第二十五話 階層社会と教会の影
エルバの淡々とした返答を聞き届け、レインは机の上に両肘をついた。
距離や時間の基準は確認できた。地球と似ている部分も多く、行動計画を立てるうえで大きな問題はない。
だが、単位が分かっても、この世界で人がどのように扱われるかまでは分からない。森の外へ出るなら、土地の制度や人々の価値観を知っておく必要がある。
「……エルシア、次に知りたいのは、人間社会の構造だ。百年前の知識で構わない。この大陸の人間たちは、どのような理屈で統治され、何を最も重んじているのか」
問いかけると、エルシアの表情から温かみが消えた。
「……身も蓋もないことを言えば、力じゃよ」
「武力ということか」
「より正確には、魔力じゃな」
エルシアは静かに続けた。
「わらわが最後に人間の国を見た頃、王家を頂点に、貴族や領主が各地を治めておった。国王の名のもとに法が定められ、領地では領主や代官がそれを執行する。教会も、治癒や祝福を担う独立した組織として民の暮らしに関わっておった」
《王家、貴族、領主、代官、教会による統治構造ですね》
「そうじゃ。じゃが、その根底には、魔力の強さを人の価値と結びつける考えがある。『魔力本位制』とでも呼ぶべき仕組みじゃ」
「具体的には?」
「生まれ持った魔力の多寡が、身分、発言権、所有できる財産、受けられる教育、就ける職業にまで影響する。婚姻も例外ではない。魔力の強い血を残すため、家同士が結びつくことも多い」
《生得的能力を基準に、社会制度全体が形成されていると》
「魔力の強い者ほど高い身分を持ち、良い教育を受け、重要な職に就く。裁判でさえ、身分や魔力によって扱いが変わることがある」
「法の前で平等ではないのか」
「建前としては王国法に従う。じゃが、同じ罪でも貴族と平民では罰が異なる場合がある。証言の重みすら、身分によって変わることもあるのじゃ」
《能力による階層固定化社会ですね》
「そうじゃ。魔力の強い者は、王族や上級貴族、魔導騎士、宮廷魔導士などとして厚遇される。一方、魔力の乏しい者や持たぬ者は、歩兵、補給、荷運び、城壁警備などへ回されやすい」
「軍も魔力を基準にするのか」
「当然じゃ。騎士団、歩兵、弓兵、魔導兵で構成され、魔導兵は火炎や氷結、治癒、結界、通信などの術を扱う。じゃが、軍を支える魔力のない者たちの働きは、低く見られやすい」
「魔力の量だけで個人の能力を測れば、知性や技術、組織運用能力を切り捨てることになる。極めて非効率だな」
「くくっ、違いない。じゃが、人間は目に見える強大な力に怯え、跪く生き物じゃからの」
レインは、町の暮らしについても尋ねた。
「人々は、どのように暮らしている?」
「基本は手仕事じゃな。町では鍛冶師が鍬や鍋を作り、仕立屋が衣服を縫い、木工職人が家具や荷車を作る。農村では畑を耕し、家畜を飼い、収穫物を町へ運ぶ」
「食料の保存や調理は?」
「塩漬けや乾燥、燻製が多い。火を起こす手間を減らすため、小さな火属性の魔石を使う道具もある。裕福な家では、温度を保つ魔道具や水を浄化する道具も使われておる」
《魔法技術は、生活用品の一部として利用されているのですね》
「移動や連絡は?」
「町と町の間は獣車や徒歩が中心じゃ。街道沿いには宿場があり、商人が荷物や手紙を運ぶ。遠方への連絡には鳥や使い魔、魔道具を使うこともあるが、誰でも利用できるわけではない。夜には魔導灯を使う町もあるが、設置や魔力の補充に金がかかる。村では焚き火や普通の灯りが多いじゃろう」
「住居は?」
「平民の家は、木や土、石で建てた簡素なものじゃ。寒い土地では暖炉を使い、暑い土地では風が通るよう工夫する。貴族や王族の館には、生活用の魔道具や侵入者を知らせる結界が備えられておる」
「通信手段にも、生活の便利さも、魔力や財力に左右されるわけか」
「そうじゃ。魔法は暮らしに組み込まれておるが、その恩恵を等しく受けられるわけではない」
「言語はみな共通の言葉か?術式や魔法言語の構造は理解されているのか」
「知るわけがなかろう」
エルシアは吐き捨てるように言った。
「この世界で広く使われる共通語は『エレメンティア語』じゃ。ほかにもエルフのエルフェリア語や竜族、魔族の言葉があるが……現代の魔導士どもは、魔法の真理など何も知らんよ。詠唱は口伝や教本を丸暗記しているだけで、なぜその言葉で魔力が動くのか、どんな理屈で現象が起きるのかなど考えはしない。『強くイメージして定められた呪文を唱えれば魔法が出る』、それ以上のことは誰も突き詰めようとせんのじゃ」
《術式のブラックボックス化。基礎言語を理解せず、既存のプログラム関数を盲目的に実行している状態と推測されます》
「そんな感じだな」
「古代魔法や精霊の記す精霊文字は、文字そのものが術式を編む構造を持っておる。だが、それを正しく読み解ける者はエルフやドワーフ族など長寿の民の一部、王宮魔導師の数名程度じゃろうな」
エルシアは窓の外へ目を向けた。
「そして、その制度を精神の底から支えておるのが、聖魔法教会じゃ」
《教会について確認します》
「表向きは、治癒魔法や祝福を与える慈愛の組織じゃ。精霊を崇め、自然の中に神性を見出す信仰を広めておる。王家からは独立しており、民の信仰も厚い」
「なら、禁忌とは何だ?」
「王国や教会の教義で説明できぬ力や存在じゃ。強力な呪い、異常な体質、異端の術式、古代遺跡の魔導機械などが対象になる」
《古代遺跡の魔導機械?》
「魔法と機械が融合した、古代文明の遺産じゃ。今の人間には仕組みを理解できぬものが多い。危険な遺物として恐れられ、研究よりも封印や監視を優先されておる」
「理解できないものを、禁忌として排除するわけか」
「そうじゃ。教会は、己の教義で説明できぬ力を恐れる。時には封印し、幽閉し、存在そのものを消そうとする」
《未知への恐怖が、組織的な排除として機能している。脅威度は高いと判断します》
「だからこそ、レイン。おぬしの中に眠るエルバの力や、前世の知識は、外の人間、特に教会の神官や貴族の前では見せてはならぬ」
エルシアは、レインの青い右眼を見据えた。
「おぬしが理屈を追求しようと、奴らには『教義を脅かす禁忌』としか映らぬ」
「分かっている。自衛のため、情報は秘匿する」
『エルバ。外部への情報開示制限を設定しておけ』
《了解しました。魔眼による観測と思考通信の秘匿を維持します。教会組織および魔力偏重の社会に起因する危険を、警戒対象に登録しました》
冷涼な朝の光の中で、二つの知性と一人の魔女による情報整理が終わった。
エレメンティアの輪郭は、少しずつ見え始めている。
だが、エルバが持つのは言語と地図だけ。エルシアが知るのは、百年前の常識だけだった。
現在の世界がどうなっているのかは、外へ出て、自分たちの目で確かめるしかない。
レインはその事実を、静かに記録した。




