羊の皮を被った狼
水面に出たミレイユは、川の中の中州に上がっていた。
「大丈夫!?しっかりして!」
ミレイユの呼びかけに、アルトはゆっくりと目を開く。
「お姉さん…」
意識はあるようだった。
「ごめんなさい。私の不注意であなたを危ない目に遭わせてしまって。」
ミレイユは神妙な顔でアルトに向かって謝っていた。
「お姉さんは僕を助けてくれたんだから、謝らないで。僕の方こそ、足手まといでごめんなさい。」
「そんなこと承知の上です。私の気が治まらないから言ってるんです。お詫びに何かして欲しいことはありますか?」
「そんなこと良いのに。あ、でも、お願い、一つ聞いてもらっても良い?」
「なに?」
罪悪感で断りきれないミレイユはアルトが出すであろう頼みごとを聞こうとする。アルトは迷うが、思い切って口にする。
「イルカさんに…たくさん甘えて良い?」
「そんなことで良いのですか?」
「うん。」
「分かりました。そうしてもらえると、この子も喜ぶかもしれませんから。」
ミレイユは目を細めて微笑んでアルトを胸に抱き締め、頭を優しく撫でる。イルカは目の前のアルトの顔を円らな瞳で見つめる。
「イルカさんだ…とっても可愛いし、優しいね。それに、柔らかくて温かい。」
アルトは、紺色の水着に包まれてイルカの口のように突き出たミレイユの胸を、まるでイルカと戯れるかのように水着越しに抱き付き、ゆっくり撫でる。そして、胸の膨らみに頬擦りしながら目を閉じて囁く。
「大好き、イルカさん。」
ミレイユは自分に無心で甘えるアルトを見て表情を和らげ、頭を撫で続ける。アルトはまだ、彼女の胸を水着の上から撫でている。ミレイユは擽ったさを感じてピクリとするが、何とか我慢した。
「ねえ、お姉さん。イルカさんとずっと一緒にいることってできないかな。」
アルトはしばし手を止め、ミレイユの顔を見上げて言った。
「えっ?」
ミレイユは思わず目を丸くして、アルトの顔を見つめる。
「だって、イルカさんはパパとママより優しいもん。だから、ずっと一緒にいたい。一緒にいてくれたら、僕もイルカさんのこと、大事にするよ。」
「何を言ってるんですか。私はあなたの両親の仇なのでしょう?」
「そうだけど。でも、そうだとしても、イルカさんは関係ないよ。」
アルトの答えにミレイユは頭を悩ませる。
(この子、本当にこのイルカを本物だと思っているの?確かに、このイルカは私とは別の意思をもっているようだけど、所詮は水着でしょう?アルトぐらいの年の子だと、その辺りのことはまだ分からないのかしら。)
子供の夢を壊して良いものかどうか、ミレイユは葛藤する。もう少し様子を探ってみることにする。
「もし、この子がいなくなったら、寂しい?」
「うん。とても寂しい。だから、一緒にいよう?イルカさん。」
アルトはもう一度ミレイユの胸に目を落とす。そして、慈しむように笑顔を浮かべて両手でミレイユの胸に位置するイルカの顔を抱き締め、右手で優しく撫でる。
すると、イルカの尻尾の部分が撫でられて喜んでいるかのように左右に大きく振られる。イルカの胸元の目も、心地良さげに目をそっと閉じ、さらには水着の胸元の部分がもぞもぞ動き、アルトに頬擦りして甘えるかのように胸元を擦り付ける。
「可愛いね。イルカさん。気持ち良いんだね。」
赤子は自らの頬を差しだすと、イルカの顔はすりすりと頬擦りをする。イルカの方も、すっかりアルトに心を許しているように見える
戸惑ったのはミレイユだった。自分の水着が自分の意思に反して動いている。イルカとなった水着が胸を勝手に擦りつけるので、くすぐったかった。
「あ…やっ…」
ミレイユは必死に声を堪えながら、アルトを宥めようと頭を撫でる。そして、質問を続ける。
「では、この子がいれば、私はいなくても大丈夫ですか?」
アルトはイルカの顔を抱きしめて撫でながらも、その手を止めて、ミレイユを見上げる。
