【ゴロツメ】
やがて日も暮れ、ルシアンらは被害にあった畑へと訪れていた。
一番最後に魔獣の目撃情報があった畑はまぁまぁな広さで、まだ実っている作物がある。
つまりは、また対象の魔獣が来る可能性があった。
畑の作物は、とりわけ地面に近い作物が食い荒らされていて、……柔らかい地面に、轍のような跡も見られた。
「なんだろう……」
「……ゴロツメじゃねぇか」
「ゴロツメ……、ええと、丸くなるやつかい?」
短く頷いたガルドを見て、ルシアンがその跡の傍らにしゃがみこんだ。
ゴロツメ――。身体を丸めて転がって移動する、夜行性の小型魔獣だ。雑食で外殻が硬く、斬撃よりも打撃に弱い。
「本でしか見たことがないなぁ。出てきてくれるかな?」
ルシアンは、そう笑ってガルドを振り返った。ガルドは返事をせず、ただ肩をひとつすくめてみせる。
そのまま足音を立てずに畑の外周を歩き、別の轍跡や踏み荒らされた土を確認していく。
しゃがみこみ、指先で軽く土を撫で……。――隆起した土の縁が、まだ新しい。昨夜か、あるいは今朝方のものか。
「……まぁ、来るんじゃねぇか、多分」
そう判断して立ち上がると、目線でルシアンに合図する。
ついで、来い、と顎を引く。ルシアンも頷いて、ガルドのそばへと歩み寄る。
「火は焚かねぇからちっと冷えるが、待てるな」
「うん、大丈夫」
こく、とガルドが頷いて、畑の端にある小さな木陰へ視線をやる。
視界を遮らず、風上でもなく、足場も悪くない。待機をするならあそこだ。
移動するガルドに、ルシアンも黙って後を追う。手慣れた動きで隠れやすい場所を選び、腰を落ち着ける。
隣を空ければ、淡い外套を揺らしてルシアンが腰を下ろした。
――日が落ち、じわじわと空気が冷え始める。特に会話はない。今さら会話で間を繋ぐような間柄でもない。ふたりはただ、暗闇に目を凝らしていた。
……自分の外套を、……ルシアンに、かけてやろうかと……ほんのりと、ガルドが思う。
肩が触れるかどうかという距離。いつもの香油の香りが、漂う距離。――取り乱していないのは、もはやガルドの中でそれが"落ち着く匂い"になってしまったが故。
夏の盛りは過ぎ、夜ともなるとやはり、冷える。野営の時は焚き火を焚いているが、今は……待ち伏せの最中だから……暖がねぇな……。そんな葛藤を、ひとり、している。
リー、リー、と虫の音が響く。風はなく、月に雲がかかったり抜けたりしている。
ぺた、と両の手を合わせたルシアンが、しばらくの後にその手を自らの両頬に当てた。そのまま、虫の音を聞くように目を閉じる。
「……何してんだ」
急な見慣れない動作に、思わずガルドが低く問いかけた。
両頬に手を当てたまま、ルシアンが横目で隣を見上げる。
「"なだめて"だよ」
「なだめ……何?」
「"なだめて"。生活魔法のひとつだね」
きょとん、とした顔で、ルシアンが片手を差し出してきた。訝しげにしながらも、ガルドの指先がそこに触れる。
じわり、異様に暖かい。体温よりも、ずっと。
「手のひらがポカポカする魔法だよ。それだけだけどね」
「……使い道がわかんねぇな」
「ふふ、使い方"これ"だけだしね。ちょっと寒いなって時にちょうどいいくらいかな。繋ぐかい?」
つな――……?
