【あそこはまたね】
一歩ずつ、秋風の吹く丘を登る。
その教会は昼の陽射しの中にあっても、どこか薄暗かった。
両開きの木製のドアは、片方が外れて伏せてある。そこから軽く内部を確認したガルドが、目線で"大丈夫だ"と合図をする。
足元の瓦礫を跨ぐように、ふたりはその中に入った。
「これは……」
外から見ると、薄暗かったが――中に入ってみれば、午後の陽光が割れたステンドグラスに差し込み、床に複雑な色彩を広げていた。
おそらく女神像だったであろう石像は、腰辺りから崩れて床に伏している。
木でできた長椅子がぽつぽつと乱雑に並び、外が見えるほどにひび割れた壁にはツタや植物が這っている。
「……荒れてるが、……丘の上だ。風と雨の風化だろうな」
「……昔は祈りに来る人々で、賑わっていたんだろうか……」
進むルシアンの靴底で、ヂャリ、と色付きのガラスが小さく鳴った。西からの風が吹き込み、廃教会の中で渦を巻いて消える。
風を孕んだ淡い外套が、揺れる髪が、その風の姿を映すかのようだった。
「静かで、綺麗だね、ガルド」
ぽそりと落ちたその言葉に、ガルドはわずかに目を細めた。
静謐――とは、恐らくこういうことを言うのだろうと思った。
長い時を経て、信仰も人の気配も消え失せたはずの空間が、なおも"何か"を宿しているように感じられる。
足元のガラスと砂を踏みしめ、ガルドが前へ出る。
正面奥、倒れた像の前で膝をつき、手でそっと破断面をなぞった。
「…………」
この像も、風化によって自然に倒れたのだろうか――もともとが古そうだった。人為的な破壊の痕はなく、その後に人の手が入った形跡も、まぁ、ない。
ルシアンもまた、椅子の背に軽く指を添えながら、その朽ちた女神像を見ていた。
陽の光が射すたび、破れた天井から塵がゆっくりと舞い落ちる。時折吹き込む風が、それが女神像に降り積もることを許さない。
大きな背が、その中に、ただある。
「……ガルドは……」
何気なくルシアンの口から零れた言葉は、それきり紡がれずに風にさらわれていった。
――神を信じるのか、と聞きそうになって……、そういう男ではなさそうだ、と思ってしまった。
靴を鳴らして立ち上がったガルドが、わずかに振り返る。ルシアンを見つめる赤い瞳は、特に表情もなく、けれど穏やかだった。
「……ふふ、なんでもないよ」
「……、ふん」
重い、ゆったりとした足音が、その場に低く響いた。ルシアンも目を伏せ、かすかに口の端で笑う。
「ここでも、祈ってくのか」
「うん?そうだね、折角だし」
「……敬虔なこった」
ぼそりと呟いたガルドの言葉に、ルシアンの瞳が静かに細められた。
ごつ、ごつ、と教会の入口へと去っていく足音は、"任せた"と言っているようにも聞こえた。
だろうね、と笑って、ルシアンは一人、かつての女神像の前で胸に手を当てる。
呼吸をひとつ落として、瞳を閉じた。色とりどりの陽光が、彼のまつげをキラキラと照らす。
役目を終えたこの場所を、刻み込むように。どこか、忘れないように。
西からの風が止むことはなく、歌声が聞こえることもない。
ただその後ろ姿をガルドが見ていて、そんなふたりを陽光が見ていた。
「……さて、また夜に来よう」
振り返ったルシアンは、ごく静かに微笑んでいた。
ふたりは軽い休憩と少し早い夕食をとるため、一度ベルミードへと戻っていた。
街の通りでは、黄昏がすでに石畳を静かに染め始めている。
魔法石の街路灯が、ひとつ、またひとつと灯っていく。これから夜の"礼拝"へ向かう前の、つかの間の平穏。
その夕陽に照らされ、銀の瞳が眩しそうに色を変えていた。
「……向こうの通りに、魚料理出す店があったな」
すん、と通りの匂いを嗅ぎながら、ガルドがぼやく。口調は思い出したように――けれど、誘いのようでもある。
ルシアンも頷き、その大きな背に着いていった。
通りをふたつほど抜けた先に、その料理屋はあった。やや上品で静かな雰囲気で、……ガルドひとりであればまず選ばないような店構え。
店内には商人や住民の姿も見えるが、皆落ち着いて食事をとっている。そこへ入ろうとした時だった。
ルシアンの足が、店の扉の前でわずかに止まる。くる、とガルドを振り返り、笑う。――にこり。
「やっぱりお肉がいいな。炭焼きのお肉」
「あ?……ああ、んなら表通りだ」
ふい、とガルドが視線を投げたほうを見て、ルシアンも満足げに頷き、そちらへ向かって歩き出す。
なんだ……と思いつつ去り際にガルドが店内を覗く。……おかしなところは何もなく、あえて言うなら店の奥、着飾った客が銀の器を囲んで、談笑している程度。
――あれは、商人か、貴族か。
「…………」
……ガルドもまた、踵を返す。
背を向けた淡い外套には、三歩ほどで追いついた。
並び、歩く。
「……あの店、また今度行くか」
「うん、そうだね、美味しそうだった」
……どうやらあの店を、気に入らなかったわけではなさそうで――ということは、"避けた"のだろうか、アレを。
なるほど、覚えておく、と、――護衛が隣の淡紫を盗み見る。頬に触れる夕陽の暖かさ、銀の瞳を細める仕草には、ほんの少し残念そうな色合いが見えた。
すん、ともう一度、鼻を鳴らす。
「炭焼きは……猪肉だな」
「いいね」
問い詰めるつもりも、咎めるつもりも、探るつもりもない。その表情が満ち足りた顔をしている限り、そんな気はさらさら起きなかった。
西の空が、夜の帳の中に、ゆっくりと沈んでいこうとしていた。
――【あそこはまたね】