「お姉さんもいて欲しい。」
「イルカがいれば良いのでしょう?」
「だって、お姉さんがいなかったら、イルカさんもきっと悲しむよ。僕も、イルカさんと遊んでる間ずっとお姉さんに撫でてもらってると気持ちが良いから。」
アルトはもう一度イルカを撫で始める。
「ひうっ……、あなたも、もう戻って!」
堪らなくなり、ミレイユがイルカに語気を強めて言うと、イルカの顔、尾は見えなくなり、再び普通の水着と同じ外見になった。
「さあ、もう良いでしょう?イルカとのお遊びはこれで終わりです。」
ミレイユは呼吸を整えながら、腕の中にいるアルトに言い聞かせる。しかし、アルトはまだ離れず、熱に浮かされたような目でミレイユを見ている。
「どうしたの?」
不思議に思ってミレイユが尋ねる。次の瞬間、アルトは水着越しにミレイユの胸に抱き付く。
「嫌だ。離れたくない。」
アルトはミレイユの胸の中で懇願するように言う。
「な、何を言っているんですか!?イルカはもういないんですよ!?」
予想外のアルトの行動に、ミレイユはアルトの肩を抱きながらも戸惑いを隠せない。
「分かってる。でも、今はお姉さんが欲しい。お姉さん、もうひとつだけお願いがあるの。」
「な、なに?」
無碍にできず、ミレイユはアルトを見下ろす。
「お姉さんの胸のこと、おっぱいって呼んでもいい?」
「なっ……、そんな風にはっきり言われると恥ずかしいですが……、良いですよ。好きなように呼んでください」
ミレイユは顔を赤らめながらも許可する。
「ありがとう、お姉さん。僕ね、お姉さんはやっぱり悪い人じゃないと思うの。」
アルトはミレイユの胸にもたれかかったまま、眼をゆっくり閉じる。
「どうしてそう言えるのですか?」
「こうやってお姉さんのおっぱいに触ってると分かるの。怖いところもあるけど、でも本当は包んでくれるような優しさもあるって。」
「そう……」
優しいという言葉に疑問を持ちながらも、ミレイユはゆっくりとアルトの頭を撫でる。最前の疲れが出たのか、アルトは徐々に寝息を立て始めた。そんなアルトを見て、ミレイユはアルトをそっと抱きしめ、
「ごめんね。」
今一度、アルトに謝罪の言葉を口にした。
■■■
ミレイユはアルトを横に寝かし、傍に小さなフェニックスを召喚した。
「万一のことがあったら、すぐに助けるとして。」
ミレイユは川の方に歩きだした。川に入る前、水着の中に入れていたはずの赤ん坊の気配が全くなくなっていたためだ。
(まさか、川の中に落ちたりしていないよね?)
ミレイユは川を覗き込むが特に赤ん坊がいる気配はない。その時
「僕はここだよ、お姉さん。」
ミレイユの水着の端から、赤ん坊が顔を出す。
「もう、イルカさんとは呼んでくれないのですね。」
「見ちゃったから。水着の中にママと同じおっぱいがあるのを。」
「そう。私のこと、嫌いになった?」
「ううん、もっと好きになった。お姉さん、僕を安心させるためにイルカさんのふりをしてくれたんだよね。」
「あんまり赤ちゃんのうちから物分かりがいいと、後々苦労しますよ。」
赤ん坊を胸に抱きながら、ミレイユが言う。
「気配が全くありませんでしたが、ずっとそこにいたのですか?」
「うん。」
「普通水着に入っていたなら感触で分かりそうなものですが、もしやあなたもアビリティを?」
ミレイユの質問に、赤ん坊は下を向く。
「本当のことを話したら、僕のこと嫌いにならない?」
「話してから決めましょう。ただ、話してくれないなら嫌いになるかもしれませんね。」
「ずるいよ。でも、いつかは話さないといけないと思ってた。いい?驚かないでよ。」
赤ん坊はミレイユの水着に張り付くと、中に溶け込んでいく。
「これは、アルトと同じ能力!?」
赤ん坊は水着に溶け込み、完全に見えなくなった。ミレイユはぶるっと身震いする。水着の中で何かがもぞりと動いたような気がしたのだ。自分の水着を見下ろす。
