↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルシアンの物見遊山【つづきはIIへ】  作者: フジイさんち
ヴァルクレッサ討伐

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
118/145

【星屑の湖】


ヴァルクレッサたちは、明らかに警戒を見せ始めていた。

己らの外皮をも貫く力を持つ相手――そして挑発の奥に佇む、"喰らいの気配"。

にげろ、にげろと、魔獣の本能が恐れている。危機を叫んでいる。


だがもうどこにも、逃げ場はない。



一体が地面を割って、潜った。

一体が跳躍し、林の方へと逃れようとした。

最後の一体が、唸り声と共に、なおも足を踏み出そうとする。


だが、地を揺らすような踏み込みがひとつ。

剣は振るわれていない。拳もまだ構えていない。

それでも――気配だけで、縛られる。


「……逃がさねぇ」


声が落ちた次の瞬間、消えるような加速で、ガルドが駆けた。


一閃。

跳躍していた個体の腹が裂け、空中で赤い帯が咲いた。

着地することはなく……断末魔も、夜風に溶けた。


続けざまに、大地を穿って逃げた一体の痕跡へ――大剣を逆手に握り、ためらいなく地面へ。


「ここか」


瞬間、突き刺さった刃が大地ごとヴァルクレッサを貫いた。

地中から噴き上がる赤黒い血と、潰れた音。


「あぁ、牧草地が……」

「文句言うな」


ぽつり呟いたルシアンに、ガルドの背中から抗議が上がる。その傍ら、最後の一体が、悲鳴のように唸った。

震える前肢を一歩、また一歩と――それでも、逃げるでもなく、向かってくる。


……ガルドは迎え撃たなかった。ただ、正面に立ち、構えたまま、動かずに待った。


獣が踏み出す。唸る。

吠えるように顎を開き――、


「芸がねぇな」


――その声を最後に、獣の身体はそのまま、崩れた。


体重をかけた、頭蓋への踏み込み。ヴァルクレッサが力なく、土に伏す。

生への執着を喰われたように。


ゆっくりと息を吐き、ガルドは地面に突き立てていた大剣を引き抜いた。

一拍、周囲を見回す。……もう、気配はない。


「…………」


夜の空は静かで、風すら止んでいた。

振り返れば、どす黒い魔力は霧散するように消え、そこに立っているのは、柔らかく微笑むいつもの魔術師。


「……ったく、お前は……」

「うん?」


ぼやきながら、ガルドは血塗れの外套を翻した。

静寂が戻ったその場所で、ぱちぱちと小さく拍手をする彼は、囮をしていたようには見えない、とても満足そうな笑みを浮かべている。


「すごいよガルド。やっぱりこうして正解だった」


汗ひとつなく、満足そうな軽口。

ガルドが片眉を吊り上げる。ガルドは魔力に明るくない――にしても、それでもあの量の魔力を"放出し続けて"けろっとしている魔術師は、心当たりがない。


「もうなんの気配もないよ。残念ながら、森の動物や小さい魔獣も逃げてしまったけど。……牛たちにも、悪いことをしたね?」


ルシアンが、少し困ったように首を傾げる。

はっ、と小さな、ため息とも笑いともとれぬ息が、ガルドの口から漏れる。


「……後で、謝っとけ」

「……牛に?」

「ああ」


ガルドは短く返しつつ、背後に転がるヴァルクレッサたちを見やった。

既に息絶えたそれらは、もはやただの"肉塊"だ。――静かに剣を振り、血を地面に払う。


大剣を背に収め、すぐ傍に立ったルシアンを見下ろすと、彼はやはり笑っていた。何もなかったような顔で。

だが、その淡い銀の瞳には、確かに――ガルドの姿だけが、映っていた。


風が吹く。夜明け前の、冷たい風だった。


「ひとまず、村の様子を見に行こうか」

「……ああ。村の奴らも逃げちまってるかもな」


――む、と肩をすくめるルシアンの前髪を、風が揺らす。自分も満足げな顔をしていることに、ガルドは気づかない。

混沌の去った静寂の中、ふたりだけがそこに立っていた。






外皮を叩き伏す音や、魔獣の咆哮は、どうやら村にも届いていたらしい。

村人たちが避難していた村長の家へふたりが向かうと、気づいた数人が慌てたように駆け寄ってきた。


「ごっご無事でしたか!!」

「お、恐ろしい気配と、魔獣の声がたくさん……、牛たちの(いなな)く声も……っ!」


――恐ろしい気配と牛たちの悲鳴は恐らくルシアンの仕業なのだが、彼の柔和な微笑みに、反省の色は見られない。


