第一章幕間 挑戦者ノ誕生
時間は少し遡り、
ユノ達が訓練所から離れた後も訓練所は、熱を含んだ乾いた空気が滞っていた。
木剣が打ち合わされる音が一定の間隔で続き、足裏で踏みしめられた砂が、白く舞う。
フェンス越しに差し込む光が地面を横切り、影が細く伸びている。
その影の中で、団員たちは持ち場ごとに散り、木製の標的に打ち込み、弓を引き、短い詠唱を繰り返していた。
ルオエンは訓練場をゆっくり歩きながら、その様子を見ていた。
足を止めて一声かけ、必要とあらば剣、弓、槍....武具を取り、動きを団員に見せる。
ひと通り場を巡り終え、ルオエンが足を止める。
木剣の音が少し離れ、呼吸だけが近くに残った。
「……随分、人数が増えましたね」
と声がした。
振り向くと、訓練所の端に落ち着いた佇まいの男が立っていた。
年季の入った外套を崩さずまとい、場に溶けるように控えている。
——カルネだ。
いつの間に来たのか、気配を立てないまま様子を見ていた。
「今回、大量に新人を受け入れちまったがな」
ルオエンは前を見たまま答える。
木剣がぶつかる音が、少し遅れて響く。
「そうですね」
カルネは短く頷き、数人の訓練生を目で追う。
視線が、とある二人のところで止まった。
「『フェージ』と『フェイズ』、あの二人は、活躍してくれそうな気がします」
「あの二人か」
ルオエンの視線も、自然と同じ方向へ移る。
視線の先には、少年が木剣を振り込み、軌道を崩さず打ち続けている。
その少年の名は、フェージ。暗めの青い短〜中髪を無造作に跳ねさせ、細身寄りの体つきでやや前に重心を預けて立っている。丸みを帯びた目元に、まだ少年らしい素直さが残る顔立ち。
ルオエンの視線が切り替わり、
少女が的前で弓を引き、間を置かず矢を重ねていた。
フェイズだ。澄んだ青の短く切り揃えた髪が軽やかに揺れ、しなやかな体つきで力みのない姿勢を保っている。的に矢を充てるたびに、丸みを帯びた目元がやわらかな明るさをつくっていた。
「まだ足りない部分があるのだが……今でも、剣術も弓術も悪くないな」
ルオエンは腕を組んだまま、二人の足運びを目で追った。
「それに基本的な魔法運用も問題なさそうですしね」
カルネがそう付け足す。
息を整える二人の肩が、わずかに上下していた。
「……他の新人団員よりも腕が立ちます。特に模擬戦を見たらそれが分かります。
首都の騎士団が注目しても、不思議ではありません」
「がっはははっ」
ルオエンの笑い声が、訓練所に広がった。
大きいが、どこか乾いている。
「こんな小さな町の防衛団に、騎士様がわざわざ気にかけるかよ」
「……どうでしょうね」
カルネはそれ以上続けず、言葉を切った。
誰かが剣を落とし、砂を擦る音が走る。
ルオエンは、ふっと息を吐く。
視線は訓練場から離れない。
(確かに、あの二人は......)
それでも、胸の奥に小さな重さが残った。
——この並びで立つ時間も、長くはない。
彼が留まる性分ではないとルオエンは理解していた。 旅の埃を落とした日から、剣と知を貸す時間が続いた。団が形になるまで—— 気づけば三年が過ぎていた。
それが終わるだけのことだ。
(あいつの後任はいない。そろそろ考えておかねぇとな……)
その時、カルネはわずかに視線を横へ寄せる。
呼吸の間が、ひと拍だけ長い。
「……少し、お疲れのように見えます」
声は低く、角がない。
踏み込まず、隣に置くように言葉だけが残った。
ルオエンの肩が、ほんのわずかに揺れる。
「おぉ、そう見えるか」
短く返し、喉の奥で息を鳴らす。
「がっはは、別に深い意味はないぜ?
