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キュービット・オン・ザ・グラウンド(改訂前)  作者: TATA
第二章 崖と狭間の道
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2-7 来た道を戻って

「チャンさん、足速くない?いや、私が遅いだけか…はは」


 私エスは、チャンという男性が忘れていったフライパンと匙をそれぞれ両手ずつ持ち、来た道を戻っていた。私が身を守っている人がいると情報提供し、チャンがそこへ向かっていった。その後、チャンが調理器具を忘れていったことに気づいたという流れだ。途中で追いつけるかを期待していたが、そう上手くはいかなかった。


「まぁ、行く当てがないからいいんだけどね…」


 私はこれから向かう場所を決めていなかった。というよりも、現在ある問題を解決しなければいけなかった。


 悪意あるメガスロット、ロンの対処である。ロンは人間を殺害するという加虐的な行動思想を持つメガスロットであり、言ってしまえば私には関係がないのだが、ロンを放置するわけにはいかなかった。実際にロンと敵対したが、人間を殺すことに躊躇いのない様子であった。身を撫でるような害意は恐ろしいものであり、できることなら遭遇したくはなかった。


 だが、そのような存在を野放しにはできない。どうにかしたいという葛藤があった。


「私じゃ…どうにもできないけど」


 自嘲気味に呟いた言葉は風に乗って消えていった。言葉の意図とは裏腹に、私にしかどうにかできないと思っているからどうにかしたいという考えが浮かんだのだと気づく。


「思えば遠くまで来たような気もするけど、まだヒナゲシ区から大して移動してないんだよね…しかも戻ってきちゃったし」


 ヒナゲシ区から意気揚々と出奔してきたはいいもの、行先が定まっていないままトラブルだけが増えている気がする。トラブルは解決するのが一番の良策だ。そのためにも、暴戻なメガスロットは支障であった。


「よーしよーし、まだ残ってるね」


 私が見つけたのは、ロンとの戦いで火を頂戴した場所だった。その場所では複数人の人が火を囲み、敵から身を隠していた。私がチャンに教えたのもその場所であり、おそらくその近くにチャンもいるだろう。


 木を隠すなら森の中、外部からは何の変哲もなく荒地に見える壁に向かうことにする。


「チャンさんいますかー?フライパンと匙、忘れてってますよー?」


 匙でフライパンをカンカン鳴らしながら、人が隠れている壁に近づく。


「...あれ」


 異変に気づいたのは、おおまかに球状を形作っている壁の死角に近づいた時だ。外部からのカモフラージュを成していた壁に、どうやら大きな穴が開いている。


「なにかあったのかな?」


 穴を覗くと、煌々と燃えていた火が消えていた。暗くてよく見えないが、レスポンスは返ってこない。


「誰もいないのかな?えいっ」


 私は小指サイズのライトを点灯させ、穴に向かって照射する。


 穴の中では、人が惨殺されていた。


「ひっ...!」


 私は声にならない音を上げ、ライトを手から滑り落とす。


 焚き火を囲んでいた男は頭から血を流し壁に磔に。


 警戒心の強そうだった女は打撲の跡を体にいくつも付け蹲っており、


 私に燃えるものを要求してきた男は胴をねじ曲げたまま冷たくなっていた。


「そんな...こと...って」


 3人とも死んでいた。以前は医療の役割を選択していたが、ひしゃげて、人の形を欠いた死体を見る事は多くはなかった。伝聞で聞いていた惨状を目の当たりにすると、恐怖で体がすくむ。ロンを相手にした時よりも恐ろしさは上だった。


「この人たちが、何をしたっていうの」


 肌が粟立つ感覚。視界が歪み、先ほどチャンから振舞われた胃の内容物を嘔吐しそうになる。


 幸か不幸か、パニックから立ち直る術はメガスロットの余命を数えている際に鍛えられたので、なんとか吐瀉物をまき散らさずに済む。


 全員敵から身を守るためにここに引きこもっていただけだ。わたしはたじろぐも、目を深く瞑ったあと、この場所を後にする。


「やめさせなきゃ、こんなこと」


 ロンを見つけ、改心させる。難易度が高いにもほどがあったが、この目を覆う光景は看過できなかった。


 私の心中を図っているわけではないだろうが、遥か上空を一方向に流れているキュービットは迅速に上流から下流へと流れて行っている。その方向と逆に進む私は、気持ちの逸りを抑えられなかった。