「ふふ、無事を祈ってくださって感謝します。魔獣は彼が討伐してくれたので、もう安全ですよ」


ルシアンに手で示され、ガルドが小さく鼻を鳴らす。


「地中に潜むトカゲ型の魔獣が計十一体でした。本日はもう遅いので、明日の朝に確認をお願いしても?」

「そんなに……!ああ、ありがとうございました!!」


村長と村人たちに、ひとしきり頭を下げられ、ルシアンがガルドを見やった。

家畜の喪失に関する調査は、対象を討伐という結果を以てして完了。しまいだ。

――が、ぴく、とガルドの眉が、わずかに揺れた。ルシアンが、終わっていない顔をしている。


「……なんだ」

「星屑の湖を、見に行こうか」


そして、にこり、である。……はた、とガルドが目を見開く。――そういえば、そうだった。そして、こういう男だった。

ガルドの眉間に皺が寄る。まったく、敵わない。

細められた銀の瞳は、"私の感知に挑発を"――よりも、よっぽど楽しそうな顔をしていた。


「……ああ」


深いため息――というには、どこか緩んだ声が返る。

あれだけの戦闘のあとだというのに、ルシアンのその笑顔が、すべてを"なかったこと"のように見せるから不思議だった。


「……付き合う」

「ふふ、うん」


呆れたようにぼやきながらも、肩の力はすでに抜けていた。

魔獣の咆哮、血の臭い、焼けるような集中の熱。それらすべてを背に置いて、今、ルシアンの目は"湖"だけを見ている。

肩をひとつ回し、そばの村人に声をかける。


「……おい、近場に湖があるな?」

「は、はい……!ここから……四半刻もかからないかと」

「そうか。……夜明けにまた戻る」


ガルドがそう言えば、村の衆からはぽつぽつと会釈が返ってきた。背負った剣の重みをかすかにずらし、家を出る。


星屑の湖――その名にふさわしい景色が、本当に待っているのなら。


後を来る軽やかな足音に、もう少し付き合ってやってもいいかと、思った。






目的地はハス村から南、そんなに遠くはないところにあった。

ルシアンが先の戦いで、周辺の魔獣を軒並み追い払ってしまったのもあり……その道程はどこかのんびりとしたものだった。


湖に着くと、辺りはしんと静まり返って、夜明けを待つ風が水の匂いを運んでいる。

畔には、ぽつぽつと夜光苔らしき光のちらつきも見える。


「夜光苔、初めて見た。自発光しているんだね」

「ああ……水ん中にもあるな」


足元にしゃがみ込んだルシアンに、ガルドが短く返事をした。

ルシアンが手元の苔に指先を触れれば、……土と湿った草の香りがする。


――顔を上げて湖を見渡す。水は澄んで、夜光苔が水深の浅い湖底を這うように覆っていた。

それはまるで林の中、丸く切り取られた大きな舞台に、空の星が沈んでいるようにも見える。

いつかの山間の星見の湯も、幻想的で美しかったが、――こちらは、規模が違った。

上を見上げれば星空はどこまでも高く、それを映す湖面はどこまでも澄み渡り。


「……綺麗だ。……連れてきてくれてありがとう、ガルド」



呟くルシアンは、その銀の瞳いっぱいに、星空を湛えていた。


その声に、――ガルドは、少しだけ視線を向ける。


湖の縁に立つ、ルシアンの横顔。

月はなく、淡い暗闇の中、その姿は星空の中に立つようで。目元は柔らかく、口元には微笑。

だがそれ以上に、星を映したその瞳が――澄んだ銀が、あまりにも。



「……ああ」



ぽつりと落ちた言葉は、夜の風にすぐ掻き消える。

けれどそれでも、ルシアンの耳には届いていたのかもしれない。

彼はふわりと目を細め、再び空を見上げた。


ああ、やっぱり、だめだな――と、ガルドは思った。


こんなにも満足げに笑う姿を見せられたら。

こんな景色を一緒に見てしまったら。

もう、きっと――どこへだって、ついていくことになる。


音もなくさざ波が寄せ、ふたりの影を、ゆらりと揺らした。

空と湖が繋がるような、静かな星の舞台の上で。






――【星屑の湖】

《旅の記録》

・場所名(通称):星屑の湖

・最寄り街:ハス村

・景観種別:美/静

・特徴メモ: ベルミード南西のハス村近郊にある湖。夜光苔が一面に自生し、晴れた夜は星空と相まって水中にも天体が広がるようだった。

・時期・時間帯: 初秋・夜

・再訪:可

・個人的メモ:

「まるで星空の中に立つようだった。いつか、また。」


――ルシアンの手帳より

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。