ダンジョンに潜る魔王
魔王城、水のエリア。最近新しく新築したステージだ。
そのエリアの陸の部分で俺は椅子に腰掛け、グラスに入った果実ジュースを堪能していた。まるでマンゴーのような甘くとろけるような味と舌触り。こんなものを口にすることができるとは、魔王の生活も悪くない。本来なら高価でとても口にできないものを飲めるのも、魔王のために働いてくれている国民のおかげだ。我ながらとんだ下衆だと分かってはいるが、一度便利な暮しに慣れるとなかなか抜けられない。
クレアと共に住むようになったが、別段俺の生活は変わっていない。そもそも、ギルドでは俺の討伐命令が出ているのだから、そこはお互い様だ、と心の中で言い訳をしている。ただ、クレアには冒険者が攻めてきたときには関わらせないよう気を付けている。冒険者を始末するところを彼女に見せるのは、流石にまずい。
「魔王様、先日クレアに付けられていたマジックアイテムの件ですが。」
マチルダが俺に声をかけてくる。
「何か分かったか?」
「やはり、アビリティの力を増強させるアイテムですね。復元させて調べてみましたが、私の使う黒魔術と同じ仕組みのようです。まあ、私から見れば若造のお遊びレベルですが。」
マチルダ自身黒魔術師だ。こういうマジックアイテムの知識には詳しいと思っていたので、件のマジックアイテムの仕組みの調査を依頼していた。
「それをどうされますか?」
「一応持っておこう。何かの役に立つかもしれない。礼を言ってく。」
「魔王様の命令とあれば、なんなりと。」
俺はジュースの残りを飲み干す。そこへ波打ち際の水が盛り上がったと思うと、その中からスクール水着を着たクレアが姿を見せる。
「すごい!すごいよ、魔王様!お城の中なのにいろいろなお魚さんがいる!」
「それは、良かったな。」
水辺のエリアは数か所の区画に分かれている。強力な魚型、例えばサメのような魔物がいるエリア、激流や渦巻きがあるエリア。そして、イルカや鰹、鰯等の比較的温厚な生き物がいるエリア、つまり今俺達がいる場所だ。何を隠そう、このエリアの安全地帯はクレアのために作った。サメのような危険な生物がいないのはそのためだ。
それだけではない。この一週間ほど、クレアに普段着の服を買った。外出用のお洒落なワンピースも買った。新しいドレスも買った。ちょっと手の込んだ料理も覚えた。自分でも驚くほどにクレアに付きっきりだった。
それより、クレアの水着姿はよく似合っていた。露出が多すぎるでもなく、スクール水着の下に伸びる足といい、大きすぎず小さすぎない胸元といい、眼福と言わざるを得ない。
当の本人はこの水着について泳ぎやすいし可愛くていい、と言っていた。
「ねえ、魔王様も泳ごうよ。楽しいよ?」
陸に上がって俺の方まで歩いてきて腕を取る。間近で見るクレアの姿を見て、思わず生唾を飲む。
「私は遠慮しておく。」
「え~、どうして?もしかして、魔王様、泳げない?」
「見ての通り普段着だ。この恰好では泳げない。」
「水着に着替えたら?」
「そんなもの持っていない。」
「買いに行けばいいじゃない。」
「魔王がのこのこと水着を買いに行けるか。」
そんな俺達のやり取りをみて、マチルダは呆れ顔になる。
「魔王様、贅沢をするなとは申しませんし、遊ぶなとも申しません。しかし、デリーのような曲者がこちらを狙っている今、もう少し対策を考えた方が宜しいのでは?」
デリーの名を聞き、クレアが不安そうな顔をする。デリーはクレアの元パーティーメンバーだった男だ。他のメンバーとその男は決して仲が悪かったわけではないが、彼が腹の内で何を目論んでいたのかは、誰も知らなかった。
デリーの目的は、魔王を倒すことで間違いない。それ自体は、デリーに限らずどの冒険者もそうだが、デリーは、クレアの時みたいに仲間を利用しようが犠牲にしようがお構いなしというのだから性質が悪い。