ルシアンの片手は、相変わらず頬に当てられたまま。空いている方の手が、す、とガルドの面前に差し伸べられた。
"なだめて"、いる?と銀の瞳が問いかけてくる。がち、とガルドが固まるが――、
「あ、来たね」
「っ……」
ルシアンの呟きと共に、風の中にかすかな土煙と、転がる"音"が混じった。
低く唸るような音は、鳴き声か、殻が鳴っているか。地を這うような、ぐるりと回る速度。……ゴロツメが、夜の帳にまぎれて現れた。
ルシアンの動作は軽やかで、静かに立ち上がり、そして一歩下がり、ガルドの腕に手を触れた。
防御魔法が、巨躯の身体にぴたりと沿うように張られる。ほんのわずかに、"なだめて"の気配だけを残して。
「じゃあ、楽しんで?」
背中から聞こえた声に、ガルドは一瞬だけ振り返った。
その目には、光のない夜の中でも、銀色の微笑がはっきりと映っていた。
「……ったく、お前な……」
舌打ち混じりに呟きながら、地を滑るようにして近づく気配へと、身を沈めた。
つってもよ――と、ガルドは右の拳を軽く握る。ゴロツメ……、正直、大した脅威ではない。
土を跳ねる音と、低い振動が近づく。互いにぶつかるような音。どうやら一体ではない、が。
「……これでいいか」
足元に転がっていた拳大の石を、手に取る。ゆらりとガルドが畑の前に立ちふさがったが、勢いのついたゴロツメは――その影に気づいても、止まれないようだった。
ゆっくりと拳骨を振りかぶる動作。威嚇ではない。杭を打つ場所を見極めるような――。
ブンッ――!
っぐしゃり……、と鈍い音が響く。石を握った拳が、回転するゴロツメの背を打ち砕いた音だった。
鳴き声を上げる間もなく一体目が転がると、……残る二体がわずかに速度を落とした。他に姿はない。全部で三体か。二体の回転の軌道が逸れていくが、まぁ、それを許すガルドではない。
「待てコラ」
ビッ、と握っていた石を左の個体に投げつけ、右の個体には即座に間を詰める。土煙が舞い、闇の中で身が躍る。
二体目は蹴り潰し、石の投擲で動きを止めていた三体目は……尾を引っ掴んで地面に叩きつけた。
びくり、と魔獣の身体が痙攣するが……それもやがて弛緩していった。
「……くそ、相変わらずかてぇ……」
ぼそりと文句を添えながら、ガルドの赤い瞳が木陰の淡紫に向いた。そこには、危機感の欠片もない、柔らかな微笑。ゆっくりとガルドのもとへ歩み寄ってくるその表情には――少々の、苦笑も混じっている。
「ゴロツメは……斬撃よりも打撃に弱いんだっけ……」
「……ああ」
「……この場合、打撃って……ハンマーとかメイスのことだと思うんだけど……」
やや肩をすくめながら、ルシアンがガルドの拳に目をやった。アレを殴って怪我ひとつないのは、さすがというべきか異常というべきか。……拳をポキポキと鳴らし、で?といった具合に護衛は目を細めている。
「大剣でやれねぇこともねぇが、刃が歪む」
「なるほど……」
……だからといって、拳は……代替案にはならない気がする……は、当該護衛には適用されないようだった。
無残に転がった三体のゴロツメを、ルシアンが腰をかがめて覗き込む。一体目、ガルドの拳に叩きつけられた背には、放射状に亀裂が入っていた。
「剥ぎ取りはするのかい?」
外殻の割れたゴロツメを見下ろして、ルシアンがふわりと笑った。
「使えそうならな」
ガルドもしゃがみ込み、手早く傍らのゴロツメをひっくり返した。砕けた外殻を軽く叩き、強度と厚みを確かめる。
「……殻と爪は鍛冶屋に需要がある……割れ少ねぇとこ査定に出すか」
「……割ったの君だけどね……」
「るせぇ」
交わされる応酬には、どこかじゃれ合いのような雰囲気があった。手馴れた動きで解体用に持ち歩いている腰の短剣を抜き、割れた殻の隙間に差し込む。
ひとつ、ぱきん、と乾いた音。殻が外れた音だった。
「……ほらよ」
そう言いながら、殻の一片をルシアンへ。受け取ったルシアンも、しげしげと興味深げにそれを見ている。なるほど蛇腹状に――裏面はここに筋繊維が――厚みは三層になっていて――等々……聞こえてくる"観察"に、残りを処理するガルドの頬が緩んだ。
合間、ちらとルシアンを見やる。銀の眼差しは、いつの間にか解体を進めるガルドの手元に落ちていた。
「……お前は、魔獣の死体とか、苦手じゃねぇのな」
今さらながら、そんなことを思う。問いながらも、手は止めない。
刃先が骨をなぞる音と、虫の音が夜に溶けていく。
「ううん……度胸はある方だと思う……」
「そりゃ違ぇねぇな」
ガルドの即答に、ええ?と意外そうな顔が返る。けれどその笑みは、変わらず淡く。
その銀の瞳は、まるで"生きた証"でも見るように、静かにゴロツメを見つめていた。
――【ゴロツメ】




