2-13 此処は目的地までの途中
「これは、お前がやったのか?」
「...いいや」
「そうか、別にどちらでもいいが」
底なしの崖から登ってきたディエゴが見たのは、本人を投げ飛ばしたチャンの死体だった。その近くに私が立っていたものだから、ディエゴは勘違いをしたのだろう。
無言でディエゴは進もうとし、一瞬死体となったチャンに目を向ける。その後、何事も無かったかのように先に歩いていってしまった。
私もチャンの姿を目に焼き付けた。そしてディエゴの後を追う。もう、振り返る事はなかった。
そこそこの歩速で歩くディエゴを、数メートル後ろから私が付いていく。目的地は決まっていなかった。
言葉を交わさなくて良いのが今は心地が良かった。考えるべきことがいっぱいある。それは全て、自分についての事だった。
傷を負った額にはクリーム状の薬剤を塗り、包帯で処置してある。数日すれば傷跡も残らず元に戻るだろう。
「...結局」
ヒナゲシ区以外の地図データはないため、外の世界は手探りで進んでいくこととなる。この場所はおそらく小規模な場所であり、名前を付けるほどでもない、人間がコロニーを作って生活しているような区画とは程遠い僻地だと思われる。とりあえず、「崖と狭間の道」と呼称するが、崖と狭間の道には簡素な特徴があった。
すなわち、360度を見渡して崖以外には基本何もないこと。いくつかの起伏があり、そこに簡易的な住居を作っていた人たちもいたようだが、殺風景だと印象づけるしかない。
問題は、私たちがやってきたヒナゲシ区すら見えないということ。巨大な壁から落下してきたはずなのに、四方に見えるのは幾つかの起伏と水平線だけだ。いったい、何故わたし達はこんな所にいるのだろうか?
「それともうひとつ」
この場所では大量虐殺があり、恐らく殆ど人は残っていないだろう。
その主犯はチャンであり、彼が執心によって凶行に走ったのは間違いない。
だがメガスロットのロンは?彼がこの場にいることが異常だった。
ヒナゲシ区ではメガスロットなど見たこともなく、知っている人間もまず居なかった。地下室でアダムの姿を見たが、追われる程の極秘事項とメガスロットはどうやら密接に結びついていた。
要するにホイホイ外を出歩いていいような存在では無いのだ。ロンは。ロンは偶然か分からないが、人間に対して敵意を持っていた。
「もしかして、メガスロットは複数作られてるものなのかな?道具みたいなものだし。これがあと、何基いるんだろう...」
「さっきから何をぶつぶつ呟いている?」
見ると、ディエゴが顔を向けず問いかけていた。私は反抗気味にディエゴに返答する。
「キミたちがいなくなってる間に、私は大変な目に遭ってたの。どこほっつき歩いてたんだよぅ...」
思えば同行してるはずのメガスロット、ライムもどこかに消えたままだ。探す程でもないが、行先を知ってるみたいな事を言ってなかっただろうか。
「危ない勧誘を受けていた」
「...キミ、どこか頭でも打った?」
ディエゴが生真面目な様子でそんな事を言ったので、私は思わず茶化すような素振りで聞き返してしまった。
ディエゴは鋭い目線だけをこちらに向けてくる。
「やっぱり怖いって、危ない勧誘したのはそっちなんじゃないの」
私は歩幅ひとつぶん距離を取り、ディエゴに聞き返す。
ディエゴについては謎が多いが、生半可な恐喝などは無意味に思える。剣呑なオーラを全身から放ち、切れ味の鋭い両目から睨め付ける視線に耐えられる人間は少ないと思うが。
「なんだ、信じていないのか」
「私だったらキミみたいな人を誘いたくないなーって」
ディエゴは切れ長の三白眼でこちらを見てくるが軽くいなす。ここでの出来事で少しは私にも胆力が付いたようだ。
「昨日の事だ、注意喚起のついでに話しておこう」
ディエゴが自分から口を開くのは珍しいと思った。別にそこまで付き合いが長い訳でもないが。
********
「え!?タピオカミルクティー飲んだ事ないの!?あんなに有名なのに!?」
「タピオカとは、なんだ」
俺はミクリ・ラバーズと名乗った女と相対し、急拵えのテーブルを間に挟み、向かい合っていた。
ミクリはこの世界で素性も分からない俺にキュービットを灰にする杖を提供してくれた。その杖の名は───
「...デキューバー」