お前さんがどこへ行くのか、気になっただけだ」
視線は訓練場に置いたまま、戻らない。
カルネは一度まばたきをする。
視線が砂地に落ち、すぐに戻る。
「あぁ、そうでしたか。次の旅路は.....そうですね。......”和の国”へ、向かおうかと」
ルオエンの口元がかすかに緩む。
「”和の国”か。懐かしいな。港通りの外れにある小さい団子屋があってだな、そこの団子屋はめちゃくちゃおいしかった記憶があるな。たしか、"天園"(あまえん)と言ったっけな....」
言い終えてから、鼻で短く笑う。
「串が焦げる手前まで焼くんだ。あれがたまらん!」
カルネの眉が、わずかに上がった。
「……ご存じなのですか」
「ん?」
「”和の国”へ行かれたことが?」
視線が静かに向けられる。
ルオエンは一瞬だけ目を細める。
すぐに視線を戻し、肩をすくめた。
「まあな。向こうに、ちと世話になった友人がいてなだな」
風が抜け、フェンスが小さく軋む。
カルネはわずかに目を伏せた。
詮索を重ねない沈黙が、ひと拍だけ落ちる。
「……そうでしたか」
声は静かに置かれる。
視線が遠くへ向いたまま、続けた。
「では、その“天園”にも立ち寄ってみます。楽しみがひとつ増えました」
口元が、かすかに緩む。
ルオエンは鼻を鳴らす。
「おう。寄っとけ寄っとけ」
乾いた笑いが、喉の奥で転がった。
そこに砂を蹴る足音が、聞こえてくる。
「団長ー!」
フェージが、勢いよく飛んだ。
ほんの少し遅れてフェイズも続けてやってきた。
ルオエンは振り向かないまま、片手を軽く上げた。
「なんだ、どうした」
足音が止まる。
カルネの視線が、静かにそちらへ向いた。
そこには、二人の姿が映る。
二人が並んで立つ姿に、気負いがない。
離れすぎず、寄りすぎず、間の取り方が自然だった。
横にいるのが当たり前、そんな空気がそのまま形になっていた。
フェージが半歩踏み出す。
靴裏で砂を鳴らし、肩で息を整えた。
「団長」
視線を上げる。
「前よりはつよぅなったと思うぜ」
「一本、手合わせ頼む!」
言い切ったあと、顎を上げかけて、わずかに止まる。
握った拳に、もう一度だけ力が入った。
「気合いがあるのはいいが...まだ俺に挑むのは早ぇと思うぞ」
低く響く笑いが、訓練場の空気を揺らす。
ルオエンの視線がゆっくりとフェージへ向いた。
「先輩らから一本取れた実績積んでから考えてやる」
フェージの口元がきゅっと結ばれる。
一瞬だけ視線を逸らし、浅く息を吐いた。
踏み出しかけた足を戻し、つま先で砂を小さくならす。
少し後ろにいたフェイズが半歩前に出る。
「ねね、団長」
呼びかける声はやわらかく、向けた目は団長に。
「ワタシは、今の段階でも団長と実戦してもいいと思うんだよね〜。
入団したときの課題も終わってるしさ。」
一拍おいて、少しだけ表情を和らげる。
「それに……団長とやったら、きっといい経験になると思うんだよね。」
ルオエンはすぐに返さなかった。
腕を組んだまま口を開きかけて、また閉じる。
「……」
表情は崩さないまま、視線だけがわずかに揺れた。
間を逃さず、フェイズがそっと畳みかける。
「団長……少しぐらいいいでしょ?」
そのやり取りを横で聞いていたカルネが、ゆっくりと口を開いた。
「ルオエンさん」
呼びかけは控えめで、落ち着いた声だった。
「節目として、一旦ここで確認しておくのも悪くない選択かと。実地で見られれば、指導の組み立ても変わります」
一拍置く。
「……個人的に、私も見てみたくて」
言葉は短く、押しつける調子はない。
風が抜け、砂が足元を撫でる。
ルオエンは腕を組んだまま、カルネを横目に見た。
小さく鼻を鳴らす。
「おいおい……お前さんまで言うか」
しばらく黙ったあと、肩の力がゆるむ。
視線が二人へ戻った。
「まったく」
口元にかすかな笑みが浮かぶ。
顎先で前を示す。
「フェージ、フェイズ。お前ら、二人同時で来い」
間を置き、低く続ける。
「——一本だけだ」
言葉が落ちると、場のざわめきがひと拍だけ遠のいた。
張りつめるほどではない空気が流れ込み、それぞれ三人の立ち位置がわずかに整い始める。
砂を踏む音が静かに重なり、風が低く抜けていく。
ルオエンの視線がまっすぐ前へ向いた瞬間、フェージとフェイズは、顔を寄せるでもなく、互いに目配せを交わした。
フェージが一歩前に出る。
フェイズはその半歩後ろで足を止め、手の中の木剣を軽く回した。
ルオエンは腕を解き、足の位置だけをわずかに整える。
三人の距離が、静かに測り直されていく。
フェージが呼吸をひとつ落とす。
フェイズの視線が、横からまっすぐ前へ移ったタイミングで、木剣が構えられる。
ルオエンの肩がほんのわずかに下がる。
その瞬間、砂が弾けた。
フェージが踏み込み、フェイズが横から間合いを詰める。
二つの影が同時に伸び、木剣が振り下ろされる。
乾いた音が、空気を割った。
木剣と木剣がぶつかる。
訓練場の空気が、そこで一度だけ鋭く震えた。
そのあと、砂を踏む音と、木剣の乾いた衝突が何度か重なった。
短く鋭いものもあれば、間を置いて響くものもある。
風が一度、訓練場を横切り、砂をさらう。
誰かの足が踏み直され、砂が低く鳴った。
やがて木の打ち合う音は遠のき、場に残ったのは、踏み締められた砂とわずかに揺れる空気だけだった。
この時、セカイは、二人のことをこう呼んだ。
――挑戦者




