第14章 メスカマキリ
エヴァが救出拠点へ戻ったとき、部屋は空だった。
電話にも、返事がなかった。
彼女が渡したかったのは、記録だった。
9人の命ではなかった。
倉庫へ向かう前に、エリオは集まった兵士たちへ、何をするつもりか告げた。
「ここから先は、救出作戦ではない。私の報復だ」
数人が、退出を申し出た。
エリオは頷いた。
「構わない。君たちの仕事にも、忠誠の証明にもしない」
それでも、残った者たちがいた。
国からの命令を拒めず、友人を戦場で失った男たちだった。記録を聞いてから、死んだ友人の名前を何度も口にしていた者もいた。
エリオは、彼らを止めなかった。
その夜、9人の幹部は、ローヴェンの郊外にある倉庫へ連れてこられた。
7人が女性、2人が男性だった。
マルタだけが、ほかの8人から離れた椅子に拘束されていた。
その前には、机があった。
エリオは、9人の署名がある方針書を机に置いた。
「誰か1人でも、反対したのか」
8人の顔を、順に見た。
法務担当の男が答えた。
「組織として決めたことです」
「そうだな」
エリオは、マルタの前に立った。
「あなたのせいで、世界は大混乱です」
マルタは言った。
「あなたは何人の男を殺した」
「そのようなことは、各国政府が決めたことです」
「何人死ぬと予測していた」
「統計には、不確実性があります」
「君は、男たちが死ぬことを知っていたな」
マルタは肩をすくめた。
「私たちは、持続可能な社会の実現を目指していただけです」
エリオは、方針書の下から別の紙を取り出した。
自分がかつて署名した報告書だった。
削除前の表と、自分の署名した最終版を、並べて見せた。
「私は、この表を消した」
彼女は紙を見なかった。
「組織に残れば、いつか変えられると思った。そう思って消したものを、君たちは私が抵抗した証拠にした」
「実際に、あなたは改革を妨げました」
エリオは、紙を机に戻した。
「――このメスカマキリが!」
エリオはマルタの顔面を金属バットで殴った。
「痛っ……! 非戦闘員への暴力行為は、ジュネーヴ諸条約共通第3条に――」
「うるさい!」
金属バットはもう1度振るわれた。
マルタの歯はすべて折れた。
「お前らはこれまで何人の男を食ってきた?」
8人のうち、1人がマルタを見た。助けを求めるような目だった。
マルタは、答えなかった。
「自分で戦場へ行くこともなく、机の上で数字を消して、死んだ男をなかったことにした。そのうえ、生き残った男たちの怒りを、今度は金に換えた」
「感情的になられても困ります」
マルタは、言葉をもつれさせながら言った。
「あなたには、国際社会を動かす責任の重さがわからないのでしょう」
「わからないとも」
エリオは、8人のほうを向いた。
「男か女かは関係ない。知っていて、やった人間は同罪だ」
彼は銃を抜いた。
代わりに撃つと申し出た兵士を、手で制した。
最初の銃声で、マルタは椅子を揺らした。
8人を撃ったのは、すべてエリオ自身だった。
1人ずつ、死を確かめてから次へ移った。
最後の銃声が消えたあと、マルタが言った。
「私も、殺すんでしょう」
エリオは答えず、銃を収めた。
8人の遺体は焼かれ、その夜、兵士たちの食事にされた。
マルタの椅子は、食卓へ向けて据えられていた。
何を食べているのか、彼女には最初から告げられていた。
白い皿が並んだ。
途中で席を立った兵士がいた。エリオは追わせなかった。残った兵士たちは食べ続けた。
マルタは目を閉じた。
エリオが、その前へ椅子を運んだ。
「どうだ、今まで食い物にしてきた男に食われて死ぬ気分は」
彼女は目を開けた。
さっきまで自分の隣にいた8人は、もう答えることができなかった。彼女だけが、まだ言葉を発することができた。
エリオは、マルタの椅子の下を木炭で満たし、横で火起こしを始めた。
「やめて」
「予測していたんだろう。何人死ぬか、何人戻れなくなるか」
「お願い」
エリオは食卓を指した。
「戦場へ送られた男たちも、そう言いたかったはずだ」
「撃って」
マルタは、彼の腰の銃を見た。
「お願いだから、それで」
エリオは首を振った。
「お前は楽には死なせない。生きたまま焼き殺してから、8人と同じように食べてやる。感謝しろ」
その声は、低かった。
食卓の皿が下げられると、椅子の下の木炭へ火が放たれた。
マルタは生きながらに炙られ始めた。
ユアンは、兵士たちの食卓には加わらなかった。だが、帰るように言われても、そこに残ることを選んだ。
マルタは炙られ、泣きながらエリオを見上げた。
「……あなたは男だから、男を守りたいんでしょう」
エリオは答えなかった。
「……でも、私だって女よ。女だから女の子を守りたかった。ただそれだけなの」
ユアンは、エリオの横顔を見た。
「そうか。女の子を守りたかったのか」
「あなたなら、わかるでしょう」
エリオは、しばらく彼女を見ていた。
「やはり拷問は素晴らしい。お前からでも、本音を聞ける」
マルタの顔がこわばった。
「女を守って、何が悪いの」
「女を守ったことを責めているんじゃない」
エリオは言った。
「その贔屓を、ずっと『ジェンダー平等』と呼んでいたことだ」
マルタは、もう言い返そうとしなかった。エリオは、しばらく待った。
「おい、外道。ラストチャンスだ。質問に答えろ」
マルタは、顔を上げた。
「何でも答えるわ。だから、助けて」
「お前は、閉経しているのか」
彼女は、エリオを見つめていた。