「タピオカだっつってんでしょ!話聞いてた!?」
相手との距離を測り、物思いに耽っていた俺はくだらない話に耳を傾けていなかった。俺はキュービットを操る少女とけたたましい機械の板を早々に置いていき、何も分からない地でミクリと再開し、相手の要望で二人だけの卓に付いている。わざわざ俺を座らせるということは長い話になるという事だ。デキューバーの恩もあるため、無下にはできなかった。
「一体何が目的だ?タピオカを飲ませる為に俺と接触した訳じゃないだろう?」
「ディエゴ...タピオカはね、噛むのよ。丸呑みはちょっとキビシイ」
ミクリはやれやれといった様子でテーブルに頬杖を付く。依然として、目には黒を下地にした鮮やかな眼帯が巻かれているため、表情から何を考えているかの指向は読み取れない。
「そうね、本題にさっさと入りましょ。そーゆー所は昔からブレないわね...」
「昔?」
「言葉の綾よ。それよりもさ」
ミクリは精緻な作り物のような顔をテーブル越しに近づけてきた。
「...私が所属する組織に、協力しない?」
「断る」
「即答すなー!」
最初は妖艶な仕草で顔を近づけて来たが、俺が拒否すると、テーブルを両手でバンと叩いた。心做しか、眼帯の内側にある表情は呆れているようにみえる。
「そーゆーのはさ、組織って何だよ、とか、お前の正体は何なんだ!?、とか、疑問を持つものじゃない??」
「集団行動は俺の足枷になる。ましてや従属など尚更」
「ホワイトでフレキシブルなんだけどなぁ...んま、ディエゴの意志を聞いた上でもう一度問うから」
ミクリは再びテーブルに頬杖を付き、質問をリピートした。
「私が所属する組織に、協力しない?」
「...何をする組織だ」
「ヒミツ。協力するなら教えてあげる」
ミクリは一番大事な所をぼかした。俺は彼女の言う組織に萌芽程ではあるが興味が湧いた。
「開示できる情報を全て教えろ」
「...ふぅ〜〜ん」
ミクリは鮮やかなローズレッドの唇を綻ばせた。そして、手元の電子板を操作し、何かを取り寄せる。ふたつ届いた箱は上面が霧散し、済んだ茶色の液体が入ったカップになった。
「この場所を、私たちの手のひらの上に置くの」
「...」
「ふざけてるって?ノーノー、優位性の問題よ」
ミクリは指を鳴らし、俺の目線をこちらに向ける。
「この場所が何なのかわかってるでしょ?言わば精緻に造られたジオラマなの。それを壊さず掬い上げる事が現実的にできる。なぜなら───」
「徹底的に秘匿されているからか、あらゆる権力から」
「そ。この場所を知っている人間はごく僅か。この場所が実験室のシャーレになっている以上は開示することができない。それはアンタも重々承知してるでしょ?」
俺はミクリから渡された紅茶に口を付ける。薄味で何が良いのか正直わからなかった。だが、この世界に来る前に叩き込まれた事はよく覚えている。
掻い摘んで言うと、秘密を開示するくらいなら死ね、だ。俺はそれに同意し、片道切符の船に乗り込んだ。
「競合が居ないうちに組織で掌握したいという事か。だが、そんな事をしてどうする。この場所に住む人間はどう扱う?」
「目的はね、言えない。でもこれだけは言える。」
ミクリは空にしたカップを空中に放ると、霧散したカップに気にもかけずこう言った。
「私達の行動は平和のためよ、アンタと同じで」
「...支配が目的で、何を言う」
俺は信じられなかった。ミクリが言う組織は、まるで漫画に出てくる悪の組織のようだった。
「あと、ここに住む人間には何もしないわ。実験用のラットに出来ることなんて、せいぜい私達の腕を噛むことくらいでしょ?ネズミたちの反発も予想できるけど、噛まれないようにすればいいワケだし」
「...どのくらいの確率で、実現できる」
「んー、、、」
気が付くと俺はミクリの計画に虜になっていた。ミクリは逡巡すると、指を四本立てた。
「40%ってところ。正直、この場所は私達も把握できていないところが多すぎる」
「博打ではないのか」
「スケールの大きい計画なんて大体が博打でしょ。それに私達には強力な戦力がいる。争いが無いこの世界なら掌握可能なくらいな人間が、ね」
ミクリは黒の眼帯で覆われた眼窩から右目を露出させる。
覗かせた眼は澄んだエメラルドグリーンであった。その目を、どこかで見たような...
