四、雲船
「悲しみ?」
王が呟く。
「えぇ、私達には備わっていない感情なので、よく分かりませんが。」
かぐや姫は悲しみを知っていることを隠す。
「そうか、わかった。帰ってよい。」
「はい。」
彼女は立ち上がり、一礼して退室した。
そして、そのままあの鏡の神殿へと足を運んだ。
あたりは相変わらずしんと静まり返っていて、動くものと言えば、歩を進めるたびに舞う足元の細かい砂ばかりだ。
宙を見上げても地球は見えない。
「さみしい。かなしい」
かぐや姫は小さく小さく声に出してみた。
神殿に近づくと、かぐや姫に気付いた女官が走り寄ってきた。
「あの、何故だかわかりました。」
「…え?」
「姫様は、地球におられましたよね?それゆえです。それゆえ、あの魂達は自分と同じ境遇におられた姫様に取り憑いたのです。」
女官は挨拶もせず、語る。
「…なるほど。」
かぐや姫が小さく頷く。
そうか。天人でありながら、地球に落とされた者は私一人なのか。
「なので浄化の責務は今後行わない方が…」
女官は真剣な顔だ。
「わかりました。」
―――――――――
(いつからだろう。もう、月に来てから、どれほどの年月が経ったろう。主上の事を思い出してから、どれほどの年月を過ごしたのだろう。)
かぐや姫は一人、暗黒の空を見つめる。
もう、彼女の目が捉えるのは地球だけだ。
「主上…」
彼女には確信があった。
帝は不死の薬を飲んでいる
と。
「ふぅ」
彼女が小さなため息を一つついた。死んだように光が消えた眼が、一瞬光が灯った。
それは何かを決心したような、こちらに来てから始めて見せる煌めきだった。
「雲船を貸してくださりませんか?」
かぐや姫が女官の目を真剣に見つめる。
「雲船…私には無理です。王にお聞きになってみてください。」
「王ですね。」
かぐや姫が頷き、神殿に急ぐ。
「主上…」
かぐや姫はなにか呟きながら神殿の門をくぐる。
「地球…」
かぐや姫がはるか彼方の宙に浮かぶ星を見やる。
―――――――――
「王、突然申し訳ありません。」
かぐや姫が跪く。
「どうした?」
王の声が響く。
「雲船をお貸しいただきたいと存じます…」
「雲船?」
王がかぐや姫の言葉ををなぞる。
「えぇ、」
しばらくの沈黙の後、低い声が響いた。
「よかろう。貸し出しを許可する。」
その言葉に、かぐや姫の頬が緩み、輝くような笑みが一瞬こぼれた。
「港の『天月霧之船』を使うがよい。」
――――――――――
「あった。」
かぐや姫は、神殿を出ると港へ駆け出した。
見覚えのある船が暗い港に停泊している。
胸が高鳴る。
雲船の操作は簡単だ。
自分の想像通りに雲船が動く。
「地球…」
玻璃の様な彼女の目が空を見つめる。
「…」
彼女は夢中で船に乗り込み、目を瞑る。
シュゥゥ
天月霧之船が、端から溶ける様に消滅を始める。
「姫様っ!」
異変に気が付いて追ってきた女官が、かぐや姫に駆け寄った。
「はい?」
微笑みをたたえたかぐや姫が女官を見つめる。
「な、なにをしているのです!?」
女官は恐ろしいものを見たかのように目を見張り、雲船に乗っているかぐや姫を見つめ返す。
「なにを?とは。」
「なぜ、姫様が雲船にお乗りになっているのですか?」
「…私は、地球に帰る事にしました。」
かぐや姫が穏やかな笑顔で告げると、女官の表情が凍りついた。
「は?」
「だから地球に帰ります。」
「駄目です。」
女官が叫ぶように止める。
「絶対駄目です。」
女官は自分も雲船に乗り込み、かぐや姫を無理やり降ろそうとする。
「いいえ、私は帰ります。」
かぐや姫は静かに首を振る。
「ですが!」
女官はそう言った瞬間、お腹辺りに違和感を覚えた。
その違和感は次第に痛みへ変化する。
「は、」
女官が自分のお腹辺りに目を移す。
そこには、何か…槍が突き刺さっていた。
「え、」
女官は驚いた顔のまま後ろへ倒れた。
「私は、地球に、帰る。」
…女官の腹に槍を突き刺したのはかぐや姫だった。
彼女の頭にはもう「地球に帰る」以外なにも無い。
かぐや姫は、血で染まった槍を元あった所へ戻す。
本来この槍は雲船の進行方向を指すためのものだ。
「私は、帰る。」
彼女の目は完全に光を、生気を無くしていた。




