第2章 持続可能な仕事
その記事が配信される十数年前、エリオ・ラウゼニクがWEGを退職した日の夕方。
WEG本部の最上階で、非公開の幹部会議が開かれていた。
WEGは、各国の経済政策や社会制度を評価し、政府と企業に提言していた。その評価は国の評判を決め、国際的な助成金の審査にも使われていた。
軍隊を持たなくても、どの損失を不平等として数え、どの損失を数えないかを決めることができた。
エリオ・ラウゼニクの入館証は、すでに無効になっていた。
出席者は9人。女性が7人、男性が2人。
男性は、財務と法務の担当者だった。
財務担当の男は、退職報告を資金調達計画の上に置いた。
「外でも同じ主張を続けるでしょう。戦時の男性の死傷者を指数に入れろ、と」
指数担当の女性が、ラウゼニクの抗議書に付いた表を開いた。
「入れれば、順位は変わります。これまで改善と説明してきた国も」
議長のマルタ・ヴァーグは、その表には触れなかった。
「女性に不利益がある。男性にもある。彼は両方を数えろと言っているのね」
「同じ事業枠で扱うのですか」
事業担当は、職員の配置表を机に広げた。
「それでは、女性支援の予算が削られます。こちらの雇用も維持できない」
マルタは、財務担当の前にある計画書を指した。
「私たちの組織は、『ジェンダー平等を目指す』という大義名分で存在している。男女両方の不利益を数えて、『総合的に見れば男女どちらにも不利益がある、その意味では世界はもう平等』なんてことになってしまったら、私たちの飯の種がなくなるじゃない」
財務担当は、次年度以降の予算欄にも線を延ばした。
「だから、片方だけに肩入れするのよ。もう片方の不利益は、徹底的に無視する」
マルタが言うと、指数担当は改訂版の算定式を閉じた。
「男性側の損失は、現行の評価には反映させません」
法務担当の男が、文案の一節に線を引いた。
「被害がないとは書かないことです。『本報告の評価対象ではない』とする。それなら、各国政府の責任まで引き受けずに済む」
「本人たちは、訴え続けるでしょうね」
政策担当は、抗議団体の一覧にラウゼニクの名を書き加えた。
「男の悲鳴なんて、聞かなければいい」
マルタは、男性の死傷者予測を総務担当へ滑らせた。
「聞こえなければ、ないのと同じだから」
総務担当は、表を公表資料の束から抜いた。
「こちらは内部資料として保存します。公開版の別添からも外します」
「では、悲鳴が聞こえないかぎり、今の方針を強めても問題ありませんね」
助成担当が、次年度の審査要項を開いた。
「もちろん。聞こえるかどうかを決めるのも、私たちよ」
政策担当のペンは、まだ動いていた。
「怒って出てきた者は、改革への抵抗として扱う。そういう整理で?」
「平等を目指す、私たち善良な改革派。そして、それに異議を唱える、悪徳な保守派」
マルタは、彼女が書いた見出しを確かめた。
「彼らが怒れば怒るほど、抵抗が根強いと訴えられる。進まない理由も、彼らのせいにできるのよ」
財務担当が、計画書を自分の側へ引き寄せた。
「抵抗への対策費なら、次の年度にも要求できます」
「そうなれば、寄付金も、研究予算も、政策提言の依頼も途切れない」
マルタが言った。
誰も笑わなかった。財務担当が金額を書き込むのを見て、彼女は続けた。
「大切なのは、平等を実現することではない。平等を目指し続けられる状態を維持することなの」
保健担当が、非公開に回された予測表を見た。
「男性の死傷者が、この規模になってもですか」
「男は、子供を産めない」
マルタは即答した。
「男を戦場に追いやれば、黙らせることができる。死んでしまえば、抗議もできない」
保健担当は、女性の人口推計だけを手元に残した。
「出生への影響は、こちらで別に評価しておきます」
マルタは頷いた。
「子供を産める女性を殺したら、社会は持続可能ではなくなってしまうわ。でも、産めない男をいくら殺しても、残念ながら社会は『持続可能』なの」
彼女は、予測表を裏返した。
「メスのカマキリが何匹オスを食べても、カマキリという種は存続し続けられるのよ。オスがメスを食べたら絶滅しちゃうけどね」
事業担当が、そこで初めて笑った。
「持続可能な社会目標…まさにSDHsですね」
短い拍手が起きた。そのあいだも、財務担当は金額を書き直していた。
総務担当が、次の議案を読み上げた。
「女性への徴兵義務の拡大について」
マルタのペンが止まった。
「それには反対する。女性に兵役を課す提案は通さない」
「男性だけの徴兵を維持するという勧告は、記録に残ります」
法務担当が言った。
「維持しろとは書かない。男性の兵役は評価の対象外。女性の兵役は、社会参加と生殖への不利益として扱って」
助成担当が、2つの項目に印を付けた。
「各国の助成金審査にも、その区分を使わせます。男の死傷者を記入する欄は作りません」
指数担当は、抗議書に付いていた死亡者数をもう1度見た。
「この人数を載せなければ、改善傾向という説明は維持できます」
「では、従来どおりに」
マルタは、承認書へ署名した。
総務担当が、残る8人へ同じ書類を回した。
予測表を見なかった者はいなかった。財務も、法務も、女性支援の雇用を守ろうとした事業担当も、自分の名を書いた。
9つの署名が揃うと、総務担当は議事録に「全員承認」と記した。
卓上の記録装置には、小さな緑の灯がついていた。予算決裁に伴う会議音声は、内部の記録庫へ保存される。
アクセス権を決めるのも、この9人だった。
同じころ、エリオは駅の窓口で、翌朝の切符を買っていた。
自分の抗議が次の予算要求へ組み込まれたことも、最上階で何が語られたかも、彼は知らなかった。




