第6章 満点
ユアンを迎える十数年前、エリオはWEGを辞めた。
彼が生まれたのは、リヴィナ共和国だった。
世界で最も男女平等な国。
少なくとも、WEGの発表では、そうなっていた。
エリオが少年だったころ、学校では毎年、同じニュースが流れた。
「今年もリヴィナ共和国が、世界男女平等指数第1位となりました」
教室では拍手が起こった。
教師は誇らしげに言った。
「私たちの国は、世界のお手本なのです」
エリオの祖父は、そのニュースを聞くたびにテレビを消した。
理由を尋ねたのは、10歳のときだった。
「どうして嫌いなの」
祖父は、しばらく考えてから答えた。
「この国の男は、50年前に、ほとんど死んだんだ」
当時のリヴィナ共和国は、周辺国との長い戦争に巻き込まれていた。
徴兵対象は男性だけだった。
19歳から55歳まで。
敗戦寸前には、その範囲さえ守られなくなった。
祖父の2人の兄も、戦場へ送られた。
帰ってこなかった。
戦後、人口構成は大きく変わった。
政治家も、企業経営者も、大学教員も、女性の割合が急速に増えた。
男性の働き手そのものが、著しく減っていたからだ。
エリオは高校生になったころ、男女平等指数の算出方法を調べた。
祖父の兄たちが死んだことも、帰らなかった男たちの教育や仕事も、その高い評価には数えられていなかった。
欄がないのなら、作ればいい。
当時は、そう思っていた。
エリオは大学で統計学を学び、WEGの研究部門に入った。
そこで彼は、報告書の改訂案を提出した。
男性だけの徴兵制度による死亡、負傷、教育機会の喪失。
それらを、男女格差の指標に組み込むべきだという提案だった。
上司は一読して言った。
「面白い視点だね」
エリオは喜んだ。
「採用していただけますか」
「いや」
上司は首を振った。
「これはジェンダー平等の研究だから」
「男性の不利益も、ジェンダーの問題ではありませんか」
「もちろん、一般論としてはね」
「では、なぜ」
「あなたの提案を採用すると、女性の地位向上を評価するという、この指数の目的が曖昧になる」
「目的は女性の地位向上なのですか。男女平等ではなく?」
上司の笑顔が消えた。
数週間後、エリオには改訂案が差し戻された。
男性の徴兵に関する記述は、すべて削除するよう求められていた。
拒否すれば、研究予算と内部資料へのアクセスを失う。
上司は親切そうに言った。
「まず組織の中に残りなさい。中にいれば、変えられることもある」
その晩、エリオは研究室で1人、改訂案を開いていた。
削除された表には、数万人の死亡者が載っていた。
数万人。
その数字の下には、平均寿命の推計値があった。
本来なら、あと何年生きられたはずだったか。
その数字を消すだけで、研究者としての将来が守られる。
エリオは3時間、画面を見つめていた。
やがて、改訂案に署名した。
のちに、彼はその署名を、人生で最も恥ずべき行為だったと語るようになる。
だが、その時点では、まだ自分を説得しようとしていた。
中に残れば変えられる。
いつか機会が来る。
そう考えて、翌年も、その翌年も働いた。
男性徴兵に関する提案は、1度も議題に上がらなかった。
やがて、同じ内容の抗議を繰り返す彼について、WEG内部の資料に1つの評価が付くようになった。
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改革に対する保守的抵抗の一例。
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それを知ったとき、エリオは退職した。
その日の夕方、マルタ・ヴァーグの机に、退職報告が届いた。
添えられた抗議書には、死者を数えない評価は平等ではない、とあった。
マルタは、その1行を資金調達計画の横に置いた。
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改革への抵抗は、組織の内部にとどまらず、外部にも広がりつつある。
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活動報告にそう書き足すと、口元に笑みが浮かんだ。
エリオは、その笑みを見なかった。
エリオは世界中を歩き、男だけを徴兵する国を調べた。
戦死者の遺族を訪ねた。
負傷兵の施設を回った。
そして、兵士の中に、戦いたくない者が大勢いることを知った。
彼らの多くは、戦場に行くことを拒めなかった。
拒めば、祖国への裏切りになった。
家族を裏切ることになった。
逃げれば、犯罪者になった。
ある日、エリオは思った。
ならば、逃げたことにならなければいい。
捕虜として連れ去ってしまえばいい。
数年後、南極に小さな基地ができた。
最初の入居者は12人だった。
エリオは、食堂に12枚の白い皿を並べた。
皿の裏には、使う男の名前を書いた。
軍事の経験はなかった。作戦を組み立てたのは、救出された元将校や下士官たちだった。のちに参謀長となる男も、その中にいた。
エリオは資金を集め、収容先と輸送手段を探し、彼らを受け入れる相手と交渉した。
いま、皿は200枚を超えている。
そして、その数は増え続けていた。




