【花が照れたのだと】
水の音が近づくにつれ、反比例するように周囲の音が消えていった。
潰れた草原の窪み、ぽっかりと丸く開いた穴。そこに、水底が淡く光る”水たまり”がある。
昼の陽を受けてもなお、青白く自発光する水は、風もないのにかすかに揺れていた。
周囲には、発光植物が点在している。小さな双葉もちらほらと。
助手のカリナが、足を止めてほっと息をついた。
「よかった、まだあった」
補足するように、セナがルシアンに向き直る。
「過去にも、同じような泉があった記録が各地にあるんです。内容はぼんやりとしていて、どれも発見後数年で消失しています」
「消失……。泉自体が、魔力の塊として自壊した可能性が高いですね」
「そうなんです。だから、今回の泉も消える前に、少しでも記録を集めたくて」
「……綺麗なのに、もったいないですよね」
足元の発光植物をスケッチしながら、カリナがそう小さく零した。
ルシアンが、ふっと目を細める。
「消えるからこそ、価値のある”美しいもの”もありますよ。だからこそ、きちんと記録に残しましょう」
セナもカリナも、自然と頷く。
少し離れたところにいたガルドが、小さく片眉を吊り上げた。
(……なるほど、そうやって懐柔していくんだな、お前は)
ガルドは腰の剣帯に軽く手を置いたまま、泉の周囲をぐるりと見回した。――草の擦れる音ひとつしない。
ただ、水の揺れと、発光植物が静かに光を返してくるだけだった。
(……妙に静かだが、魔獣の気配はねぇな。今のところは)
一方で、セナとカリナは早速調査の準備に取りかかっていた。
魔力測定装置のケースを開き、脚の短い三脚と銀色の金属筐体を組み立て始める。
ルシアンは手を貸すことなく、それを見守っていた。
手伝うよりも、知識を携えて待つ方が適任だと分かっているような立ち位置だった。
「記録開始します。水質……温度二十三度、魔力量……っと、ルシアンさん、お願いできますか」
セナが測定機の一部を示し、ルシアンに視線を向ける。魔術師としての役割を理解しての依頼だった。
ひとつだけ頷いて、ルシアンがゆっくりと泉の縁に立つ。かざすように手を伸ばすその仕草に、隣で草を採取していたカリナが動きを止めた。
空気が、ぴんと張る。凪いでいた水面が、ルシアンの手の影を中心に、ゆら、と波紋を描いた。
測定装置の針が強く振れ、セナが慌てて記録をとる。
それを横目で見ながら、ルシアンはもう一度泉に視線を落とした。淡く揺らぐ光と共鳴するように、微細な魔力の波が手のひらに返ってくる。
魔力は目には見えないが――揺らぎは、肌で感じ取れる。
「……ここ、周囲より、わずかに密度が高いですね。泉の内部より、周縁部のほうが強い」
「えっ、測定道具は……!?い、いやそれより、――っでは、魔力が蓄積しているのでしょうか……?」
「そうですね……境界濃縮型か……発光植物の根元周辺だけ、特に密ですね。葉は反応していません」
測定装置と、足元の発光植物と、そしてルシアンを順に見ながら、セナは次々とノートに記録をしていった。
「となると……ええと、発光植物の魔力蓄積は見かけ倒しということですか」
「いえ、むしろ、葉からの魔力の放出効率が良すぎるのでしょう。だからこそ光って見える」
「なるほど……」
セナが、カリカリと手元の書板に情報を落としこんでいく。測定装置では測りえない、感覚からの情報。新鮮だった。
ガルドも、助手のカリナとともに泉の外周を歩きながら、視界の端でルシアンを捉えていた。
足場の確認、魔獣の痕跡、地割れの兆候。――何も異常はない。
発光植物の密集地で、カリナが立ち止まり、群生の傾向や色、範囲を記録していく。
それに合わせてガルドも立ち止まり、ふと見下ろすと……足元の小さな発光花を、踏みそうになっていたことに気づいた。
ず、と足を引き、しゃがみこんで、指先で触れる。――途端、ちいさく花弁が閉じた。
「咲いている間は、触らない方がいいよ、ガルド」
泉の向こう側から、ルシアンの柔らかな声が届いた。
牽制というよりかは、微笑んでいる。いたずらをしないように、と笑われるかのようだった。
「……あ?」
「接触で光が消える個体もあるようだよ。それは君に反応して閉じてしまった」
「……ああ?」
「照れているのかもね、花が」
「……花が?」
閉じた花をじっと見下ろし、ガルドは立ち上がった。カリナが慌てて記録を取る。
「内気でかわいい子たちだね」
とルシアンの声が、小さく届いた気がした。
「……るせぇ」
ぼそりと返しながらも、ガルドは花に視線を落としたままだった。……そういや、また”花”だな、とも思う。胸焼けしそうだ。
(……なんなんだ、あいつ……)
花弁が一つ閉じるたびに、ルシアンの言葉が妙に脳裏に残る。それが冗談だと分かっていても、反応してしまう。
まるで、自分のことを言われてるような錯覚すらしてくる。
「……お前の声のがよっぽど毒だ」
低く呟いた言葉に、カリナが「えっ?」と小さく首を傾げたが、ガルドは応じない。
既にルシアンの方を見ていない。泉をぐるりと回り、今度はセナの横に立つ。
「あんま、長居すんのも良くねぇんじゃねぇか。……魔獣も出ねぇとは限らねぇだろ」
「あ、はい、そうですね……!もうしばらく観察して、記録をまとめますので……!」
セナの言葉に頷き、ルシアンがかざしていた手を下ろした。光の残る水面に背を向ければ、外套の裾がふわりと揺れる。
その一連の動きに、発光植物がまた一瞬だけ、わずかに脈打った。
――【花が照れたのだと】




