2-12 悪鬼からの進言
「ん...うっ」
目が覚めたのと同時に知覚したのは、真紅に染まった世界だった。
「うわっ!?何これ...」
夢でも見ているのかと目を擦る。しかし、視界を満遍なく彩る赤色は変わらない。
「え、なに、私目までおかしくなっちゃった...?」
解決しない異常事態を認識すると、心臓がばくばくと速度を増すのを感じた。そもそもなんでこんな場所で目を覚ましたのか考える。辺りは何もない平野で、後ろには崖があるようだ。
「私は...飛来した槍を受けて...」
そこまで思い出す。瞬きしても変わらない赤色スクリーンで辺りを見据えながら一つの結論を出す。
「死後の世界...!?」
私は槍の攻撃を受けて死んでしまったのだろうか、それにしては全身が痛く、重苦しさがあるのだが。
「死んだ後でも、生きてる時とあんまり変わらないんだね...」
しみじみとそのような感想を漏らすと、どっと疲れが湧いてきた。水を取り寄せるために、つい癖で電子板を呼び出すジェスチャーを行う。
ぴろん、という音と共に見慣れた電子板が現れた。
「...へ?」
ちょっと状況がおかしい。私が普段行うように水を取り寄せると、わずか30秒ほどで飲料水が入ったキュービットが私の元に来た。
「これじゃ、まるで...」
私はキュービットに触れ、封を切る。天井面だけが霧散し、飲み水が空気に露出した。そこで、水面に映った私の顔を確認する。
「うわあっ!?」
見ると、鼻の下まで血糊がべったり。どうやら額から大量に出血しているようだった。
「視界が赤いのはそのせいか...死んだんじゃないんだ、よかった」
水面に映る顔を見てやっと状況を把握できた。飲むために水を取り寄せたが、その水で顔を洗うことにする。
「痛っ...結構ざっくりいってるなぁ」
私は額に手を当てる。疼く傷口に指を触れされると、鋭い痛みが走った。
ここが死後の世界などでは無いことを知覚すると、全身に負っていた怪我が存在を主張し始めた。私は水滴が垂れる顔をふるふると振るうと、地面に大の字になった。
「疲れた...静かだなぁ」
空を舞うキュービットは一様だ。ぼんやりと見つめていると、そのまま眠ってしまいそうになる。
「なんだか、大事なことを忘れてる気がする...」
ぼんやりとする思考は、槍の衝突の記憶を掴み、そこからそれ以前に繰り広げられた、激闘の記憶を手繰り寄せる。
「っ!チャン!」
何故意識の外に置いていたのだろうか。私はチャンとの対立により、命を懸けるほどの戦いを行っていたのだ。一気に体温が冷め、身体が臨戦態勢に入る。
私は一瞬で飛び上がると、警戒すべき敵の姿を探した。しかし、どこにもチャンの姿は無い。
「どこへ行って...もしかして去っていった?」
気絶した私を殺害したと判断し、そのまま去っていったと考えるのが現実味があるだろう。私はとりあえず肩の力を抜き、一つ深呼吸をする。
「ぶっ!?」
私は急に呼吸を乱した。なぜなら、壁のような地形の丁度物陰となっている立地、そこからチャンが履いていた靴が覗かせていたからだ。
「うわ...いた」
思わず歩を止める。チャンはどうやら物陰の後ろで横になっているようだ。何があったかは分からないが、私と同じく気絶していると考えるのが自然だろう。
千載一遇の好機。
私はチャンを捕縛しようと、物陰の反対側に向かう。
物陰の向こうにスニーカーを踏み込んだ瞬間。
一瞬、世界が反転した。
「…え?」
それはほんの、刹那とも言ってもいい瞬間。入ってはならない場所に立ち入ってしまったような感覚。
私が踏みしめるのは赤茶けた大地であり、辺りは硝煙の香りが漂う。ぼろ布のような外套を羽織る人々は疲弊し、かつては民家であっただろう瓦礫の骨子が乱立している。私はチャンを確認するため、下方を向いていたので分からなかったが、鮮やかな茜色が覆う空の一点には、果てしないほどの光量が存在した。
定かではない幻は一瞬のことだった。だが、なぜそのような光景が見えたのかは、腑に落ちてしまった。
「……チャンさん?」
私と対立し、命を奪おうとしていた狂人・チャンは、左胸の心臓の位置に大理石を彫るために使っていたノミを突き立て、彫像の如く動かなくなっていた。
「...っ!」
私は迅速に心臓の位置へと耳を当てる。聴覚を澄ますこと、一秒、二秒、…
「...死んでる」
チャンはとっくに絶命していた。血と硝煙が入り混じったような匂いが、私の鼻孔に届いた。
「どう…して」
チャンの顔は安らかなものだった。両目を深く閉じ、口元はまるで次の瞬間には息を吹き返しそうな様子だった。唇が紫に変色していることを除けば。
私と死体だけがこの場所に残された。悄然と狼狽と喪失が入り混じった感情のまま、私は糸の切れた人形のように立ちすくんでいた。