「対策と言ってもな。私は魔王で、基本的には相手が来るのを待つだけだし。相手がどこにいるのか見当もつかん。
できることと言えば、そいつを確実に倒せるよう修業を積んで自分が強くなることぐらいだな。」
「それが良いでしょう。ダンジョンの魔物は無限に湧いてきます。それに加えて一部のダンジョンには、少々私が手を入れておきました。
それなりに手応えのある魔物もいるので、魔王様の修行にも使えるでしょう。」
「そうか。では、さっそく行くとしよう。」
俺が鍛練を行うため、ダンジョンに行こうとすると
「待って、魔王様。私も連れていって!」
クレアが付いてくる。
「遊びではないのだぞ?」
「分かってるよ。でも、いざとなったときに魔王様の足を引っ張らないように私も強くなりたいの。」
俺はマチルダの様子を見る。
「行かせてやってはいかがでしょう?」
マチルダは諦めたように笑って言う。クレアが言い始めたら聞かない性格なことは俺もマチルダも知っている。
結局、クレアも連れて、まだ比較的初心者でも入れるダンジョンに向かうのだった。
■■■
魔王の城から遠く離れた所に、魔王の支配を逃れた村がある。言うなれば、始まりの村の一つだ。一つ、と言ったのは、何も始まりの村に該当する場所はここだけではないということだ。
魔王の城から離れるほど、魔王自身も制圧に向かうのが面倒で手付かずだ。それが大きな村でもなければ、わざわざ手間をかけて制圧する価値もない。
ともあれ、その村の付近にあるダンジョンは、スライムやコボルドなど、さほど強くないモンスターが出てくる。クレアの相手をさせるにはちょうど良いだろう。
「クレア。一つ尋ねるが、お前は戦闘経験はどれ程ある?」
しっかり騎士の鎧に身を包んだクレアを見る。
「スライムぐらいなら倒せるかな。」
「では、コボルドならどうだ?」
「厳しい、かな。」
クレアがばつが悪そうに答える。
「そんな馬鹿な。では、私のいる城に辿り着くまではどうしていたのだ?」
「あの時は、パーティの皆が戦ってくれてたから。」
言われてみれば、クレアのパーティーは数量で押すタイプだった。ちょっと強い魔物であっても、束になってかかれば勝てる。それはつまり、一人一人の力は大したことがないとも言える。
少し歩いたところ、さっそく影からスライムが姿を現す。
「で、でた!!」
クレアは俺の後ろに隠れる。
「何をやっている。戦うんだ。」
「私が!?」
「スライムぐらい、倒せるのだろう?」
「そうだけど、あれはただのスライムじゃないよ!」
俺が見ると、そのスライムは通常のスライムの五倍はあるかというボススライムだった。
「何でこんなのが最初のダンジョンにいるんだ!?」
俺は突っ込まずにはいられなかった。
「ダンジョンは、たまに通常の魔物と違う、ボスクラスの魔物がいるんだよ。」
「初心者に優しくないな。」
そうこうしている間に、ボススライムは触手を伸ばしてクレアの方に襲ってくる。クレアは、意を決して剣を抜く。
「え、えーーーい!!」
剣を触手に振りかざしたが、
「あ、あれ?何これ?剣が抜けない?わっ、体が引きこまれる!」
たちまちクレアは剣もろとも触手で絡めとられ、スライムの中に取り込まれてしまった。
「魔王様、助けてーー!!」
スライムの体内でクレアが叫んでいる。
「神通力が使えるようになったのは、不幸中の幸いだな。」
俺は神通力を発射すると、スライムを中のクレアごと吹き飛ばす。
「きゃあああああ!?」
クレアはそのままスライムごと壁に衝突する。スライムはばらばらに飛び散るが、クレアはスライムがクッション代わりになって無事だ。
「おい、大丈夫か?」
俺は床に座り込んでいるクレアに近付く。
「うわあああああん!魔王様ーーー!!」
クレアが泣きじゃくって抱き付いてくる。
「あんまりくっ付くな!粘液が付く!」
