第9章 国のあと
男性解放軍は、ヴァルド連邦と秘密協定を結んでいた。
解放軍がエルティア軍の男性兵士を捕虜にする。
ヴァルド連邦は、その収容と移送を妨害せず、必要な物資を提供する。
ヴァルド側には、大きな利益があった。
エルティアの防衛力が低下するからだ。
男性解放軍にも、利益があった。
徴兵された男たちを、大量に戦場から引き離せるからだ。
エリオは、その協定に署名した。
捕虜の多くは、協定に基づく各地の収容施設を経由し、受け入れ先へ移された。南極基地には、移送先のない者や治療の必要な者が残った。救出された総数と、基地で暮らす人数は、同じではなかった。
各地で兵士の収容が進むうちに、エルティア軍の防衛線が崩れた。数週間後、共和国政府は降伏した。
ヴァルド連邦は、エルティアの併合を宣言した。
介入を準備していた国々は、出兵を見送った。動員は解除され、世界大戦の見出しが新聞から消えた。
国際社会の多くは承認しなかったが、現地の行政機関、駅、学校、病院にはヴァルドの旗が掲げられた。
ダニエルの故郷から、エルティア共和国という名前が消えた。
中央駅の看板も取り替えられた。
駅前のパン屋は閉店した。
店主が国外へ逃れたのだという。
母と妹も、避難民になった。
ダニエルは南極へ送られた。
収容施設には暖房があり、食事があり、医師もいた。
ダニエルの手足は無事だった。
彼は、生きていた。
そして、自分が生きていることを、素直に喜べなかった。
基地へ来て3日目、ダニエルはエリオとの面会を求めた。
「あなたが司令官ですか」
「そうだ」
「俺たちを捕まえたのは、あなたの命令ですか」
「そうだ」
「ヴァルドと協力したのも?」
「私の判断だ」
ダニエルは拳を握った。
「なぜですか」
「徴兵された男たちを救うためだ」
「俺たちは、自分の国を守ろうとしていたんです」
「君は、望んで戦場へ行ったのか」
「違います」
「なら、君は救出の対象だ」
「でも、侵略者を助けたじゃないですか!」
エリオは否定しなかった。
ダニエルの声が大きくなった。
「俺の家はどうなるんですか。母さんと妹は? 俺の町は? あの駅も、パン屋も、全部、俺の国だったんですよ」
「家族の移送については、手配しよう」
「そういうことじゃない!」
ダニエルは机を叩いた。
「だからって、どうしてあんたが俺の国をなくしていいんだよ」
エリオは、ほんの少しも迷わなかった。
「男性を殺して女性を生かさなきゃ成り立たない国なんか、最初から存在しちゃいけないんだよ」
ダニエルは言葉を失った。
エリオは続けた。
「そんなカマキリみたいな国、誰も潰さないなら私が潰す」
「……あんた、正気か」
「正気だとも」
エリオは椅子から立ち上がった。
「私は、国家を守るために男子に死ねと言う人間が嫌いなんだ」
「だから、ほかのものなら壊していいのか」
「少なくとも、君が死ぬよりはいい」
「俺は、あんたにそんなこと頼んでない!」
「知っている」
その答えが、ダニエルには何より恐ろしかった。
エリオは、自分がダニエルの意思に反したことを理解していた。
理解したうえで、何とも思っていないようだった。
ただ、ダニエルが死なずに済んだことだけを、心から喜んでいた。
翌週、エリオは約束どおり、ダニエルの母と妹を中立国へ移送した。
ダニエルも、家族と会うために基地を離れた。
3人は、避難民用の宿舎で再会した。
アリナは兄に抱きついて泣いた。
ダニエルも泣いた。
それは、嬉し涙だった。
しかし、母がぽつりと言った。
「もう、帰る家がないのね」
そのとき、ダニエルはもう1度泣いた。
今度は、悲しかった。
アリナは、兄の袖を離さなかった。
その国が長期の滞在を認めたのは、母と妹だけだった。旧エルティア軍の兵士であるダニエルには、別の審査が必要だった。いまは、面会のための一時入国しか許されていなかった。
数日後、彼は南極へ戻った。家族との通話はできた。帰る国は、なかった。




