【ガルド、ひとり】
廃教会の依頼を終え、街へ戻れば――あと一刻で夜明けというところ。
ひとまず宿屋に戻ったふたりは、昼まで睡眠をとることにした。
が、街は容赦なく目を覚ますし、朝の陽射しも問答無用で窓から差し込む。
朝の眩しさにガルドが目を開ければ、恐らくまだ午前中。……目は、冴えてしまった。
ぎしりと起き上がる。大きな欠伸をひとつ――がし、と首をかく。
「…………」
もう一度寝る気にもなれず、もそもそと街着に着替える。
着替えながら隣室の気配に耳を澄ますが……物音はしない。どうやら雇用主は、まだまだ起きてこなさそうだった。
「…………」
――む。と思う。
ルシアンと出会う前は、当然ソロでやっていたため、自分一人の時間がほとんどだった。
だが今は自分がどうやって、その一人の時間を過ごしていたのか、……思い出せない。
案内をし、振り回され、飯を食い、隣に立つ。
隣に立ち、同じ景色を眺め、剣となり盾となり、時おり向かい合う。
――すん、と鼻を鳴らす。この部屋に……あの匂いはしない。
そう思うと、途端に嗅ぎたくなる……。
「……、……やべぇ奴だな……」
ため息をひとつ。
記憶の中の香りに沈んでしまいそうで、気を紛らわすために宿を出た。
仮にルシアンが窓から見ていれば、恐らく面白そうに目を細めるところ。――さながら、ガルド、一人でお休みの日を過ごせるのか、である。
午前の街は、思いのほか穏やかだった。
露店もまだ開き始めたばかりで、商人たちがのんびりと商品を並べている。
子どもたちの声が聞こえるのは、中央通りから少し外れた広場のあたりか。
特に目的もない。それに気づくと、ガルドは少しだけ足を止めた。
視線を上げれば、青空の下に伸びる路地……今日は、少し風が穏やかだ。当然、あの姿も、あの匂いもどこにもない。
「…………」
無言のまま、露店通りに視線を流す。何かを探しているわけじゃないが、何かを探していた。一人で小さく首を傾げる。
ハッと眉を数ミリ浮かす。……また迷子にぶつかられやしないかと、目線を一瞬足元に……が、今日は『がる!』はいないようだ。
小さな息を、ひとつ。ため息にはならなかった。
しばし当てもなく歩き、やがて立ち止まったのは、道端の小さな店先。鉱石や金属片、磨かれた鉱物のブローチなどが並べられていた。
店番をしていた老婆が、じっと見上げる。何も言われない。ガルドも何も言わない。ただ黙って、ひとつの銀色の鉱石に目を止めていた。
――少し、色が似ているな。
ふと、そんなことを思う。指先がそれに触れかけたが、何もせずに手を引いた。
「……飾り物に、加工できるよ」
老婆が言うが、押し付けの気配はない。少し間をおいてガルドが首を振れば、そうかい、というように、頷きがひとつ返ってくる。そのまま、何を交わすでもなく店を離れる。
昼にはまだ少し早い街の風。まるで誰かの気配を探すような、……まぁ、恐らく、"散歩"。
ただ一人の、静かな時間だった。
そうして街を歩く中……ふと足が止まったのは、小さな雑貨店の前だった。
細い通りにひっそりと構える、素朴な造りの木造の店。入口脇の窓ガラスの向こうには、ガラス細工や薬草、香油の小瓶などが並んでいる。
普段であれば、間違いなく、用などない類の店、だが。
――引いた扉は、軽かった。ちりん、と鈴が鳴る。
「いらっしゃいま、せ……」
入ってきたガルドを見て、年配の店主が目を丸くした。街着で外套をまとっていなくとも、威圧感の漂うその風貌。たくましい肉体が浮かぶシャツは……、少々この店には合わなかった。
一歩踏み入れば、ぎし、と床板が鳴る。チラと足元を見下ろしたガルドが、片眉を吊り上げて店主のほうに視線を向けた。
「……見るだけだ」
「ええ、もちろん。ごゆっくりどうぞ」
にこり、と、店主が笑う。それきりカウンター脇の木の椅子に掛け、新聞を開く。
しん――とした店内。店の置時計が秒針を刻む音、通りを街の子どもたちが駆けていく声。かさり、と新聞がめくられる音、きしり、とガルドの足元、床が軋む音。また一歩、店の奥へ。
棚を眺めていく。
ガラス細工は様々なものが並んでいる。可愛らしいものから繊細なものまで。
棚を眺めていく。
革の手帳カバー、細身のループタイ。自分には用のないものにばかり目が行く。
恐らくこの場に自分は似合わないだろうに、店主は気に留める様子もない。
――そういう、街なのだ。
香油の棚には、小瓶の前に細く小さい木の破片が並べてあった。それぞれからかすかに、香油の匂いが漂う。
くん、と鼻を利かせるが、そのどれからもあの匂いはしない。
(……ねぇな……)
何を探していたわけでもないのに、あの――木と花の香りを探していた。
あれは確か……セレフィーネで買った、と言っていた。あの街でのみ、手に入るものだったのかもしれない。
「贈り物ですか」
新聞を読んだまま、店主が眼鏡の向こうで笑う。
思わず睨む――のは違う気がして、振り向けない。
「……。……好み、は、知らねぇ」
かろうじて、答えとも何とも言えない答えが喉から出る。
店主は新聞をたたむでもなく、伏せるでもなく、紙面に視線を落としたままに目を細めた。
「贈られれば、好みになりますよ」
「…………」
手に取ったままだった木片を……、ガルドが棚に戻す。
指先に、――かすかに慣れない香油の香りが残った。
「そういうもんか……」
つぶやくように返した声に、新聞を読む店主の指がぴたりと止まる。
だが、やはり顔を上げることはなかった。
ガルドが肩をひとつ、緩く落とす。赤い瞳が再び、香油棚に。
柑橘の香りがするもの、無垢な木材のようなもの、甘さの強いもの。
どれも、ピンと来ない。あれがいつもまとっているのは……。
あれがいつも、まとっているのは、
――香りではなく、空気で、雰囲気で、気配だ。
思い出すのは、淡く甘い、けれど澄んでいて心地の良い香り。
……それは、香油そのものというより、彼の匂い。穏やかさ。ただ自然とそこにあるような。
(……贈られれば好みに、か……)
無骨な指が、ふと棚下段の小瓶に触れる。
柔らかな、けれど深い緑の香りが、かすかに鼻先をくすぐった。
ほんの少し、記憶の彼に似ていた。――似ていただけ。それでも、思わず瓶を手に取っていた。
「…………」
「……簡単に、お包みしましょうか」
「……。……、ああ」
そう答える声に、店主はまたふふ、と笑う。新聞を軽く折りたたみながら、椅子から立ち上がる。
ガルドがカウンターに代金を置けば、目の端だけでちらりと見て頷き、小箱を取り出した。そこへ、小瓶を丁寧に詰める。
柔らかい麻紐で、小箱を十字に結ぶ。小さな包みを受け取って、ガルドはひとつ、店主に目を向けた。
「……世話んなった」
「またどうぞ」
一拍、視線が交差するが――その言葉には返事をせず、静かに背を向ける。背後でまた、かさりと新聞を広げる音。ちりん、と扉の鈴が鳴る。
秋風が通り抜ける通りに出て、少しだけ、鼻を鳴らした。
――んで、どのツラ下げて渡すってんだ。
そんなことを思っている自分に、少しだけ苦笑いが浮かんだ。
――【ガルド、ひとり】




