第7章 食器
進学率の記事を読んだ翌朝、ユアンは、母へ書きかけた手紙を食堂へ持ってきた。
生きたいとは、もう伝えた。許してもらえなくても生きる、とも。
だが、母と姉たちが何で暮らしていくのか。その問いは、最初の返事を出してからも残っていた。
食堂には、エリオがいた。寄贈された古い図鑑の頁を確かめ、図書の一覧に印を付けていた。
ユアンは、机に下書きを置いた。
「母さんの手紙に、金のことがあったでしょう。父さんの年金が止まったら、暮らしていけないって」
「覚えている」
「俺が戻れば、止まらないんですか」
エリオは、ペンを置いた。
「戻りたいのか」
ユアンは首を振った。
「でも、死にたくないと書くだけじゃ、家族は食っていけません」
エリオが図鑑を机の端へ寄せた。大きな尾羽を広げたクジャクが、そこにいた。
ユアンは、その絵に目を落とした。
「男は、立派に戦えば褒められる。怖いと言うと、逃げたと言われる。どうしてなんでしょう」
「私は、こういうものにも似た仕組みを見てしまう」
エリオは、尾羽を指した。
「逃げるには邪魔だ。それでも、繁殖に有利だったから発達したと考えられている。危険を負っても生き残れることが、能力の目印になるという仮説もある」
「生き残れなかったら?」
「そこで終わる」
「父さんは、羽を見せに行ったんじゃありません」
ユアンは、下書きを引き寄せた。
「母さんと姉さんたちを守りに行ったんです」
エリオは、図鑑を閉じた。
「そうだな。鳥の話だけでは、説明できない」
「人間なら、男が起こした戦争に男が巻き込まれているだけだって、言われます。国の上にいるのが男なら、女も被害者なんじゃありませんか」
「戦争を決めた男の責任を、君の父親に負わせていいのか」
「……父さんは、何も決めていません」
「昔のイギリスに、白い羽根運動というものがあった。第一次世界大戦のころだ。軍服を着ていない男に、女性たちが白い羽根を渡した。臆病者だと辱めて、志願させるために」
ユアンは、母の手紙を下書きの下から出した。
「母さんも、同じだと言うんですか」
「その運動を始めたのも、男の海軍提督だ。女が全員、羽根を配ったわけでもない」
エリオは、手紙には触れなかった。
「だが、戦争を始めていなくても、誰かを戦場へ押し出すことはできる。そこまで、男が始めた戦争だからと言って済ませていいのか」
「母さんは父さんを亡くしたんですよ。年金をもらって、何が悪いんですか」
ユアンの声が、少し大きくなった。
エリオは待った。
「俺も、その金で育ちました」
「私も、死んだ男たちが残したものを使って、生きている」
「司令官も?」
「戦争のために生まれた技術も、特需で豊かになった国も、その後の暮らしに残る。そこで働き、物を買い、暖かい家で眠る。男も女も、その外にはいない」
ユアンは、暖房のそばで乾かされている手袋を見た。
「俺たちも、搾取しているんですか」
「私は、そう考えている」
「だったら、俺が軍へ戻って返すのも、同じじゃありませんか」
「父親から受け取ったものを返すために、君まで死ぬ必要はない」
エリオは、脇に積まれた白い皿を1枚取った。
「利益は男も女も受け取る。だが、責任と死ぬ義務は男全体に押し付ける。男が起こした戦争だからと、何も決めていない男まで、起こした側へ入れてしまう」
ユアンは、手紙を見ていた。
「国家が男を戦場へ出し、その死を、年金や戦死給付金に変えて女子供へ還元する」
エリオは皿を机に置いた。
「その仕組みを使いながら、男だけの戦争だと言って責任を押し付ける。私は、そのすり替えが許せない」
「母さんが年金をもらうことも、そのすり替えなんですか」
「受け取っただけの人間に責任を押し付ければ、私も同じことをすることになる」
エリオは、ユアンを見た。
「だが、その言い分を使って男を送り出し、自分たちを守らせる女たちがいる。それを制度にする国家を、私は、女性が男性を食べるための食器と呼んでいる」
ユアンは、皿の縁に触れた。
「父さんは、その皿の上だったんですか」
エリオは頷いた。
「私には、戦争そのものが、その皿の上の食事に見える」
「でも、母さんは、金のために俺を死なせたいわけじゃありません」
「そうだろうな」
エリオは、手紙の年金について書かれた箇所を見た。
「だが、その金を失わないために、君を死ぬかもしれない場所へ戻そうとしている。君の死を望むこととは違う。それでも、危険を負うのは君だ」
ユアンは返事をしなかった。
「食べる側の男は?」
「同じ食卓にいる。私もだ」
「それなのに、俺には、戻るなと」
「次の男を差し出して食事を続けるつもりはない。君を守った代金も、命では受け取らない」
ユアンは手紙を畳んだ。
「母さんを、嫌いにはなれません」
「君が誰を愛するかは、君が決めればいい」
長いあいだ、ユアンは下書きを見ていた。
戻ります、とは書けなかった。
「ほかに、家族を助ける方法はありませんか」
「調べよう。約束できることから、書けばいい」
エリオは、通信室の担当者の名を紙に書いた。
ユアンはその紙を受け取り、立ち上がった。椅子から離れたところで、足が止まった。
「それから、午後の訓練は休みなさい」
「……見てたんですか」
「昨日も足を引きずっていた」
エリオは立ち上がり、ユアンが書類をしまうのを待った。
「先に医療班へ行こう。手紙は、そのあとでいい」
ユアンは、下書きも母の手紙も、上着へしまった。
2人で食堂を出た。




