第15章 南極包囲
帰還から数週間が過ぎると、基地の窓から、夜でも艦船の灯が見えるようになった。
その中に、ヴァルドの軍艦もいた。かつて補給を許可した国が、今度は航路を塞いでいた。
航空機が上空を通過した。今度こそ、補給は完全に絶たれていた。
参謀長が、残る燃料と食料の表を持ってきた。
エリオは、その下に別の紙を敷いた。
全構成員の名簿だった。
「国際軍につないでくれ」
参謀長は動かなかった。
「司令官。まだ、戦えます」
「知っている」
「我々は、あなたのためなら」
「その続きを言うな」
エリオは、通信機を自分の前へ引いた。
最初の返答は、無条件の武装解除と、司令官の即時出頭を求めるものだった。
「出頭の要求には応じる。ほかの全員の安全を保証しろ」
通信画面の将官が尋ねた。
『全員とは』
「軍籍のある者、いま離脱している者、各地の拠点に残る者。保護下の捕虜と、治療中の者も含む。私以外の全員だ」
『殺害に関与した構成員まで免責しろという要求なら、受け入れられない』
「私は、安全を保証しろと言った。殺害の責任まで消せとは言っていない」
エリオは、名簿をめくった。
「処刑しない。拷問しない。報復を許さない。徴兵する国へ本人の意思に反して返さない。裁くなら、1人ずつ、公開の法廷で裁け」
エリオは、名簿の収容記録を指した。
「軍へ戻れなかった者を、脱走兵として処罰するな。捕虜としての記録を、出身国にも認めさせろ。家族の年金を止めることも許さない」
『拘束される前に、自ら軍を離れた者もいる』
「その逃亡は免責しろ。殺害や拷問の責任と、一緒にするな」
『身柄は、我々が拘束する』
「医療を継続し、外部の監視を受け入れろ。面会も、弁護人もつける。その条件を文書にして、参加国の名で公表しろ」
将官は、画面の外を見た。
『あなた1人に、全員の責任を移すことはできない』
「移せると思っていない。私が命じたことは、私が証言する」
『なぜ、あなた自身の安全を要求しない』
エリオは、少し黙った。
「私は、君たちの欲しいものだろう」
通信は、そこで1度切れた。
3時間後に返事が来た。
共同作戦の参加国それぞれの了承が要る、と言われた。
そのあいだに、基地では2度、全員を戦闘配置につけるべきだという意見が出た。
エリオは、どちらも退けた。
次の文案からは、出身国への送還を拒めるという1文が消えていた。
「戻せ」
エリオは言った。
『それは各国の司法権に――』
「帰せば、また徴兵される。君たちに渡すために、戦場から連れ出したわけではない」
『このまま交渉がまとまらなければ、突入もあり得る』
「抵抗すれば、うちの男たちも、おたくの男たちも、多くが死ぬ」
エリオは、画面を見据えた。
「だから抵抗させたくない。そのために話している。死なせないと約束すれば、君たちの兵士も、ここで死なずに済む」
名簿の横には、冷めたカップがあった。
ユアンが1度、取り替えに来た。エリオは気づかなかった。
夜明け前、修正された文書が届いた。
エリオを除く全員への生命と身体の安全の保証。本人の意思に反する徴兵目的の送還の禁止。医療、監視、個別の司法手続き。捕虜としての身分の確定と、逃亡の免責、家族給付の保全。
基地の外にいる構成員にも、同じ条件が適用される。
ただし、最後の頁には、新しい条件が加わっていた。
「臨時国際裁判所の管轄への同意、とは何だ」
エリオが尋ねると、通信画面の将官は、別の文書を示した。
『共同作戦の参加国が設ける裁判所です。あなたの行為は、常設のICC―国際刑事裁判所ではなく、この臨時法廷で審理します』
「なぜ、別の裁判所が要る」
『通常の刑事裁判だけでは、各国にまたがる構成員の保護を、一括して確定できません。そのための特別措置です。送還禁止と安全の保証を、参加国を拘束する判決にします』
設置協定案には、エリオの刑事責任を審理するとともに、構成員への保護命令を出す権限が記されていた。
保護条項は投降と同時に履行され、裁判所の設置後は暫定命令で維持される。終局判決で、その義務を確定する。
『要求を受け入れる代わりに、あなたにも、この裁判所の管轄と特別規程の適用への同意を求めます』
エリオは、規程の刑罰の欄を開いた。
参謀長が、通信の音声を切った。
「ICCの最高刑は終身刑です。この規程には、死刑がある」
彼は、エリオの前へ書類を寄せた。
「司令官を死刑にしたい。そのために、わざわざ別の法廷を作ろうとしているんです」
エリオは、その欄を見た。
「私の命などどうでもいい。お前たちが判決で守られるなら、むしろ願ってもない提案だ」
参謀長は、書類を押さえたまま動かなかった。
エリオは音声を戻した。
「管轄と規程の適用に同意する。ただし、私の判決が出るまで、構成員の保護を留保することは認めない」
