第二十九話 禁忌の森への旅立ち
全員の視線が、一斉にタオへと集中した。
卓の奥に座る村長ティーシャが、片眉をわずかに上げて低く問う。
「タオ。自分が何を言っているのか、分かっているのか」
「分かっています」
タオは村長の鋭い視線を正面から受け止めた。
「危険なのは承知しています。けれど、他に道がありません。母さんだけじゃない、倒れる仲間は日に日に増えています。このまま手をこまねいていたら、全員が苦しんで死ぬのを見届けるだけです」
「お前一人で、あの北の森へ潜り込むつもりか」
「一人のほうが身軽です。魔獣の縄張りを避ければ、群れに遭遇する可能性も減らせます」
「無謀だ」
ティーシャの叱責が鋭く響いた。
「あの森の奥で力尽きれば、誰にも助けられず、何が起きたかすら村には伝わらん。ただでさえ戦士の少ないこの村で、お前まで無駄死にさせるわけにはいかぬ」
タオは唇を噛み締めた。
長老の言う通りだった。自分が命を落とせば、村の防衛力は大きく削がれる。
だが、それでも引き下がるわけにはいかなかった。
「それでも、行かせてください」
タオは深く頭を下げた。
「俺は、母さんを助けたい。父さんが命を賭けて守った仲間たちを、失うわけにはいきません。母さんも、見殺しにはできません」
部屋に張り詰めた沈黙が流れた。
ティーシャは目を閉じ、深い息を吐く。
「……お前の父親も、同じ目をしていた。一度守ると決めたら、誰が止めようと前へ出た男だった」
「父さんは、誇り高く戦って死にました」
「そうだな。そしてテルマは、その遺志を継いで一人でお前たちを育て、村を守ってきた。二人を知る私としても、お前を犬死にさせたくはない。だが――」
ティーシャは目を開いた。
「このまま病に村を食い破られるのを待つことも、村長として許されん。北の森へ向かうことを許可する」
「ありがとうございます!」
「喜ぶな。条件がある。出発前に期限を決めておけ。その日までに星霜花が見つからぬなら、引き返せ。禁忌の魔女の気配を感じたら、背を向けて逃げろ。決して命を捨てるな」
「分かりました。必ず守ります」
タオが頷いたとき、横から澄んだ声が割り込んだ。
「私も行きます」
タムだった。
「何を言っている、タム!」
タオが振り返る。
「森が危険なのは聞いただろう。お前は村に残って、看病を手伝うんだ」
「残らない。私が行かなきゃ、星霜花は見つけられない」
タムは震える拳を握った。
「兄さんは剣も弓も使える。でも、植物の細かな違いは分からないでしょう? 星霜花には、よく似た猛毒の偽物もある。薬草の採集法や毒の見分け方を教わってきたのは私よ」
「シルに特徴を聞けばいい」
「特徴を聞くだけで、見分けられるとは限らないでしょう? シルは四人の重症者を診なきゃいけないから、村を離れられない。だから、私が行くの!」
タムの目から涙がこぼれた。
「母さんが苦しんでいるのに、ここでただ祈って待っているだけなんて耐えられない。兄さんが迷ったら? 毒虫に刺されたら誰が手当するの? 私だって、テルマの娘だよ!」
兄妹は互いを見つめた。
タオの耳が苦しげに伏せられる。
怒っているのではない。妹を危険な森へ連れていく恐怖に、葛藤しているのだ。
「……危険すぎる」
「足手まといにはならない。言われた通りに走るし、気配を消す訓練もしてきた」
二人のやり取りを見守っていたティーシャが、卓を叩いた。
「タム。北の森では、戦えぬ者は重荷になる。タオが逃げろと言ったら従い、戻ると言ったら引き返すと誓えるか」
「誓います。何があっても、二人で生きて帰ることを最優先にします」
ティーシャはタオを見据えた。
「タオ。妹の命、お前が背負えるな」
タオは目を閉じ、静かに息を吸った。
「……必ず守ります。二人で生きて帰ります」
「よし。ならば二人で行くがよい。村の未来を、お前たちに託す」
反対の声は、もう上がらなかった。
――翌朝。
空はまだ群青色の薄闇に覆われ、森の冷気が足元に立ち込めていた。
タオは革の鎧を着込み、片手剣と小振りの弓、矢筒を身につけた。背嚢には水と干し肉、火打ち石を入れている。
タムは採取袋を肩から掛け、腰には薬草を根から掘り起こすための細身の小刀を差していた。
出発の直前、二人はテルマの寝床へ向かった。
戸が開く気配に、テルマが重い瞼を持ち上げる。
「……行くのかい」
「ああ。星霜花を取ってくる。母さんを、必ず治す」
タオが一歩踏み出しかけると、テルマはかすかに首を横に振ってそれを制し、代わりにその唇を微かに綻ばせた。
これから過酷な森へ向かう二人に、病をうつすわけにはいかない。手を握り合うことさえできない距離が、かえって互いの想いを強く伝えていた。
「無茶をするなと言っても……無駄だね。父親そっくりの頑固者め」
「母さんの子供だからね」
タムも戸口で胸に手を当て、気丈に微笑んだ。
「私も行ってくる。一番いい花を見つけるから」
「タム……兄を頼んだよ」
「うん!」
テルマは熱に潤む目で、愛おしそうに二人の姿を焼き付けた。
「……二人で、必ず生きて帰っておいで」
「約束する」
小屋を出ると、朝靄の中に動ける村人たちが集まっていた。
二人は深く一礼し、村の北側に伸びる細い獣道へ歩み出す。




