【ハス村の異変】
「星屑の湖……?」
「うん。街から南西にある村を越えたあたりにあるんだって」
そう言い、パンを一切れ口に運ぶルシアンに、ガルドは片眉を吊り上げて返事とした。
――ベルミードの宿の食堂は、朝から商人や宿泊客たちで、ほどよく混雑していた。
木の匙がスープの縁をすくう音。湯気は鼻先をくすぐり、豆と香草の香りがじんわりと喉へ抜けてゆく。
夜の残り香に、卵が焼ける匂いが薄く重なっていき――ベルミードは、今日もこうして目を覚ましていく。
ルシアンからの言葉は、そんな朝の食卓に、そっと置かれたものだった。
「……南西の村……あるな、確かに」
ぼそりと返しながら、ガルドも水を一口。その村へ足を運んだことこそないが、恐らく街から半日とちょっとくらい。南西方面には、平原が広がっていたはずだ。
「行ってみるか、今日」
「ふふ、うん」
低く落とした声に、柔らかな微笑みが返ってくる。その首元がわずかに傾いた拍子に、香油の香りがふわりと鼻先をかすめた。
――今日は、深い、緑の……。
どちらからともなくパンをちぎり、器の縁に浸しながら口に運ぶ音が、朝の空気に溶けていく。
(……気に入った、ってことか……)
特に言及をするつもりもない。ガルドは、食べ終わったフォークを空いた皿に置いた。
自分が選んだ香りが、こうしてまとわれている。きっと、向こうは何も深く考えてなどいないだろうが。
(……知るか。今日も、護衛だ)
木の椅子に、背を預ける。どれだけ近づいても、その役目だけは、手放さない。それさえあれば、いい。
そう思いながら、空いた皿に残るパン屑をひとつ指で払った。
朝食を済ませ、通りを冒険者ギルドへと向かう。
中性的で優雅な旅人と、大柄で眼光の鋭い戦士。一見隣り合うことのなさそうなふたりは、……もう、この街に馴染みつつあった。
石造りの建物、正面の階段を上り、大扉をくぐる。一歩、軋む床板を踏みしめて、ふたりの影がギルドホールへと伸びた。装備の革が擦れる音。誰かの笑い声と、紙がめくれる乾いた音が、天井の梁にまで届く。
冒険者ギルドへ訪れた理由は……まぁ、なんのことはない。星屑の湖は、南西方面。同方向の依頼でもあれば、といったところだった。
揃って掲示板の前に立ち並べば、冒険者たちのざわめきが、わずかに振り返る視線とともに波を打った。その一切を気にも留めず、依頼書の海を、ふたつの視線が泳いでいく。
やがてガルドが、「ん」とひとつ呟き――、顎で、一枚の依頼書を示した。
――《家畜喪失・調査依頼》
【依頼内容】
南西方面、近隣の村にて、夜間に牛が突然姿を消す事件が発生しています。
争いの跡はほとんどなく、現場では「地面に引き込まれた」との目撃証言も確認されています。
魔獣による被害の可能性があるため、調査と情報収集をお願いします。
【目標】
・原因の特定
・目撃情報・痕跡の調査
・必要に応じて魔獣の駆除
【報酬】
銀貨六十枚
※駆除が発生した場合、別途追加報酬あり
【特記事項】
対象魔獣の種類は不明。地下に潜む可能性あり。調査中の夜間行動は慎重に願います。
【備考】
現時点で人的被害は未報告ですが、拡大の可能性があります。報告は逐次提出のこと。
「ふむ」
ガルドの肩越し、依頼書を読み込んだルシアンが、ひとつ頷いた。南西近隣の、村。星屑の湖の近くにあるという村だろうか、と。
同方向の依頼は他には見当たらなかったが……調査ならば、時間もかからなさそうだった。ちらりと視線を交わして、その依頼を受けて行くことにした。
ベルミードの南門を出て、街道をそのまま南西に。依頼書にあった村――ハス村へは、午後には到着できそうだった。
風は駆けるように、のどかな平原を渡る。淡く翻る外套を見て、ガルドがわずかに目を細めた。
「どんな魔獣だろうね?」
肩越しにそう、振り返ったルシアンに――ガルドが小さく顎を引いた。
依頼書から読みとれたのは、恐らくは地中潜行型だということ。牛をさらっていくほどならば、大型魔獣か、中型の群れか。
夜間に被害が集中しているのは夜行性だからか。
争いの跡がほとんど見られないのはその素早さゆえか。
――様々なことが考えられる。
