12 いつか恋になる
「おはよう、マーガレット。今日の体調はどうだ?」
いつも、朝起きてすぐに顔を合わせるのは侍女のエレナだった。
それが兄様に変わったのはつい最近のことだ。
毎朝律儀なことだと感心してしまうが、本人はずっとこうしたかったと満足そうだった。
あれから私は、魔術師団にしばらく見習いとしてお世話になっている。
兄様の助言もあって研究や魔導具の開発に携わる部署に置いてもらっているが、内情としては魔力喪失症の回復からの経過観察の一環としての特別措置と言えるだろう。
オリヴァー様や魔術師の方々は私のデータが今後の研究に大いに役に立つと喜んでくれているので、今後もできる限りは協力させてもらい続けるつもりだ。
それに、魔術を習うことが毎日とても楽しくて仕方がない。
エレナはいつも心配そうだけれど、私が外で活動的に動くこと自体は禁止されておらず、今ではお父様やお母様も口出しせずに見守ってくれている。
結果的に私は、望んでいた自立を得られたと言えばある意味そうなのかもしれなかった。
「おはよう兄様。もう何ともないんだから、そんなに気にしなくていいって……」
そこまで言いかけてから、あることに気がつく。
「あれ? そういえば大賢者のお仕事は?」
せっかく休日の予定だったのに王宮に呼び出されてしまったと、昨日からずっと文句を言っていたはず。
もう大賢者の椅子に用はないんだが、と言いつつも国家のために働き続けているところからしてやっぱり兄様は律儀な人だろう。
「そんなものとっくに片付けてきた。何せ俺は最強の大賢者様だからな。王太子のワガママで押し付けられた仕事など、数時間でこと足りる」
ドヤ顔で胸を張っている。
確か、王宮の舞踏会に出席しなければいけないという話だったはず。
数時間でということは欠席の話をつけてきたか、はたまた……。
「もしかして誰かに押し付けたり?」
「さあな。知りたいのなら自分で調べてみろ」
この反応は当たりだろう。
大賢者の代理に立たされる人はさぞ胃が痛いことだろう。
「あれ、でも兄様が舞踏会に呼ばれた理由って、この前兄様が怒らせちゃった隣国の王女様が来てるからなんだよね? それってほんとに大丈夫なの……?」
「当然。王女殿下も俺より赤髪の剣士の方が好きだろうからな」
アレクシス様のような方を呼んだということなのだろうか。
王宮にはまだまだ私の知らない強者がいるらしい。
兄様も仲良しのお友達がいるのなら紹介してくれたっていいのに。
カイル様の時だって兄様は何も言ってくれなかった。
私がアレクシス様と仲良くしているのは気に食わないらしいが、兄様は兄様で私の知らない交友がたくさんあるのだからそれくらい良いじゃないかと言いたくなる。
そういえば、このところアレクシス様と会っていないからまた会いたくなってきた。
アレクシス様は恋多きお人だから、兄様との関係のアドバイスを求めたいのだ。
恋愛感情のあれそれを色々聞きたいところだが、兄様がそれを知ったらまたアレクシス様に剣を向けてしまうかもしれない。
そうなれば、また兄様と魔術で勝負になるだろうか。
最近は魔術師団で面白い魔導具に触れたり、魔術のレパートリーが増えてきたりしたので、喧嘩ではなくとも兄様の指導は受けてみたい。
「そういえば、そもそも兄様は王女様に対して何やらかしたわけ?」
「求婚されたから断っただけだ」
「えっ」
兄様は平然としているが、これまたとんでもない事実が出てきた。
王女に求婚されるなんて、さすがは大賢者様だ。
もし断っていなかったら、今頃兄様は隣国の王女様と結婚していたかもしれないなんて思いもよらなかった。
「俺の功績が理由だろうな。王女殿下は側室の娘で自国では後ろ盾が少ない立場にある。王族ではなくとも、強い権力を持った独身の男がいれば目をつけるのは当然だろう。まさか断っただけで号泣されるとは思わなかったけどな」
「な、なるほど……」
外交問題を恐れ、兄様の師匠であるオリヴァー様が謝る事態になったのだろう。
兄様としては結婚する意思はないのだから、気を持たせるような真似はできない。
けれど、これ以上王女様を泣かせるわけにもいかず、せめて舞踏会ぐらいはということで呼び出されたという事情だったようだ。
これまでも兄様に婚約を申し込むご令嬢たちは数多くいたが、結局兄様本人が頑なに了承しないものだからお父様が困り果てていた。
「俺がエスコートしたいのはマーガレットだけだ。次は一緒に行こう。新しいドレスも仕立ててやるからな」
「兄様って踊れるの?」
「当然。俺は何でもできる万能の大賢者様だぞ」
シャンデリアの下で、正装をまとい踊る兄様はとても絵になることだろう。
その隣にいる私の姿はなかなか想像できそうもなかったが、他の知らないご令嬢だったとするとなんだか少しもやもやしてしまった。
「どうした、嫉妬でもしてくれたのか」
「ちがっ……わなくないかも」
「……!」
思わず素直に口にしてしまえば、兄様は一瞬目を見開いてから嬉しそうに微笑んだ。
その表情は私の知る兄様と似ているようで似ていなくて、けれどもとても暖かかった。
「ほ、ほらもう着替えるから出ていって……っ!」
「愛している、マーガレット」
ベッドから立ち上がり兄様を追い出そうとするも、そのまま抱きしめられてしまった。
魔術で勝負をして落下したあの時、抱きしめられたのと同じ温もりが伝わってくる。
兄様の大きな体ではすっぽりと包まれてしまって、私の目の前は兄様で埋め尽くされた。
まだ兄様に恋をしたわけではないと何度も言っているのに、まるで恋人のような距離感だ。
「兄様!」
「もう少しだけ、抱きしめさせてくれ」
そう囁く兄様の声に、私は大人しく従うほかはなかった。
「私、もう病気になったりしないから大丈夫だよ」
兄様を安心させるように言う。
兄様が私を何度も抱きしめるのは、私がまた倒れないか不安に思っているからだというのは顔を見ればすぐに分かるぐらいだった。
けれど、もう不安に思うことは無い。
なんと言ったって、大賢者様の治療薬で回復したのだから恐れるものなど何も無いだろう。
ねぇ兄様。
今はまだ、恋かは分からないけれど……私の兄様が、世界で一番強くてかっこいいってことはよく知ってるよ。
口には恥ずかしくて出せないけれど、心の中でそう呟いてみる。
兄様もお父様もお母様も幸せにできるような良縁は、最初からすぐそばにあったようだ。