次第に水着の胸より上に大きな目が、そして口元に大きな怪物のような牙の生えた口が浮かび上がってきたのだ。
「これは!?さっきの坊やなの!?」
ミレイユの声に反応して、水着の目は少しの間ミレイユの顔を見上げる。そして僅かに頷いて見せる。
「そう。僕の名前はマライオ。今の姿が本当の姿なんだ。」
「では、この水着がイルカになったのも、あなたのアビリティですか?」
「いや、それは違うよ。その水着は水中用装備『ドルフィン』。装備すると溺れたりしそうなときに、代わりに泳いで助けてくれるんだ。」
「街で水着として買ったのですが。」
「多分売主が間違えたんだろうね。見た目は普通の水着そっくりだから。そんなわけで、泳げない人にとっては便利なことこの上ないけど、自分の意思でコントロールできないから、あまり売れ筋は良くないんだ。」
「そうでしょうね。」
ミレイユはさっき水着が自分の意思に反して動いていたことを思い出していた。
「僕も両親がいないんだ。といっても、アルトの両親のように他界したわけじゃない。
父さんも母さんも、他の女の人と男の人と一緒に家を出て行ったんだ。残った僕は、孤児として教会に引き取られた。」
「また随分と生々しい話ですね。」
ミレイユはマライオを撫でながら苦笑する。
「でも、引き取られた先の教会も子供を育てられるだけの余裕がなくて、僕はもう少しで栄養失調で死ぬところだった。それで、神父様は、僕を魔物に改造したんだ。」
「えっ!?」
ミレイユは驚愕した。まだ右も左も分からないような赤ん坊を改造しようというその発想に。
「カメレオンの魔物の細胞を移植してね。おかげで、こんな顔になっちゃったんだ。
それでも、僕は神父様が僕の命を救うためにやってくれたと思っていたから、ずっと感謝していた。」
マライオは当時を思い出し、浮かない顔をする。
「でも、それは僕の勘違いだった。見ちゃったんだ。神父様が僕のように身寄りのない子供を改造しようとしているのを。身寄りのない子供相手なら、失敗して死んでも誰にもばれないからね。結果は、僕以外全員死んだ。」
「それで、その神父は今は?」
「死んだ。僕が食い殺したんだ。」
ミレイユは思わずマライオの顔を見る。鋭い歯が生えており、やろうと思えばできなくはなさそうだった。
「軽蔑するでしょ?僕がやったことは人殺しだからね。それでなくても、僕はこんな醜い顔。
生まれてこの方、愛されたことなんて……」
マライオが言いかけたところで、ミレイユの手がそっと彼の顔を撫でる。
「赤ちゃんのあなたがそんなことを考える必要なんて、ないんですよ。あなたぐらいの子は、誰かに愛されることを考えるのではなく、愛してもらうべきものなのですよ。」
「お姉さん…」
「だから、もう我慢しないで。」
ミレイユの言葉にマライオは目に涙を溜める。ミレイユは水着の顔を撫で続ける。やがて、水着の目がうっすらと開くと、それは徐々に横にずれていく。
「坊や?」
ミレイユは水着から手を離して、移動を始めた顔を見つめる。水着の顔はゆっくりと移動し、ミレイユの水着の横端まで行くと、そこでもう一度ミレイユの顔を遠慮がちに見上げる。
「一つだけ、お姉さんのためにやってあげたいことがあるの。」
「言ってみて。」
「さっき水着の中で見たお姉さんのおっぱい、二人ともお友達がいなくて寂しそうだったの。だから、僕が一緒に遊んであげようと思って。」
まるで自分の胸を小さな子供のように言うマライオにミレイユはくすりとして、
「良いですよ。目一杯遊んであげて下さい。」
「うん、まかせて!」
マライオの顔はそのまま水着の内側へと入って行った。そして、ミレイユの水着はまた、外見上は元通りとなった。内部で、マライオはミレイユの胸にギュッと抱きついてきた。ミレイユは目を閉じ、自分の体を抱き締めるようにして、マライオを抱き締める。




