【愛され上手の迷子のエル】
「うしあん!」
「ルシアンだよ」
「ゆしあん!」
「ううん、おしいねエル」
ゆっくりと歩くガルドの腕の中、エルがくすくすと、ルシアンと目を合わせて笑う。
伸ばされた小さな手に指先で応えながらも、ルシアンが都度、周囲に目をやる。
「ママとパパと来てたのかい、エル」
「まま、ぱぱ、える!」
「そうかぁ。ママたち迷子で困っちゃうね」
「ね!」
理解しているのかいないのか、なんとか会話らしくはなっているが、幼いためまだ片言で。
ルシアンとガルドを交互に見ながら、ただにこにこと機嫌よくするだけだった。
ガルドの表情は、完全に無。……いや、必死に"無"になっている。
恥ずかしさと気まずさと、子どもを抱えるのが妙に手慣れてきてしまった自分への自覚とで、苦々しいような眉の動きを見せる。
しかしながら、抱かれたままのエルが笑うたび、ルシアンの目元にも穏やかな光が宿る。
からかい半分、微笑ましさ半分――ガルドを見つめるその視線は、優しくて、どこか誇らしげでもあった。
「がる!」
「……るせぇ」
また呼ばれ、ガルドはうんざりしたように目を伏せた。肩に乗った手がわしゃわしゃと動くたびに、視線が泳ぐ。
小声で唸ってみせるが、やはりエルはまるで気にした様子もない。頭をこすりつけてきたり、服の飾りをいじったりと、自由気ままに過ごしている。
ルシアンもそんな様子を見て、わずかにかがんだ姿勢のまま、静かな笑みを深めた。
その指先が一度、小さな手に軽く触れられ、またふわりと離れる。
「エルのおうちはどこかな」
「あっち!」
「ううん……。ママとパパいないね」
「んねっ!」
ルシアンとエルの柔らかなやりとりが続く。石畳を踏みながら、三人の影が並ぶ。
長く伸びた日差しが、エルのくるくるとした髪を金色に照らし、腕の中でじたばたと動くその小さな身体を、まるごと光の中に浮かび上がらせていた。
「ゆしあん!」
「ルシアンだよ、エル」
「うし、ゆ、ゆし、あん!」
「ううん、じゃあ特別にそれでいいよ」
なんだそりゃ、とガルドが眉間に皺を寄せる。"困った"や"助けてくれ"の感情はもうとっくに通り過ぎていて、もはやちょっと口角が緩くなってきている。要は、この空間に絆されてきていた。
ガルドの腕に抱かれているのがまるで当たり前のように、エルも安心しきった表情で笑っている。
「える!ゆし!がる!」
「あぁもう、うるせって……」
肩に頭を乗せられ、シャツの襟をくしゃりと掴まれて……ガルドは観念したようにため息を吐き、肩越しにルシアンを一瞥する。
だがその視線の先で、ルシアンがまた微笑むと、思わず目を逸らしていた。
ふと、遠くから「エルーーーっ!」という女性の声が響いた。
それと同時に、エルがぴくりと反応し、ルシアンとガルドの両方を順に見た。
「まま!」と声を上げると、ガルドの腕の中でもぞもぞと動き出す。
ルシアンが声のしたほうを振り返れば、人混みの中、慌てた様子の女性が一人。こちらを見つけてはいない。若い母親で、明らかに焦っていた。
「……エル、あれママかな」
「まま!」
ルシアンがガルドに目配せをすれば、ガルドがぴくりと眉を動かして、エルを頭上に掲げてみせた。
――長身のガルドの、さらにその上。人混みから頭二つ分ほど、エルの姿が飛び出す。
それは実に……おおっ、と思わずそれを見上げた周囲の住民が、「奥さーん!」とその母親のほうに声をかけるほど、目立った。
「――エルッ!!」
「ままー!」
駆け寄ってくる母親の後ろから、同じく慌てた様子の父親も、息を切らしてやってくる。
住民たちは、いやぁよかったなぁ、と言いながら、また通りの流れに戻っていく。
「まま、いた、ね!」
「ご、ごめんねエル、よかった……!」
肩で息をしながら、母親がへらりと笑うエルにほっと胸を撫でおろした。柔和な笑みを浮かべた男と、娘を抱く巨躯の男。そしてにっこにこの娘。
どうやら保護をしてもらっていたらしいことに、両親共に心の底から安堵の表情を見せる。
「すみませんすみません、ありがとうございました!」
「ま、街の外に出ちゃったかと……!」
「よかったです。エルちゃん、泣きもしないでとてもお利口でしたよ」
ルシアンの笑みを受け、父親がまた頭を下げる。エルは変わらずにこにことしていて、だが差し伸べられた母親の手に帰ろうとはせず、ガルドの服にしっかりとしがみついていた。
「…………」
「え、エル……?おいで……?」
母親の声に、ガルドが離れないエルを持ち上げれば、掴まれた服がビヨンと伸びる。
焦る両親。「いや!」と駄々をこねるエル。
顔をしかめるガルドと――顔を逸らして笑いを堪えるルシアン。
「エルッ!いけません、お兄さんたちにありがとうして!」
「ほら、おうち帰ってご飯にしましょ!アッ、そうだママ、ムック芋のもちもち作っちゃおうかな!」
……ふるふると肩を揺らすルシアン。
――オイ、といった視線を投げるガルド。
半ば必死な両親の説得に応じ、その後何とかエルは母親の腕へ帰った。
ぺこぺこと礼をする両親に、ルシアンも会釈する。ガルドは片手だけ。
「がるばいばい!」
「…………ぉぅ」
威勢のいい子どもに小さく返事をしたガルドを、ルシアンが笑いながら見上げる。
通りの先で、エルを抱いた母親が何度も頭を下げる。父親も何度も礼を繰り返し、やがて三人の後ろ姿が人の流れに紛れていった。
「ん、ふふ、がるだって」
からかうように、とん、と肘が触れ。
「……てめぇ、散々笑いやがって」
小さく低く唸るように、ガルドが眉間をぎゅっと寄せる。
つい先ほどまで服を引っ張られ、頬をぺちぺちと叩かれ、頭に顔を埋められていた名残で、肩や胸元には小さな皺がいくつも残っている。
またかすかに、ルシアンの肩が揺れる。あの子がガルドに懐いた理由。それを、しっかりと分かっていた。
「君、面倒見のいい父親になりそうだね」
穏やかな足取りが街の通りを進む。隣を見上げれば、マジかよ、といった目。
それにまた、ふふ、と口元が緩んだ。
「この街、しばらくいてもいいかもね、ガルド」
ルシアンの優しげな声は、街の通りにふわりと溶けているようで。返事の代わりに、ガルドはほんのわずか、肩をすくめた。
その言葉が、街のざわめきと陽光にまぎれて、緩やかに遠ざかる。焼いたパンの香りが風に乗り、果物売りの声がどこかから聞こえてくる。
それはまるでこの街が、ふたりを歓迎しているかのようだった。
通りには、昼を知らせる鐘の音が静かに響いていた。
喧騒とともに、今日も街は生きている。その中に、ごく自然にふたりの姿が溶けていく。
けれどその背には、どこかいつもより、柔らかい光が差しているようだった。
――【愛され上手の迷子のエル】




