表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルシアンの物見遊山  作者: フジイさんち
都市セレス
17/55

【酔客】



宿で街着に着替え、夕食のために酒場に入る。これは、ルシアンからの要望だった。

大衆酒場というものに、入ってみたかったらしい。


その思考の時点ですでに、自ら”平民ではない”と言っているようなものだったのだが、ガルドは黙って店を選んだ。



「……お前が酒飲めんの、意外だよな」


やや眉をひそめて、ガルドが言う。

酒場は冒険者や街の人で賑わっており、店員の女がその合間をぬって忙しく注文を取っていた。

壁に掛けられた木札に、店のメニューが並ぶ。壁際のテーブル席に座るか、背の高いテーブルで立食とするか、選べる形の店だった。


「ふふ、そうかい。そんなに強くはないけど、お酒は好きだよ」


腰かけられるテーブルがすべて埋まっており、店の中ほどの立食席につく。店員に注文をして、ルシアンがぐるりと店の中を見回した。

依頼帰りの冒険者、仕事を終えた職人たち、商人たち。皆思い思いにこの場を楽しんでいる。


「……潰れたら置いてくからな」


ガルドの軽口に、ルシアンはにこりと頷いた。

……ったく、とひとりごちて、赤い瞳がふと店の奥に視線をやる。


「……トイレ行ってくる。ここにいろよ」

「うん」


返事を確認し、ガルドは背を伸ばすように軽く首を回した。

大衆酒場のざわめきと、立ち込める肉と酒の匂い。

混雑する店内を睨むように見渡し、ルシアンの立つ席を一度だけ確認する。


「……すぐ戻る」


それだけ言い残し、店の奥に向かって歩き出した。

木の床板がきしむ。冒険者らしき男たちの笑い声が背後で弾ける。

酔客が立ち上がりざまにぶつかってきたが、ガルドの体にはびくともしなかった。


(……あの席、目立つな)


視界の端で振り返りながら、そんなことを思った。


入り口から中央へ抜ける通路のすぐ脇。立食で、なおかつ視線が集まりやすい場所だ。

ルシアンの立ち姿は、街着に着替えていても隠しきれない品が滲む。

柔和な微笑を浮かべたまま、周囲を観察するその姿は、街の者にとってもどこか異質だった。


――だが、それを“美しい”と感じてしまう者も、確かにいた。


ちら、とルシアンに視線を送る者。

注がれた酒を止めたまま、立ちすくむ者。

連れの話も聞かず、じっと見つめる者。


ガルドは、それらすべての気配を背に感じながら、店の奥へと歩を進めた。




――ふ、とルシアンの背に手が当たった。

隣に寄り添う気配。みると、見知らぬ冒険者。恐らく酔っ払い。


無哭(むこく)においてかれちゃった?あっちで一緒に飲まねぇ?」

「……ふふ。結構です」


ルシアンが柔和な笑みで返すが、生憎相手は……酔っていた。よりにもよって”無哭の仲間”に、正常な判断ができないほど。――そのため、笑顔の盾にも、気づかなかった。



背中から首にかけて撫でられる。ルシアンが、――ううん、と少し迷う。

せっかくの酒場、楽しく過ごしたい。このままガルドが戻ってきたら騒ぎになりそうだし、自分が追い払って逆上されるのも、また面倒。

周りは見て見ぬふり。いや、見ている者のほうが多い。異分子がどうするのか。そんな視線だった。


「私なんかより、綺麗な方がいるでしょうに」

「いやぁ、アンタみたいな上玉なかなかいねぇよ」

「それはそれは……私はやめておいた方がいいと思いますがね」

「いいじゃねぇか、減るもんじゃねぇしよ」


酔いの回った手のひらが、ルシアンの腰元にずるりと滑る。

意図的に触れるそれは、もはや不快の域だった。けれどルシアンは、なお笑みを崩さない。




「――どけ」


声が落ちた。

低く、重く、酒場の喧騒すら一瞬だけ止まるほどの圧。


酔客の肩に、がし、と大きな手が乗る。

そのまま無遠慮に引き剥がされるように、男の身体がルシアンから引き離された。


「い、ってぇな、なにすん――」


振り返った先で、男の言葉が止まる。赤い瞳が、まっすぐに睨んでいた。

無表情。だが、冷たい殺気が滲んでいた。


「触って、減らねぇかどうか、試すか」


ぎちり、と、掴まれた男の肩が鈍い音を立てた。

酒の匂いも、笑い声も消える。見ていた者たちが、音も立てずに視線を逸らす。

冒険者であれば誰もが知っている――無哭。それが、怒気を隠さず立っている。


「ぐっ……ま、待てって、ただの冗談っ……ちょっと触っただけで――」

「……なら、これも冗談で、いいな」


ガルドの声が、さらに落ちる。

掴んだ肩にさらに力を込めれば、骨が軋む音すら聞こえた。


「あ゛ぁ!っわ、わかった!悪かった!許してくれ!!」


捻り出した声に、ガルドが無言のまま手を離す。

もつれるようにして男が逃げていけば、周囲の空気が、やっと動き出した。



「ま……まったく……だから酔っ払いは嫌なんだよ」

「おっおい姉ちゃん、もう一杯――」


どこか遠くの席から、やり直すように声が上がる。――お前ら、ただ見ていたな、という無哭の睨みから、逃げるように……店の空気が、ゆっくりと元の喧騒へと戻っていく。


ガルドは最後の警告のように周囲にきろりと一瞥をくれ、やがてルシアンを見た。

言葉はない。ただ、赤い瞳に一瞬だけ、明確な“怒り”が浮かんでいた。それは、先ほどの酔客か……もしくは自分への、抑えきれぬ咎め。


「ありがとう、ガルド」


周囲に聞こえるかどうか、という声で、ルシアンが呟いた。酒の入ったグラスを手に、……銀の瞳が伏せられている。

それを見て、ガルドが、ぐ、と眉根を寄せた。


「気にすんな」と言おうとしたところで、ルシアンの指先が、ガルドに近寄るように指示をする。

ガルドが小さく屈むと、そこに顔を寄せて、その眼差しがちらりと見上げてきた。


「君があと少し遅かったら、彼の心臓を凍らせていたかも」


にこ、と笑う顔は、どこかいたずらっぽくて、けれども冗談を言う顔ではなかった。

体内に氷を生成する。何故かルシアンならば、容易にできそうだった。


「本当に助かったよ、ガルド」

「……それ、助かったのは誰なんだ……」


ぼやきながらもガルドは、静かに視線を逸らした。

思わず顔を寄せたが、面前での囁きの威力が思った以上だった。上目で見つめられたのも、至近距離で見てしまった。


――なんとか、体裁を取り繕う。


「……お前に、やな顔させたくねぇだけだ」


ぼそりと、喉の奥で呟くように。

人目を気にしてではない。だが、声を張るには余りある重さがあった。


背を伸ばしたガルドが、グラスを一つ引き寄せ、なみなみと注がれた酒を半分ほど一息に(あお)る。

喉を鳴らして飲み干すその音が、やけに耳に残った。






――【酔客】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