【その日もいつもの日】
ふたりが街へ戻るころには、すっかり日が昇っていた。
黎明の気配はもうなく、ベルミードは生きる人々の喧騒に満ちている。
目を覚ました街の活気は、夜を通して活動していたふたりには少々眩しすぎた。
ひとまず一度仮眠をとることとし、宿屋の各自の部屋へ戻る。
「あとで夕飯を食べて、ギルドに行こうね」
自室へと引っ込む直前に、ルシアンは眠たげな顔で、そうガルドに笑った。
ああ、と短く返し、ガルドも自室の扉を開ける。――扉の向こうは、いつもの静けさ。
革のブーツを乱暴に脱いで、外套も、大剣も、ひとまず脱ぎ捨て隅に押しやる。
ポケットに手を突っ込めば、角の潰れた箱が指先に触れた。それを、取り出す。
表情は変わらず、けれども窓際の椅子にドカリと腰を下ろす。
煙草を一本口にくわえて、火種を――……、
(…………今日……、いや、……いいか、どうでも……)
火種を、灯す。ジリ、と煙草の先に赤く火が灯って、紫煙がたゆたった。
どこか残響のように、黎明の気配がまだ、胸の奥に残っている。
――"今日もまた、誰かが朝を迎えられますように"。
あの祈りが、確かに世界に届いたことを思い出す。
予期せず、自分にも突き刺さってしまったことも、思い出す。……鼻で笑った。
やがてその小さな火をもみ消し、ガルドはため息のように短く息を吐いた。
放り投げていた剣を壁に立てかける。外套も椅子に掛けなおす。
穏やかな"祈り"を、少しだけ胸の奥にしまい込んで。
ベッドに倒れ込んだ身体は、静かに深い眠りへと沈んでいった。
――夜。
仮眠をとったふたりはいったん街へ繰り出し、遅めの夕食をとっていた。
魚と香味野菜の乗った皿から、少量の食事を取り分けたルシアンが、残りを皿ごとガルドのほうへ押しやる。
「ギルド、遅くなってしまうかな」
押し付けられた皿を当然のように受け取りつつ、ガルドが片眉を上げた。
壁の時計を見れば、夜の八つ時を過ぎたあたり。
「……人は減るが、あそこは夜中でも閉まるわけじゃねぇ。ギルド酒場で酒飲んでる連中もいる」
「そうなんだ」
目を丸くして、ルシアンが皿の魚を口に運んだ。
――こうして色々わかっているようでいて、疎いことにはしっかりと疎い。知識の偏りが"興味"に特化しているのだ。まぁ、"らしい"なとも、思う。
「……宿戻っててもいいぞ。報告して、素材売ってくるだけだ。……お前が行ったらまた"目立つ"」
「ええ?君だって目立つじゃない……私もついていって睨んであげるよ」
香味野菜を端に寄せ、魚を大ぶりに切り分けて口へ運ぶ寸前、……聞こえた提案に、ガルドは思わず正面の男を見据えた。
は?といったその視線が向かう先では、銀の瞳がわずかに細められている。にこやかでいて、どこかいたずらな色が混じる微笑。
「……はっ、おっかねぇ」
がぶりと魚を口にして、ガルドはフォークを皿に置いた。ルシアンの傍らには果実酒の杯があって、半分ほど減っている。酔いはほのかに回っている。……"おふざけ"だ。
「んじゃ、"睨んで"もらうとするか」
「ふふ」
とぼけたように吐き捨て、ガルドも酒の杯を傾けた。
夜間勤務で少々人の減ったギルド――カウンターに腰を据えていた受付嬢は、夜風を伴って現れたその麗しい男に……少しぎょっとした。
ギルドホールに併設の、食堂兼酒場。依頼を終えてそこで酒盛りをしていた冒険者たちも、わずかにざわつく。
淡い外套、少々ラフな街着。機嫌のよさそうな顔、わずかに朱が差した頬……。
――"無哭"の相方が、ほろ酔いだ……。
酒場のほうが、どよっとする。
(そ、そういう……"そういう感じ"なのか……?)
(こないだ見たときは、もっとこう、端然としていたはず……)
(つか"ほろ酔いでギルドに行くな"とか、……無哭は怒んねぇのか……?)