そのような考えが浮かんだ瞬間、俺の視界は中心から右と左に分かたれた。
「っ!?」
平衡を失った身体は、手に持っていたカップをテーブルに落とす。半分程残っていた中身が水溜まりを作っていた。
「私達は、単騎でも誰にも負けない、プロの戦闘集団なの」
幻覚にも似た目眩から解放される。顔を上げると、眼帯を元に戻したミクリが澄まし顔で座っていた。
「どう?気が変わった?」
「...いや、お前たちの誘いには乗らない」
「マジ。そこは折れて欲しかったんだけど。ウチら少数精鋭とか言って全然人数いないワケだし」
ミクリは残念そうな仕草を残すと、テーブルから立ち上がった。
「それでこそ、かもね。アンタは。私じゃ説得は無理そう」
ミクリはそう言うと、俺の顎に右手をあてがえ、顔を近づけてきた。
「じゃあね、アンタなら一人でも目的を成し遂げられると思ってるわ」
眼帯越しに目を合わせると、ミクリは俺に背中を向けた。その後、自身を四角い箱で囲い飛んで行ってしまった。
「...名前」
壮大な組織のようだったが、組織名を聞くのは忘れた。だが、組織のエンブレムは目に焼き付いてしまった。
ミクリの澄んだ緑が閉じ込められた眼、そのグリーンの虹彩には、三日月と鳥のモチーフが収まっていた。
********
「うわ、何それ、怖…」
私エスは、半眼を作りながらディエゴの話を聞いていた。
「なんて言うか、悪の組織の幹部みたいなのが現れて、スカウトされたってこと?雰囲気が怖いから同類って思われたんじゃ...」
「そんなことは無い」
ディエゴはさらりと否定した。まるで同類と思われたくないようだ。
「思えば、私は外の世界の事を全く知らないんだよね…。どんな場所なのかも、どんな人がいるのかも正直、想像が付かない。怖い人もいるんだってのが、ついさっき分かったくらいかな」
自分の思想のために殺戮を繰り返したチャンの事を思い出す。あのような人間が大勢いるとは思えないが、誰かが守ってくれるとは限らない。ヒナゲシ区では人を傷つける行いはご法度という不文律があったが、ほかの場所では別のしきたりが敷設されている可能性があったのだ。
「常識が、通用しない場所…」
私は考え込む。未知の場所に向かうには、方向を指し示すコンパスが必要だった。
「アレはどこにいる?外の世界を知っているという」
「へ?あれって?」
「アレはアレだ。煩わしい機械の板」
「誰が煩わしいよっ!!アグレッシブって言ってちょーーだぃ!!!」
ディエゴがそう言うと、私の背後からその機械の板が音を立てず出てきた。まぁ、声量は静謐とは程遠かったのだが。
「あ、いたんだ。ライム」
「うぇっ!?反応薄くない!?そこは感動の再会にむせび泣く所でしょーーがっ!!」
「うるさいな確かに…」
(一応)同行していたメガスロット、ライムが現れた。正直意識の慮外に置いていたので、今の今まで存在を忘れていたのだが。
「おい、お前は地理に明るいんだろう。次に向かう場所を教えろ」
「何ーーこの子!乱暴すぎて堪ったもんじゃないわ!そんなんじゃ教えてあげないわよう!!」
「いいから、早く教えてってば」
私は心身ともに疲れていたため、ディエゴに便乗する。ぐっすりと眠れる場所、および私と同じ普通の人間が文化的に暮らしている基点へと早急に行きたかった。
「あら、エスまで釣れないわねぇ」
目の前のメガスロットは一回転すると、どこからか半透明の電子板を呼び出した。
「いいわ、教えてあげるわよん。次に向かうべき場所は…」
いまわたしたちが立つこの場所は、単なる起点から目的地までの道にしか過ぎない。
それでも脳裏に刻み付けられるようなことがあった。常識の軛に囚われない人間がいた。命を懸ける経験をした。
だからこそ、私は今後も進むことを選ぶ。メガスロットとは何なのか?この世界はどう在るのか?知るべきことは山ほどあった。そして、その中に自分がやるべきことがあると確信したのだ。
********
「そういえば、チャンさんが言っていたんだけど」
私たちは目的地に向かって進んでいた。ライムがキュービットで空中を走行する板を作ってくれたので、板の軌道に任せ、私たちは進んでいる。
「ディエゴってチャンさんと同じとこから来たっぽいんだよね、なんとなく」
「だから何だ」
ディエゴがそっけなく返答する。私は質問を続ける。
「”レイン”って何か、知ってる?」
何もない平地を進むのはいささか退屈なので、時間潰しにとそう聞いた瞬間。
突然ディエゴが跳ね上がり、私の胸倉を掴んだ。
「ぐっ!?」
「お前…なぜそれを知っている!?」
鬼気迫る表情でディエゴが詰め寄ってくる。
「キャッ!?喧嘩かしら?」
ライムの配慮により、私とディエゴの間に人の腕が通せないぐらいの柵が形成された。両者は強制的に分断されたが、緊迫した空気は続いている。
「レインってチャンさんが言って…ともかく!私も何なのか分からないって!」
「……そうか。悪い、取り乱した」
そう言うと、ディエゴは反対を向き、電源が切れたように俯いてしまった。
再び、目的地への旅路に静寂が戻る。
だが、私は見逃さなかった。
ディエゴに掴まれた瞬間、彼の眼にはチャンと同じ妄執の輝きが映っていたことを。