『保護は直ちに実施します。設置協定の当事国も、合意文書でその義務を引き受けます』
エリオは最後の頁まで読み、参加国の署名を確かめた。
ベルガ政府も、身分処理と家族給付に関する義務を引き受ける当事国に名を連ねていた。
自分の名を、同意欄に書いた。
「これを公表しろ。確認できたら武器を置く。私の身柄を、最初に引き渡す」
『武装解除が先だ』
「武器を捨てさせる。君たちはその男たちの前で、私を逮捕すればいい。私を押さえれば、もう戦う理由はない」
やがて、各国の報道画面に合意文書が出た。
エリオは、食堂に全員を集めた。
武器を持っていない者も、担架で運ばれてきた者もいた。
「武器を置き、降伏しなさい」
誰も動かなかった。
参謀長が、一歩前へ出た。
「あなたを売って、生き残れというんですか」
「私が決めた条件だ」
「俺たちが、それを望んだことがありますか!」
後ろから声が上がった。
アミンだった。松葉杖の先が、床の上で震えていた。
「あなたが残るなら、俺も残ります。歩けなくても、銃くらい撃てます」
エリオは、彼を見た。
「その膝で、どこへ行くつもりだ」
アミンは、顔を歪めた。
「今、そんなことを言わないでください」
「今だから言っている」
食堂のあちこちで、すすり泣きが起こった。
「我々がいなくなれば、男性解放軍は終わります」
参謀長が言った。
「あなたが作った軍隊ですよ」
エリオは、名簿を閉じた。
「男を死なせてまで維持しなければならない組織は、消えればいい」
ダニエルが、壁際で顔を上げた。
「それを、エルティアにも言いましたね」
「言った」
エリオは、そちらを向いた。
「自分の軍隊だけは別だと、私が言うと思ったか」
ダニエルは答えなかった。
「この組織を守らせるために、君たちを連れ出したんじゃない。生かすために、この組織を作った」
誰かが、声を抑えきれずに泣いた。
「この軍隊の役目は、今日で終わる」
エリオは、兵士たちの顔を1人ずつ見た。
「長いあいだ、ありがとう」
最初に銃を置いたのは、参謀長だった。
銃床が床を打つ音がした。
そのあと、何十もの銃が並んだ。弾倉が外され、腰の拳銃も、そのそばへ置かれた。
朝、基地の扉が開いた。
国際軍の兵士たちが、銃口を下げずに入ってきた。
エリオは、両手を見せて前へ出た。
「エリオ・ラウゼニクだ」
逮捕を告げる声が、食堂に響いた。
係官が彼の手を取り、背中へ回した。
手錠が閉じた。
その音で、兵士たちが動いた。
「待て!」
参謀長が叫んだ。
武器は、もう床にあった。
それでも、男たちは前へ出た。アミンが松葉杖を引きずり、ユアンがその肩を支えた。誰かがエリオの袖をつかもうとした。
「連れていくな!」
「その人は、俺たちを助けたんだ!」
銃口が、一斉に上がった。
エリオは、係官に押さえられたまま叫んだ。
「止まれ!」
男たちは止まった。
「誰も動くな。撃つな。この男たちは、もう武器を持っていない」
最後の言葉は、国際軍へ向けたものだった。
銃口が、少しだけ下がった。
ユアンの頬を、涙が伝っていた。
「あなたを置いて、生きていけっていうんですか」
「そうだ」
「父さんを失ったのに、また見送るだけなんて」
エリオの口が、1度だけ開いた。
何も言えなかった。
ユアンの肩越しに、誕生日の予定表が見えた。来月の欄にも、名前が並んでいた。
「ユアン」
彼は、いつもの声に戻そうとした。
「私を父親だと思うなら、息子を死なせずに済んだことくらい、喜ばせてくれ」
ユアンは、首を振った。
エリオは、手錠をかけられた手を、少しだけ動かした。
その手は、もう肩に届かなかった。
「君が母親に、生きる許可を求めなくなったとき、私は嬉しかった。今度は、私に死ぬ許可を求めるのか」
ユアンは、何度も息を吸った。
「命令だからじゃ、ありません」
エリオは待った。
「俺は、生きたいです」
「うん」
「だから、降伏します」
エリオは、ようやく笑った。
「よし。それでいい」
係官が、手錠の掛かりを確かめた。
エリオは、戸口へ向きを変えた。
「司令官!」
幾つもの声が重なった。
彼は振り返った。
「私のために死ぬな」
食堂の奥で、誰かが膝をついた。
「長生きしなさい。私を嫌いになってもいい。忘れてもいい。君たちの命は、君たちのものだ」
参謀長が、泣きながら右手を上げた。
男たちは、1人ずつそれに続いた。
扉が閉じるまで、誰も敬礼を解かなかった。
車へ乗せられる前に、エリオは足を止めた。
「食堂に名簿がある。医療欄のあるほうだ」
係官が彼を見た。
「アミンの膝を、先に診てやってくれ」
移送車の扉が閉まった。
窓の向こうで、基地が遠ざかっていった。
食堂では、国際軍の兵士たちが銃を回収していた。
ユアンは、もう止めなかった。
銃は1本ずつ、箱へ収められていった。