「……地面に引きずり込まれるってんなら、蛟かと思ったが……」
「蛟?」
不思議そうにしたルシアンに、ガルドがひとつ唸った。
「まぁ、でっけぇヤツだ、が……そいつだったらもっと……騒ぎになってる。多分ちげぇな」
ぽつり、ぽつり、低く呟きながら、足元の土を一瞥する。
舗装の途切れた街道は、踏み固められた乾いた土と、秋草の間から覗く砂利が混じっていた。
「地中型だとしたら、土くれが立つ。……何にしろ、村に行ってみねぇことにはな」
……そのまま、何かを考えるように、眉間に皺が寄る。
視線を横に向ければ、ルシアンが首を傾げてこちらを見上げていた。
「……忘れてねぇぞ、湖もな」
「ふふ、わかってる」
「…………」
微笑を受けて言葉を切り、ガルドは再び、辺りの地形を確認するように視線を巡らせていった。
依頼書にあったハス村へは、日が傾く前に到着できた。
ふたりを見てわずかに表情を晴らした村長らだったが、……すぐにまた、気まずそうに頭を下げる。
聞けば、ギルドのほうに報告に出した情報が全てで、被害が多いのが夜中だということもあり、魔獣の外見などは確認できなかった。提供できる情報がない、と頭を低くして恐縮していたようだった。
「何もお役に立てず……調査中の拠点に関しては村の空き家をお貸しいたしますので、どうぞお使いください。何かご不便があれば、お申し付けください」
変に恭しい口ぶりは、妙に身なりの整ったルシアンを見てのこともあっただろうが……せっかく依頼を引き受けてくれた冒険者を、逃がしたくない思いもあったようだ。
眉を下げて微笑んだルシアンが、小さく頷く。
「ありがとうございます。では、被害にあった牛舎に案内していただけますか」
「ええ!こちらです、複数ございます」
魔獣被害のあった牛舎は、村と村の西側に広がる放牧地の間に、数棟が点在していた。
村からはある程度の距離こそあるが、安全と言えるほど離れているわけでもない。魔獣が村人を襲わないとも限らなかった。
すん、と、小さく鼻を鳴らしながら、ガルドが周辺の土に視線を向ける。
パッと見ただけではわかりにくいが、足元は柔らかく、遠くに見える放牧地も、ところどころ隆起しているように見える。
牛が地中に消えたとされるところも、不自然に盛り上がった土くれが残っていた。
「や、やはり、地面の下に魔獣がいるのでしょうか……」
ぽつりと漏れた村長の不安げな声は、目に見えないそれを刺激しないかのような、静けさで。
「……わかるかい、ガルド」
ルシアンもまた、そう言いながら、ガルドを見上げた。
土の周辺に残った、太めの爪痕。穴らしきの直径は、そこまで大きくはない。
牛を引きずっていけるほどの、力。移動速度。
「……ヴァルクレッサ、かもな」
「…………」
村長と並んで、きょと、としていたルシアンだったが、――記憶に引っかかりがあって、顎に指先をあてがった。その名前は確か、ギルド書庫の魔獣図鑑で見た覚えがあった。
ヴァルクレッサ。地中潜行型の中型魔獣で、夜行性。
牛などの大型家畜を狙うことが多い魔獣だった。
一、二体ではさして脅威ではないが、この半月で三頭の牛をさらっている。
ともなれば、小規模ながら群れを持っていることも考えられる。その群れが、もし襲ってくれば。
「ヴァルクレッサなら、地面に潜ってからの移動速度はそこそこある。……奴ら、音と振動で寄ってくる」
ガルドはそう言いながら、牛舎の周囲をゆっくりと一周する。
踏みしめた土がわずかに沈むたびに、足裏で何かを探るように歩を進めた。
「……村近くに、巣があるのが、一番マズい」
わずかに眉を寄せ、目線を地面に落とす。
放牧地の遠く、森の手前にかけて、ところどころ歪な隆起が続いていた。
「……じきに夜も来る。見れるうちに見とくか」
そう言って、ガルドはちらと隣を見た。ルシアンは頷きつつも、まだ書庫での記憶を手繰り寄せているようだった。
「……。よそ見してコケんなよ」
腰の剣帯に手をかけたまま、ぼやく声は、やれやれといった慣れた響き。
秋の風が一陣、草をなびかせていく。
その香りの中に、わずかに土の湿った匂いが混ざっていた。
――【ハス村の異変】