「……最低。こんなの、セクハラよ」
「答えによっては、生かしてやる」
マルタは、ようやく唇を動かした。
「……してるわよ」
エリオは、火を強めた。
「答えたじゃない……! どうして」
「決まっているだろう。お前はもう、子供を産めない」
マルタは、ユアンを見た。
ユアンが口を開いた。
「子供を産めないなら、死んでも構わない。あなたの理屈でしょう。文句はありませんね」
マルタは、何度も首を横に振った。
エリオは、その顔を覗き込んだ。
「『男が死んでも社会は続く』。それは予測であって、死なせてよいという許可ではない」
エリオは、マルタを見据えた。
「子供を産めるか、国を守れるか。その働きで生きる資格を決めれば、命は社会の所有物になる。必要な間だけ使い、不要になれば捨てる。お前はそれを、平等という言葉で正当化した」
エリオは、机に残った報告書を指した。
「統計は、見えなかった苦しみを見えるようにするための道具だ。声を届けられない者の窮状を示し、救う方法を考える。そのために、私たちは数えてきた」
マルタは、目を伏せた。
「人類は、見過ごされてきた苦しみを調べ、確かめ、救う方法を積み重ねてきた。科学は、そうして人の手が届く範囲を広げてきたんだ」
彼の指は、死者数の欄で止まった。
「お前は、その道具を裏返した。見えるはずの死を見えなくして、自分たちの利益を守った。科学と、人類が積み重ねてきた英知への裏切りだ」
マルタは、何かを言おうとした。
「そして、犠牲を選んだ責任も負わず、訴えた男を改革の敵にした。被害を訴える言葉まで、奪ったんだ」
エリオは、そこで言葉を切った。
「平等とは、役割の違いを命の価値の差にしないことだ。誰の死なら無視できるかを決める権限ではない」
「お願い……助けて」
エリオは、しばらく彼女を見ていた。
「その言葉に、子供を産めるという資格は必要か」
マルタは首を横に振った。
「そうだ。あの男たちにも、必要なかった」
エリオはさらに火を強めた。
マルタは絶叫を上げた。
エリオは彼女の喉を傷つけ、声を奪った。
マルタは口を開いた。
声が出なかった。
もう1度、何かを伝えようとした。
エリオもユアンも、すぐそばにいた。それでも、言葉は届かなかった。
「おや、静かになったな」
エリオは、ユアンを見た。
「苦しんでいないらしい」
ユアンは頷いた。
「はい。聞こえなければ、ないのと同じですね」
彼は、その言葉を、昼に公開された会議録音で覚えた。
「なら、もっと強くしても問題はないな」
マルタは、エリオを見ていた。
何かを訴えようとするたびに、口だけが動いた。
声を奪った本人が、その沈黙を答えにした。
やがて、炎が強まった。
最後まで、マルタの声が戻ることはなかった。
死後、マルタの遺体も、兵士たちに食べられた。
最後の皿が片づけられたとき、日付が変わろうとしていた。
夜明け前、エリオたちはローヴェンを離れた。
輸送船が出航したあと、男性解放軍は、幹部9人を処刑したと発表した。
声明には、マルタを生きたまま焼き殺し、9人の遺体を兵士たちが食べたことまで記されていた。映像と遺体の写真は公開されなかった。
その日の午後、世界各国が共同声明を発表した。
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WEG幹部の行為に対する調査は継続する。
ただし、男性解放軍による拉致と殺害は、到底容認できない。
男性解放軍は、国際社会に対する重大な脅威となった。
世界各国は、その武装解除に向けて協力する。
└────────────
エリオは声明を読んだ。
そして、静かに呟いた。
「ずいぶん団結が早いな」
その口調には、怒りよりも、驚きが混じっていた。
船旅の末、エリオたちは南極へ戻った。
すでに参加を拒んでいた者に加え、処刑後に武器を置き、隊を離れる兵士もいた。
エリオは引き留めなかった。
南極に戻ってからも、ユアンは食事を残した。
食卓に加わらなかったことと、あの夜に何もしなかったことは、同じではなかった。
夜、エリオが部屋へ来た。
封の切られていない保存食と、湯を入れたカップを盆に載せていた。
「ここに置く。食べられるときに食べなさい」
ユアンは、盆を見た。
「もし、マルタが閉経していなかったら」
エリオは、彼を見た。
「生かしていたんですか」
「生かすわけがない」
返事は、すぐだった。
「子供を産める女を殺しても、社会は持続可能だ。それを証明してやる、とでも言っていただろうな」
ユアンは、カップに手を伸ばしかけて、やめた。
「あのとき、俺も言いました」
エリオは手を止めた。
「聞こえなければ、ないのと同じだって」
「そうだな」
「誰かに言わされたわけじゃ、ありません」
エリオは、しばらく彼を見ていた。
「君を、あそこへ連れていったのは私だ」
ユアンは首を振った。
「残ると決めたのは、俺です」
エリオは、何も答えなかった。
扉が閉まったあと、ユアンは長いあいだ動かなかった。
それでも、エリオのことを嫌いにはなれなかった。
ダニエルは、報道を見たあと、エリオの部屋を訪れた。
「今度は、誰のために殺したんですか」
エリオは答えた。
「私のためだ」
ダニエルは唇を噛んだ。
「正直ですね」
「嘘はつきたくない」
「だったら、覚えておいてください」
ダニエルは言った。
「俺が生きていることと、あんたを許すことは、別です」
「わかっている」
ダニエルは部屋を出た。




