第十六話 森の採取と実戦
それから数日間、レインは魔法陣へ流す魔力の調整を繰り返した。
最初は、ほんの少し魔力を注いだだけで、札の描線が熱に耐えきれず焦げた。次は慎重になりすぎて、魔力が第一環を通り抜けず、術式が起動しなかった。
何度も失敗し、何度もやり直す。
それでも、エルシアの指導を受けながら練習を続けるうちに、少しずつ力加減が分かるようになってきた。
札を焦がさず、安定して魔力を流せる時間も伸びていった。
湯を沸かすことにも成功した。
まだ長時間の運用や複雑な魔道具には使えない。
それでも、自分の魔力を制御して術式を働かせたという事実は、レインにとって大きな進歩だった。
その日の朝、練習を終えたレインが道具を片付けていると、エルシアが採取袋を手に作業場へ入ってきた。
「魔力制御の練習は、ひとまずここまでじゃ」
「もう訓練は終わりということ?」
「今日は別の用事がある。上級治癒薬を作るための薬草が足りぬのでな」
エルシアは採取袋を机の上へ置いた。
目当ては「星霜花」。薄銀の細葉と、青みを帯びた銀白の茎、白銀の花を持つ薬草だ。夜明け前の露を含んだ株ほど薬効が高く、上級治癒薬の主成分になるという。
世界樹の北側には、星霜花のほかにも補助薬材となる月白茸や霊樹の蜜など、希少な薬草が多く分布しているらしい。
「どれも魔素を多く含む。上級治癒薬には向いておるが、手に入れるのは楽ではない」
先を歩くエルシアが言った。
「危ない場所なのか」
「そうじゃ。わらわのそばから離れるでないぞ」
「分かった」
世界樹の北側にある森は、家の近くとはまるで違っていた。
高い木々が空を覆い、朝の光は地表までほとんど届かない。
湿った土、苔むした岩、倒木の匂い。
鳥の声は聞こえるものの遠く、音はすぐに深い静けさへ吸い込まれていく。
「ここには、弱い魔物はほとんどおらぬ。濃い魔素の中で生き残れるものだけが、奥へ進めるのじゃ」
「この森の魔物は、脅威度でいえばAランク相当?」
「遭遇しても不思議ではない」
その言葉の直後、低木の奥で枝が折れた。
エルシアが足を止め、レインの前へ出る。
「後ろへ」
次の瞬間、灰色の影が飛び出した。
大型の狼に似た魔獣だった。
体長は大人の二倍ほどある。
逆立った灰色の毛並みと赤く光る目、鋭い牙が特徴だった。
「グレイファングじゃ」
魔獣が低く唸り、地面を蹴った。
その突進速度は人間の動体視力では追うのも難しいほど速い。だが、エルシアは慌てず杖を上げた。
「氷槍」
空気中の水分が瞬時に凍り、一本の槍となって飛ぶ。
グレイファングはほとんど減速できないまま、眉間を貫かれた。
魔獣は地面へ落ち、動かなくなる。
「グレイファングは、Aランクの中でも速度が厄介じゃ。魔力で身体能力を強化し、鋭い嗅覚と魔素感知で獲物を追い詰める。ただし、突進は直線的になりやすい」
エルシアは死骸から毛皮、牙、魔石を回収した。
「毛皮は防具、牙は薬の触媒、魔石は保存して使える。使えるものを捨てる理由はないからの」
回収を終えると、死骸へ土と草をかけた。
「匂いで別の魔物を呼ばぬようにするのじゃ」
森を進むと、苔むした岩のそばに薄銀の細葉が群生していた。青みを帯びた銀白の茎は夜露を吸い、暗い森の中で淡く光っている。その先に咲く白銀の花が、朝の光を受けて静かに揺れていた。
「これが星霜花じゃ。露を含んだ株を選べ。茎と根を傷つけぬよう、周囲の土ごと掘り起こすのじゃ」
レインは教えられたとおり、根を傷つけないよう周囲の土ごと掘り起こした。採った株はすぐに布で包み、採取袋の奥へ収める。
「悪くない。最初にしては上出来じゃ」
エルシアに褒められ、レインは少し笑った。