(いや……やっぱ、無哭よりも魔術師のほうに決定権が……)
……冒険者たちの間で、そんな勝手な憶測が飛ぶ。
だが凝視すれば、赤い瞳に刺されかねない。……命の危険を感じ、直視は避けることにしたようだった。
一方ルシアンは柔和な笑みをたたえ、依頼書二枚と、納品物の魔力鉱石十個、ゴロツメ三体の討伐証明部位を、丁寧にカウンターへ置いた。
「こんばんは。依頼の報告をお願いします」
「っ、はい、承ります!」
びくりと返事をしつつ、受付嬢がぎこちなくそちらを処理していく。
ルシアンの背後では、結局はガルドが、周囲の不躾な視線に一瞥をくれていた。肩越しにそれを見たルシアンが、緩く目を細める。
「ガルド、売却分の素材、頼んでいいかい」
「……ああ」
声の方へ向き直ったガルドは、肩をいからせることもなく、静かに踵を返した。
ギルドホールの、左手の壁際。複数の窓がある素材買取カウンターは、今はひとつだけ解放されている。窓の奥、事務机から様子を見ていた査定人が、半ば慌てて窓口へ応対に出てきた。
ガルドは特に眉ひとつ動かすこともなく、魔獣の外殻が入った袋をカウンター上に置く。職員は、その"無造作さ"にさえ緊張の色を浮かべていた。
「……ゴロツメ、三体分」
「は、はい、お預かりいたします……!」
やや早口でそう言って、職員が素材を奥の秤へと運ぶ。その背を見送りながら、ガルドは短く鼻を鳴らした。
振り返れば、ルシアンは相変わらず穏やかに受付嬢と話している。少し酔った気配はあるが、言葉遣いも振る舞いも乱れはない。
それが、逆に冒険者たちを妙な緊張感で包んでいた。
「……やっぱ、見られてんじゃねぇか」
小さな文句と舌打ちは、誰にも届かずに口元で消えた。
「では、報告書にサインをお願いします」
提出された報告書の確認を済ませ、受付嬢が丁寧に書類の下部を指し示した。わずかに頷いて、ルシアンがカウンターに屈みこみ、細い筆致でサインをしていく。
伏せられたまつ毛、ペンを握る指先、そして書かれる文字までも、どこか洗練されたものを感じる。
凝視してはいけないと思いつつも……受付嬢の眼差しは落ち着かない。――女の自分より肌が綺麗なんじゃないかしら、と見つめてしまったあたりで、その銀の瞳がほんの一瞬だけ、ちろり、と受付嬢を見やった。
止まりかける心臓。でももう逸らせない視線。
だが次の瞬間には、もう柔和な笑みが浮かんでいる。
「サインできました」
「あッ、ありがとうございます……、……あの、ルシアンさんってすごく、あの……」
「?……はい」
「すごく……いい匂いがします……」
発言をしてから、とんでもなく無作法だったことに気が付き、受付嬢が慌てて口を抑えた。
無哭の睨みが飛んでくる。受付嬢の心臓が……別の意味で止まりそうになる。
しかしルシアンは、何ひとつ動じることなく、いつもの笑みを浮かべていた。
「おや……、ふふ、ありがとうございます。香油ですかね。――どうも、これが気に入りで」
何ひとつ主語を言わず、ルシアン――にこり、である。
は……と受付嬢が固まる。しん……と酒場が鎮まる。
そろり、とガルドが目線を逸らす。
そんなギルドホールの硬直を置き去りに、ルシアンはなおも機嫌よさげに、買取カウンターの方へ足を運んだ。
覗き込むような眼差しが、ガルドを見上げる。
「お待たせガルド。査定結果は明日になりそうかな?」
「……、……てめぇ……」
ガルドも小さく呟いて返すものの……それ以上を言えば色々と……自分で説明してしまうことになりかねなかった。もはや何も言わず、いや何も言えずに、買取カウンターのほうに向き直る。奥の秤で素材を検分していた査定人が、かすかに肩を跳ねさせた。
「おい、査定急がねぇ。……また来る」
「あっはい、お待たせしてすみません!」
チッ、と響いた舌打ちは、査定人の肩をまたびくつかせたが、彼に向けられたものではなかった。
ふたりそろって、歩き出す。
ギルドホールを抜けて、大扉へ。夜の通りへ出れば、街は少しずつ明かりを落としていくところ。
「明日には、査定終わってるかな?」
「……量も多くねぇ、ありゃ夜で人出が少なかっただけだ」
「なるほど……」
――いや"そこ"じゃねぇだろが……とガルドが隣を見下ろしたが……。
銀の瞳は、……何もなかったように、隣で笑っていた。
――【その日もいつもの日】
《旅の記録》
・場所名(通称):黎明讃座(夜明けの回廊)
・最寄り街:ベルミード
・景観種別:静/謎
・特徴メモ:林の奥、風の抜ける隙間に隠れるように存在する小規模神殿遺構。外周から内側へ回り込む回廊構造。等間隔に並ぶ石像は侵入を認識するが、敵意は示さない。最奥に黎明の書板が据えられている。
・時期・時間帯:晩夏・夜明け前〜黎明
・再訪:可
・個人的メモ:
「夜明けは、いつも誰かの祈りの上に訪れるのかもしれない。」
――ルシアンの手帳より