スライムの粘液でクレアがべたべただったため、俺にも少々付いてしまった。
「こんなのってないよ!」
「まあ、これは相手が悪かったとしが言いようがない。あんまり気を落とすな。それよりその剣、錆びているぞ。」
「本当だ。」
クレアは今更のように手元の剣を確認する。
「剣の手入れの方法を知らなくて、それで気が付いたらこんなになっちゃって。」
「これはもう使えないな。新しいのを買った方が早い。町に行くか。」
「でも、魔王様が町に出たら目立つよ?」
「尤もな指摘だ。だが、俺だってそれぐらい想定済みだ。こんなときのために以前マチルダに聞いたことがある。
魔王は人間に化けることも可能であると。」
「本当?面白そう!やって見せて!」
クレアは目を輝かせる。
「見世物ではないのだが……、まあ良い。行くぞ!」
俺が念じると、徐々に体が紫色の禍禍しい光で囲まれていく。体を妙な感覚が走る。やがて光が消えていく。試しに両手を見る。尖った爪が消えている。
「わ、魔王様本当に人間みたい。これ見て。」
クレアが鏡を差し出してくる。鏡を見ると、そこに写った顔は、魔王の角が消え、尖った耳は人間のように丸みを帯び、牙もなくなっていた。それ以外特に目立つ変化はないが、これなら町を歩いても大丈夫だろう。魔王の顔を見知っている者がいなければだが。
「ついでに私の分の剣も手に入れておきたい。剣を扱ったことはないので、ちょっと興味があった。」
「魔王様、いつも武器なしで戦ってたもんね。剣を使ってるところ、ちょっと見てみたいな。」
「見世物ではないと言っているだろう。」
並んでダンジョンの出口へと向かった。
■■■
始まりの村、ラコフ。この村は大半が農地で、際立って金持ちの家もなく、皆慎ましやかに暮らしている。それでも、市場はしっかり出ていて、冒険者のための装備も売り出されている。
クレアとしばらく市場を見て回り、目に付いた武器屋で手ごろな剣を購入する。
「お客さん、兄妹揃って冒険かい?」
店主のオヤジが親しげに声をかけてくる。どうやら、俺とクレアは兄妹に見られているらしい。
「まあ、そんなところだ。」
否定するのも面倒なのでそのまま話を会わせておいた。どちらにしろ、魔王であることに気付かれなければそれで良いのだ。
「しかしねぇ、もしこの先のダンジョンへ行くというなら気を付けな。近頃あそこには得体のしれない魔物が出るって話だ。」
店主が表情を引き締めて言う。
「得体のしれない魔物って、どんなのですか?」
クレアが問う。
「よくは分からないが、少なくともスライムやコカトリスのような初心者向けの魔物とは一線を画す奴らしい。冒険者の中にはそいつにやられた者も何人かいる。
ギルドでも賞金を出すそうだが、あまり無理はしないことだ。」
そんな意味深なことを聞いて、俺の中で好奇心が擽られる。どんな奴か一度見てみたい。
俺は魔王なのだし、始まりの村近くの魔物になど、やられはしないだろう。それにその魔物を倒せばギルドから賞金だってもらえる。
「魔王様、まさかその魔物を見てみたい、なんて言わないよね?」
即刻ばれた。顔に出ていたのだろうか。
「ん?魔王?」
店主が訝しげに俺達を見る。
「魔王ではなく、真央!私の名は真央というのだ!」
「そうかい?しかし、今魔王様?いや、真央様と呼んでいたような。」
「私は兄であり、妹の剣術の師匠でもある。だから敬意を込めて真央様と呼んでくれているのだ。」
痛いところを突かれて慌てて取り繕う。
「本当だよ!真央様とっても、強いんだから!」
クレアも必死でフォローする。
「言われてみれば、お兄さん強そうだね。まあ、あんたなら例の魔物でも大丈夫かもしれん。」
どうにか誤魔化せたようだ。
「行くぞ。」
「あ、待って!」
長いことここにいてまたボロを出しては困る。剣を手に入れた俺達は再度ダンジョンへと向かった。