どれだけの時間そうしていたのだろうか。
天蓋がライトブルーから薄いオレンジに移調する頃、物陰の裏に大理石の板が立てかけてある事に気が付いた。
「チャンさんが、お墓作ってたやつだ」
ゆっくりと大理石の板に近づく。そこには、自身の心臓を貫いたノミで彫られたのであろう精緻な文字が書かれていた。
「何でこんな、遠回しな事を」
私はしゃがみ、石彫りの文字の内容に目を通す。
「謹啓、この文言が醜悪な鬼に成り下がった拙者に立ち向かった少女のみに届くことを願う」
私のことである。段落がそれなりにある文章を続けて黙読する。
「拙者は自らが創り上げた信仰のため、多くの無辜の人間をこの手で惨殺した。その事について哀惜の念はない。己の心身では正しいと信じ、間違っている事を繰り返した」
チャンが殺害した人間は三十五人、決して許される事ではなかった。
「うぬはレインに助けを求めただろう。そこで確信したのだ。拙者はレインの光に灼かれ、うぬは悪逆の輩から命を護られると。そのために拙者は、多くの人間を殺害した甲斐があったと思うだろうと」
チャンが放った槍の事だ。私はレインというものを信じてはいなかったが、チャンと対話するためにはレイン存在に触れる必要があると思ったのだ。
「だがそうはならなかった。拙者の放った槍はあっけなくうぬの頭部に直撃し、うぬはその場で倒れこんだ」
「…ははは、だから頭が血だらけだったんだ」
私は状況を知った。私の頭部にはメガスロットが埋め込まれており、頭へのダメージはリスクが高い。しかし不幸中の幸いか、私は普通に動けており、メガスロットのライフも4574と先ほどから変わっていない。大事なし、という事だ。一応は。
「拙者は気づいてしまった。レインは神の光などではない、という当たり前の事実に。助けを求める少女に応えないなど、そんなものは神とは呼べないと」
私が思っていたことに、チャンはやっと気づいたようだ。私からしたら「そんなことか」という事だろうけど、信仰を根本から覆された人間にはどう映ったのだろうか。
「愚かな殺人鬼だけが残った。まさしく鬼である。理由もなく虐殺を行い、何も得ようとせず次の鏖殺に移る。拙者は人の道理から外れてしまったのだ」
私は息を吞む。チャンは無心で人を殺していたのか。私はチャンの事を愚かだと思った。同時に、チャンという人間を責めることもできなかった。
「拙者は一刻も早く地獄に落ちるべきだと気づいたのだ。拙者が死ぬことで誰も報われないうえ、だれも悲しまないだろう。しかし、こうするのが道理だと思ったのだ。自分が悪鬼であることが分かったのなら、この世にはもう居られないと」
瞬きを忘れたまま、私は最後の一文を読む。
「エスよ、決して愚かな人間にはならないでくれ。自分を遥か凌駕する存在に相対し、それに降伏してしまえば、私のような人間が出来る。レインに裏切られても立ち上がったうぬならば、何にも負けないであろう」
暫しの時間の後、私から漏れた声は笑いと怒りが半々になったものだった。
「…何ですかこれ、ふざけてるんですか」
私の名前が出てきて一瞬びくっとしたが、結果としてこの文章は遺言でも自白でもなく、私への忠告だった。
「私が自分のエゴのためにたくさん人を殺すわけないじゃないですか!あなたみたいになるわけないですよっ!」
先ほどの戦いがうまく転んだのならば。私はチャンに罪を雪いで欲しかった。取り返しのつかない過ちを犯したからといって、人の理から外れたからといって、死んで無かったことにして欲しくはなかったのだ。
私はつらつらと文字が書かれた大理石を両手で持ち上げる。
見た目のわりに軽いそれを、私は底が見えない崖に思いっきり放り投げた。
「人は!死んだら終わりなんです!」
私は物言わぬ亡骸となったチャンに向かって叫ぶ。
「だから私は死ぬのが怖い!チャンさんを殺す気で攻撃できなかった!」
風は変わらず崖下に向かって吹いている。私は風下に立ちながら、死体に向かって告げる。
「私は忘れませんよ、チャンさんがどれだけ愚かだったかを!それがあなたに対しての、唯一の弔いです」
チャンの事を覚えてる人間はいないだろう。なぜなら、彼と相対した人間は全員死んでしまったから。
私がここでの一切合切をなかったことにすれば、チャンという人間は消滅する。
それでも。
彼の執心は本物だったから。
本気で虚像を追い求めていたから。
それは愚かな行いであったとしても、記憶から消してしまうのは正しくないと思った。
私は突風を浴び、頭髪をたなびかせながら、空を見つめる。
「世界は、広いな…」
この場所での脅威は全て無くなった。
私は虚空を見つめたまま、次の場所へ進まねばと思う。先が見えない道を想像し、その広大さを感受する。遠い地平線に向けられた目線は迷子になっていた。