次に見つけたのは、倒木の根元に生えた月白茸だった。月明かりのように白い茸から、目に見えにくい胞子が漂っている。
「素手で触れるな。魔素酔いを起こす成分がある」
エルシアは布と道具を使い、慎重に採取した。
そのとき、地面が揺れた。
どすん、どすん、と重い足音が近づいてくる。
木々の間から現れたのは、巨大な猪型の魔獣だった。
体長は人の三倍ほど、先ほどのグレイファングよりも二回りほど大きい魔獣だ。
黒褐色の硬い毛皮に覆われ、口元から太い牙が伸びている。
「牙猪じゃな」
エルシアの解説を聞きながら、レインは図鑑で読んだ知識を思い出した。突進は強力だが、旋回性能は低い。
「レイン、 横へ動け!」
エルシアの声に合わせ、レインも指示通りに側方へ跳ぶ。
牙猪は勢いを止められず、巨体ごと木へ激突した。
木へ激突した衝撃で体勢を崩した牙猪に対し、エルシアが足元へ氷を広げてさらに脚を滑らせる。
「強いのは直線の突進だけじゃ。横へ回れば、脅威は大きく下がる」
転倒した牙猪へ氷の槍が放たれ、魔獣は数度暴れた後に動かなくなった。
「毛皮や牙は素材になる。肉も、魔素の少ない部位を選び、十分に加熱すれば食べられる」
エルシアは牙と魔石を回収し、毛皮を収納袋へ入れた。
さらに北へ進み、泉のそばで別の群生を探していると、縁の岩がゆっくり動いた。
それは岩ではなかった。
暗緑色の鱗、地を這う太い尾、黄色い縦長の瞳。
膨らんだ喉袋には、毒液が蓄えられている。
「ポイズンリザードじゃ。近づくでない!」
魔獣が口を開き、紫色の毒霧を吐き出した。
霧は地面を這い、触れた草を黒く変色させる。風に乗ってこちらへ流れてくる。
「風上へ!」
エルシアに連れられて後退し、レインは風上へ回り込んだ。
その間にエルシアが氷壁を作る。毒霧は壁に遮られ、冷気によって凍りついて地面へ落ちた。
ポイズンリザードは再び喉袋を膨らませた。
「毒袋と喉袋に魔力が集中しておる。そこを封じれば、攻撃力は大きく落ちる」
エルシアの冷気が魔獣の口へ飛び込み、喉の内側を凍らせた。
毒霧を封じられたポイズンリザードは尾を振って抵抗するが、近接戦の耐久力は高くない。エルシアは首へ氷の刃を送り込み、魔獣を倒した。
「毒袋は、希釈すれば薬剤や毒薬の材料になる。毒牙、毒鱗、魔石も使えるぞ」
「危険性と有用性は、扱い方で変わるということだね」
「毒と薬は、使い方次第で同じものじゃ」
二人は必要な薬草と魔獣の素材を集め、帰路についた。
グレイファング、牙猪、ポイズンリザード。どれも危険な魔獣だったが、エルシアは相手の特徴と弱点を見極め、短い時間で倒してみせた。
「エルシアは、やはり強い」
「今さら何を言っておる」
「強いことは分かった気でいた。だが、わらわが理解していた強さより、さらに上だった」
エルシアは少しだけ顔をそむけた。
「当然じゃ。わらわは、おぬしの師匠なのじゃからな」
森を出る頃には、採取袋の中に星霜花や月白茸のほか、三種の魔獣から得た素材も収まっていた。
ただし、星霜花は上級治癒薬を十分に作れる量には届かなかった。
「まだ少し足りぬな」
家へ戻る途中、エルシアが言った。
「次は、さらに北側の湿地へ行く。あそこなら、もっと採れるはずじゃ」
「分かった。次の採取地点は北側の湿地だ」
「そうじゃ。準備を整えて、早いうちに出るぞ」
「分かった」
レインはうなずいた。
次の採取場所には、さらに強い魔獣が待っているかもしれない。
それでも今度は、今日より少しだけ森の歩き方を知っている。数日間の訓練で身につけた微小な魔力制御も、いざというときの武器になるはずだ。
レインは隣を歩くエルシアを見上げながら、静かに家への道を進んだ。




