第12章 彼らは知っていた
食料輸送船が途絶えて2か月が過ぎたころ、エリオは北方の小国ローヴェンにいた。
残る救出拠点を回り、民間の補給業者と交渉していた。
参謀長とユアンも同行していた。ユアンは、到着した物資の荷受けを手伝っていた。帰路に使う輸送船には、食料と燃料を積み込む手配がついていた。
数日前、エヴァ・ミレシアから、古い報告書の署名を確認したいという連絡が入っていた。
その朝、彼女は拠点の事務室を訪ねてきた。
38歳。
元WEG監査部門の職員である。
エリオは、彼女の名前を知っていた。
「あなたがエヴァ・ミレシアか」
「はい」
「確認したい資料というのは?」
「あなたに、見ていただきたいものがあります」
エヴァは、小さな記録媒体を差し出した。
彼女がWEGに入ったのは、16年前だった。
女性の教育や就業を支援する仕事に誇りを持っていた。
世界には、確かに女性が不当に扱われる場所がある。
その状況を変えたかった。
だからWEGに入った。
彼女の弟オスカーは、建築家を目指していた。
だが24歳のとき、祖国で戦争が始まった。
男性だけを対象とした召集令状が届いた。
弟は軍服を着て、家を出た。
半年後、死亡通知が届いた。
エヴァは葬儀のあと、WEGの報告書を開いた。
彼女の祖国は、その年も男女平等の改善を評価されていた。
女性の就業率が上がっていたからだ。
戦争で男性労働者が大量に失われた事実は、男女平等指数の評価に含まれていなかった。
エヴァは疑問を抱いた。
さらに調査を進めるうちに、彼女は監査対象の古い記録の中から、1つの会議録音を発見した。
十数年前。エリオがWEGを退職した、その日の夕方の記録だった。
出席者は9人。議長はマルタ・ヴァーグ。いまもWEGの方針を決めている幹部たちだった。
「あなたの退職報告と、次年度の予算要求が、同じ会議で処理されています」
エヴァは記録の日時と出席者一覧を見せた。
エリオは画面に目を近づけた。
「あの日か」
「聞いたことは?」
「ない」
彼が知っていたのは、自分の提案が拒まれ、抗議が保守的抵抗に分類されたことまでだった。その扱いがどう決められたのか、扉の向こうの会話は聞いたことがなかった。
エヴァが再生を始めた。
雑音のあと、聞き覚えのある声がした。
┌────────────
『だから、片方だけに肩入れするのよ。もう片方の不利益は、徹底的に無視する』
└────────────
エリオは、机の上に置いた自分の手を見た。
┌────────────
『男の悲鳴なんて、聞かなければいい』
└────────────
┌────────────
『聞こえなければ、ないのと同じだから』
└────────────
エヴァが開いた評価項目には、男性の損失を入力する欄がなかった。
┌────────────
『平等を目指す、私たち善良な改革派。そして、それに異議を唱える、悪徳な保守派』
└────────────
資金調達計画の画面には、彼の名があった。
┌────────────
『そうなれば、寄付金も、研究予算も、政策提言の依頼も途切れない』
└────────────
エリオは、席を立ちかけた。
だが、どこへ行くつもりなのか、自分でもわからなかった。椅子に座り直し、続きを聞いた。
┌────────────
『男は、子供を産めない』
└────────────
その言葉を、彼は初めて聞いた。
事務室の外から、荷台を押す音がした。暖房用の燃料を、少しだけ確保できた朝だった。
録音の中では、持続可能性とカマキリの話が続いた。
┌────────────
『持続可能な社会目標…まさにSDHsですね』
└────────────
拍手が聞こえた。
そのあとで、女性の徴兵義務に反対する方針、男性の死傷者を評価から外す方針、各国の助成条件にも同じ基準を使わせる方針が、順に承認された。
9つの署名が、画面に表示された。
エヴァが録音を止めた。
部屋は静まり返った。
「録音だけではありません」
彼女は書類を表示した。
