分の酒を飲み干しながら、ぼやくように呟く。

だが、その視線は始終ルシアンの手元に落ちていた。


その眼差しはまるで、“次に誰かが触れようとしたら、その瞬間に叩き落とす”と、黙して言っているかのような――静かな、けれど確実な護衛の構えだった。


ルシアンが何を感じ取っているかは分からない。

だが、ガルドはもう、酒の味だけを楽しんではいなかった。




ガルドの牽制の効果もあり、それ以降、狼藉を働こうとする者は現れなかった。

酒場を出て、宿に戻り、主人から部屋の鍵を受け取る。


――結局、ルシアンは三杯飲んだ。久々に量を飲んだ酒は、心地よく体に回っている。

階段をゆっくりと上がると、後ろからガルドの大きな手が背中を支えてきた。


「おい、転がるなよてめぇ」

「おや、ありがとう。大丈夫だよ」


ふふ、と笑いながら、そのまま登りきる。後ろからため息が聞こえる。

あとは風呂に入って眠るだけ。何とも贅沢な夜だ。


鍵穴に、鍵を挿し込む。

扉の開いた自室に入る直前、ルシアンが向かいの扉の前に立つガルドを振り返った。


「あ、ガルド、ちょっと頼まれてくれるかい」

「……何だ」


ほろよいのままに微笑を浮かべ、ルシアンが外套を外す。

そのまま、街着の背中をガルドに向けた。


「ちょっと背中から腰にかけてさすってほしい。一度でいいよ」


――なんだそれは。とガルドが止まった。

いくら護衛といえど、自ら背を向けるか。しかもさすれとは?


肩越しにこちらを見るでもなく、向こうを見たままルシアンが言った。


「酒場で触られたところが、気持ち悪くてね」



思わず、ガルドの喉が、ひくりと鳴った。


それは酒のせいではない。

目の前の背中、その細い肩、薄い身体。

その服の布越し、柔らかい気配が夜の灯に浮かび上がっていた。


「……、……ああ」


声は掠れていた。

だがその言葉の裏に、どれだけの感情が詰まっていたか――隠し切れたかもわからない。


「一度、だな」


大股で詰め寄り、手を伸ばす。

酒の匂いが混ざった体温が、すぐそこにあった。


片手をその肩に置き、もう一方の手のひらでゆっくりと、背中をなぞる。

大きな手が、肩甲骨のあたりから、脊椎の両脇を辿って、腰まで。

布越しとはいえ、肌の張り、骨のライン、わずかな熱までもが、手に伝わってくる。


酔客とのやりとりの、全容を見ていたわけではない。

どこに触れられたのか、あいまいな部分もあった。


「……どこ、だ?」


掠れた声。返事はない。だがルシアンの肩が、わずかに揺れた。

そのまま、もう一度。今度はさらにゆっくり、少し深く、手のひらで撫で下ろす。


腰に近づいたとき――指先に、かすかな震え。

それがルシアンのものか、ガルドのものか、分からなかった。


「……もう、いいか」

「うん、ありがとう」


向こうを向いたままの返事を聞き、――そろりと手を離す。その背の温もりが、手のひらに残っていた。

それを振り払うように、ガルドは背を向け、自室の扉を乱暴に開けた。


「さっさと寝ろ」


そう吐き捨て、扉を閉める。

背中に、向かいの部屋の扉が閉じられる音。


誰もいなくなった廊下には、かすかな酒と体温の残り香が漂っていた。






――【二度の手】

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