【黎明讃座】
夜も更けたころ、目的地である遺跡あと――"夜明けの回廊"に、ふたりは立っていた。
入り口は目立たぬ茂みの奥、風の通り抜けるわずかな隙間……人一人がやっと通れる幅を、ガルドが探り当てた。
林の中に、ひっそりと佇む、……恐らく、神殿。……もともと、客の来訪を前提としていないような造りだった。
「……俺が先に行く」
「うん」
先導するガルドの警戒のもと、その狭い入り口から中へと踏み入る。街で噂になるほどだから、盗掘屋などにより荒らされているかと思ったが……内部は思いのほか、綺麗なままだった。
外周から、徐々に内側へぐるぐると回り込んでいくかのような通路。角を何度も曲がって、奥へと進んでいく。
野生動物や魔獣の気配などはない。けれど奥に進むにつれて、空気が澄んでいくような気配はあった。
途中、誰かが横着しようとしたのか、壁をぶち抜こうと試みた形跡も見られた。崩れた壁にルシアンが手を添わせて、けれども無言で前に向き直る。ガルドも目の端でそれを見て、やはり無言で歩を進めた。
そうして、やがて、少し開けた通路に出た。
いや、通路というよりかは、広間のようだった。
かつ、と石の床に、ルシアンの軽い足音が響く。広間はやや奥に続いており、左右には等間隔に、石の像が並んでいた。
――その彼らから、"気配"を感じる。
「…………」
ざり、と鳴ったのは、ガルドの革靴の音だった。わずかに足幅を開いた、音。
それに応えるように、石と石が擦れる音。ズズ……と――石像たちが、緩く頭を巡らせて、ふたりを向く。
しかし、その動きには、殺意も怒りも感じられなかった。
だが、確かに"侵入者"を認識した者の反応。
ただの石ではない。それだけを、静かに告げるかのような、反応。
赤い瞳が、像の列の奥――広間の最奥に据え置かれている、……わずかに光を放つ石板へと向く。
「……あれか、石板」
「ん、そうみたいだね」
しん、と静まり返っていた広間に、ルシアンの声は柔らかく響いた。こつ、ともう一歩、石の床を踏む足音。
たったの一歩。だが、それだけで空気が少し和らいだ。
「…………」
こつ、こつり。
一歩、また一歩と奥へ進みながらも、ルシアンは周囲を見渡していった。
それを追うように、石像の頭も、ズズ、ズ――、と緩く動く。ガルドもまた、歩みを合わせてその背を追う。大剣に――手は、かけなかった。
「……神殿か、なんかか」
「……ううん……」
ガルドの問いかけに、ルシアンも小さく唸った。
"夜明けの回廊"と呼ばれるこの場所。何かを守るように並ぶ石像たち。奥に控える石板。
天井付近には採光の穴。まだ夜は明けず、穴の向こうは暗い。そこから時折、外の風が吹き込んでいる。
「……黎明讃座かな……」
「……んだそれ」
「ざっくりと言えば、夜明けを祝福する神殿だよ」
――それは、ルシアンも、何かの文献でしか目にしたことがなかった。
祈りを捧げる場所であると同時に、世界の始まりを讃えるために作られた神殿。
世界中の各所にひっそりとあり、誰が管理しているのか、誰が作ったのかも定かではない。
「よく……わかんねぇな」
「ふふ」
広間の途中、かすかに眉を吊り上げるガルドに、ルシアンは微笑んだ。
その微笑みのまま、左右に静かに坐する石像たちに向き直る。ガルドの眼差しも、同じようにそちらを向く。
「……つことは、こいつらは……守ってんのか」
「わからないけど、恐らくね。祈りを害する者たちが、来ないように」
「…………そんで、魔獣やらもいねぇってか」
「そう、かもね」
ということは、今ここで少しでも"害意"を見せれば、あっという間に囲まれる……ということなのだが……。軽やかに笑うルシアンに、ガルドは肩を落とすように小さくため息をついた。
石像たちは動かない。ただ、確かに"見ている"。それが、全てだった。
温度のないその視線には、敵意はない――認めた、あるいは、任せた。
「通るぞ」
投げた言葉は、ルシアンに対してか、それとも石像に対してか。ガルドが先に進み、足元の石床を確かめながら、後ろの歩調を待つ。
奥へと続く回廊の先――光を帯びた石板が、ほんのわずかに淡く脈動していた。
一歩一歩、足音が神殿に染み込んでいく。
"夜明けの回廊"に、静かなる祈りと共に。
最奥に控える石板、――"黎明の書板"。
夜明けの回廊が"世界の祈りを記録する場所"だった頃、この石板には、毎朝一行ずつ、祈りの詩が刻まれていた。
その詩は祈り手の願いや思いで形を変え、夜明けにしか浮かび上がらない。
祈り手がいなくなって久しい今も、時折"誰かの無意識の願い"を受けて、わずかに光ることもあった。
――すらり。
ルシアンの指先が、その書板をなぞっている。立ち並ぶ石像ですら、息をひそめたかのようだった。最後の祈り手が、どれほど昔に訪れたのか……もう、思い出せない。
しん、と空気が澄んでいく。神殿が待っていた、その瞬間を。
「この場所は、"彼ら"は、誰かの祈りを守ってきたんだね」
「…………」
高く設けられた採光の穴から、黎明の気配が漂ってくる。
朝の清らかな光が、もうすぐ世界を包む、そんな気配。
「祈ろうか」
背後のガルドにそう呟いて、ルシアンは静かに胸に手を当てた。
さら、と背後の石像たちからの揺らぎが強くなる。
目の前の石板も、淡い青白い光をたたえる。
そう、ただそれだけを、待っていた。
「――今日もまた、誰かが朝を迎えられますように――」
低く囁く優しい声が、黎明に包まれた神殿に、淡く満たされていく。
ガルドの眼差しは、――静かに伏せられた。
石の回廊が、祈りの言葉を吸い込むように静まり返る。
はぁ――、と、どこからか安らぐような呼吸の音が聞こえる。
それは背後の石像からかもしれなかったし、神殿から聞こえたような気もした。
背後に幾人もの気配を感じた。皆が皆、胸に手を当て、目を伏せているような。
そんな静かな祈りが、石板へと染み渡っていく。
(……誰かが、朝を……)
ぽつり、胸中で、ガルドがそれを繰り返す。祝福のように降った声が、恐ろしいほどに、沁み通っていく。
どうか、今だけは、今日だけは、それが自分のための言葉であると、信じたくなるほどに。
「あ、ほら見てガルド」
静寂を切るような穏やかな声に、ガルドはゆるりと顔を上げた。見れば、ルシアンが石板を指さして、こちらに笑顔を向けている。
ひとつ頷いて横に並べば、石板に青白く光る一文が浮かんでいた。
"ひとつひとつの朝が、終わらぬ夜を越えてきた証でありますように"
「祈りの詩が出てきた。どういう仕組みなんだろうか」
「……さぁな」
低く笑ったガルドの声に、それを見届けるようしていた石像たちの気配が、また"守り"へと戻っていった。
それが何かの魔術か、神秘か、計り知れないものかなど、ふたりにはわからない。
だが、確かにこの場に"何か"が生まれたことだけは、わかった。
「……気に入ったか」
「うん、とっても」
「……ならいい」
背を向けて歩き出したガルドが、ぽそりとそう言う。背中には、満足げに笑う気配がついてくる。
石の天井から一筋の朝の光が差し込んだ。
黎明の気配が、静かに神殿を包み込む。
新しい朝の、始まりだった。
――【黎明讃座】