「WEGは複数の国際的な資金提供制度で、男女平等評価を助成条件の一部に使わせていました。男性のみの徴兵については改善を求めず、女性の兵役義務拡大は不利益として扱っています」
「つまり」
「男女ともに徴兵しない制度への移行を提案した国もありました。でも、WEGはそれを主要な改善項目に採用しませんでした」
エリオは黙っていた。
エヴァは別の資料を開いた。
そこには、男性徴兵制度が維持された場合の死傷者数の予測が記されていた。
さらに、政策の変更によって救われた可能性のある人数も。
エリオは、予測表の承認日を指した。
「これを見たうえで、評価から外したのか」
「はい。9人全員が」
エヴァの声が震えた。
「そして、あなたにも関係があります」
次に表示されたのは、古い内部資料だった。
エリオがかつて提出した、男性徴兵制度の評価を求める改訂案。
その下に、研究部門の担当者として彼が署名した、修正済みの報告書。
さらに、その報告書を利用したWEGの資金調達資料。
資料には、こう書かれていた。
┌────────────
男性被害の評価を要求する保守派の抵抗が、依然として改革の障害となっている。
└────────────
その具体例として、エリオの名前が挙げられていた。
エリオは目を閉じた。
自分が譲歩したことさえ、相手の資金集めに利用されていた。
エヴァが言った。
「この報告書にあなたが署名したことを、確認してほしいんです」
「私が署名したことは、間違いない」
「記録はすでに複数の報道機関と独立保管機関に預けています。改竄されていないことも確認されています」
「なぜ、そこまで」
エヴァは弟の写真を取り出した。
若い男が、設計図を持って笑っていた。
「弟は、家を建てたかったんです」
彼女は写真を見つめた。
「人を殺す訓練なんか、受けたくなかった。でも、男だったから、行かされた」
エリオは何も言えなかった。
「私は、WEGに入ったことを後悔していません。女性が差別されることに反対する気持ちも、変わりません」
エヴァは顔を上げた。
「でも、そのために弟が死んでいいなんて、1度も思ったことはありません」
エリオは静かに頷いた。
「この資料を公開しよう」
「そのつもりです」
「正午に、報道機関が最初の資料を出します。あなたの署名を確認したことも、付けてよろしいですか」
「構わない」
エリオは確認書に署名した。記述の削除を受け入れた経緯も、別紙に書き添えた。
エヴァは、それを鞄へ収めた。
「では、説明会へ行ってきます」
エヴァは鞄を持ち、事務室を出た。
扉が閉まったあと、エリオは記録をもう1度開いた。
世界が、男たちの死に気づいていなかったわけではない。
知っていて、見ないことにしていた。
机の端には、その日の新聞があった。WEG理事会の開会を伝える記事が、小さく載っていた。
会場は、同じローヴェンの国際会議施設だった。
エリオは、参謀長を呼んだ。
「9人とも、今日ここにいるのか」
「そうです。なぜです」
「この記録で、国際法廷へ引きずり出せるか」
参謀長は、資料を確認させた法律家からの回答を開いた。
「現行の国際法には、この政策判断そのものを罪に問う法的根拠がありません」
「何人死ぬか、わかっていて続けたんだぞ」
「徴兵と戦闘を命じたのは各国政府です。9人を国際犯罪の共犯として起訴するにも、適用できる条項と証拠が足りない。組織の不正を追及できても、この死者数を、そのまま9人の刑事責任にはできないと」
エリオは、画面に並ぶ署名を見た。
「では、あの男たちの死は、どこの法廷へ持っていけばいい」
参謀長は、答えなかった。
「平等のためと言い、何万人もの男を死に追いやりながら、その死は不平等には数えない……」
エリオは、9つの署名から目を離さなかった。
「己の飯の種のために、命を奪い、その死まで辱める。……貴様らに、今日を生きる資格はない」
エリオは端末を伏せた。
「社会の法が、この悪鬼どもを裁けないというのなら、この私が法となろう」
「司令官」
「理事会の9人を拘束する。1人も逃がすな」