 重々しい足取りは走るのに適していない。深い呼吸を繰り返しながら、私は気づいたらこの区画へ一番最初に足を踏み入れた場所へと戻っていた。


 そこには大量の墓碑が建っており、新たな墓標を建墓しようとしていたチャンを見つけた。


「…チャンさん」


「どうした。うぬがなぜここにいる」


「忘れ物を、届けようとしたんですけどね…」


 私は手に持つフライパンと匙を手渡した。チャンは己の過失を恥じるように目を瞑り、深く一礼した。


「かたじけない、エス殿。滅多に物忘れなどしないのだが、迂闊であった」


「いいですよ、そんなことより…」


 私は先ほど見た惨状を共有したが、既にチャンは知っていたようだった。


「人が三人も死んだ。これは由々しき事態であり、神の怒りに触れる事象である」


「……どうして、彼らが」


 思えば、人の惨殺死体を見るのは初めてかもしれない。ヒナゲシ区で医療の命題に従事していた際は遺体を一度見たことがあったが、その時は「あ、人って死んだらこうなるんだ」程度の印象だった。だが、凶刃を降ろされ絶命した物言わぬ遺体は、私に世界が傾くほどの不快感を与えた。


「これだけの犠牲者が現れても、レインは顕現せぬか…」


「?レインって」


 そういえば、チャンと初めて相対した時に自己紹介でレインがどうこうと言っていた覚えがある。私が聞くと、チャンは厳かに口を開いた。


「私はレインに命を救われた」


「レイン…」


 不思議な響きだ。名前からしてレインが何なのかは検討もつかない。


「レインにもう一度邂逅するためにな、拙者ははるか遠い場所からここに来たのだ」


「レインって、なんなんですか?」


 私が問うと、チャンはライトブルーの天井を見上げながらつぶやいた。


「レインとは神の御業である。悪しき者を滅し、無辜なる者を助ける。信賞必罰の鎚であり、神道の極致である」


「...相変わらず、言ってることがよくわからないなぁ」


 熱が入るのはいい事だが、肝心なところが伝わらないと意味がない。とりあえず、特定の個人を指している訳ではないようだ。


 チャンの大理石を掘るノミを握った手が震えている事に気がついた。


「私はな、怒っているのだ」


 そう言うと、乱暴に大理石へとノミを打ち付ける。


細かな破片が私の方へと飛んできた。


「なぜここまでしてレインは顕現しない!?悪を裁く光がレインではないのか!?」


「チャンさん...」


「これで三十五人目だ。無惨に命を落とした者への手向けを拙者はしなければならない」


「命は、こんな呆気なく終わることもあるんですね」


 ヒナゲシ区にいた頃は、メガスロットの寿命が遅々として減っていくのが容認出来なかった。文字通り命を消費していく。減った分は補填することもできない。命の可視化は私に心理的ストレスを与えた。


 だが、この地で惨殺されていった人たちはあまりにも「呆気ない」と思った。心の準備もできないまま、自分の存在理由も認識する間もなく命を終える。そんな事が横行していい訳がなかった。


「チャンさんの怒りも真っ当なものだと思います。レインが救いになるのなら、今来るべきなのだって」


「そう思うか、うぬも」


 レインが何なのかは分からないが、惨殺を止められるなら縋るべきなのではないだろうか?たとえレインが無くても、止める必要があると思った。


「私は行きます。メガスロットを止めに」


 チャンからは返事が帰ってこなかった。私は髪を結び直し、ひた歩くことにする。


「待て、エスよ」


 唐突にチャンから呼び止められる。振り返って見ると、上がった腕と裾の間から、二の腕にびっしりと黒い縦線が入っていたのを視認できた。気になったが、今は触れないでおく。


 チャンはそれに気づいたのか、腕の線を裾で隠した。


「なんですか、チャンさん」


「うぬは、生きたいと思うか?」


「えっ...」


 その問いは、私には答えるのは容易だった。だがそうではなく、別のことを聞かれているのだと思った。


「生きたいです。生きる理由なんて定かじゃないけれど、きっとどこかにあると思います」


 チャンはこちらに目線を向けたまま、充足そうにしていた。私はロンを探すため、ここから立ち去ろうとする。


 ふと、私の脳裏に泡沫のように思いついたことがあった。


「私が生きる理由を探すのも、チャンさんがレインを追い求めるのと同じかもしれませんね」


 くるりと向き直りそう伝えた。再び歩を進めた私に、チャンは何も言ってこなかった。


********


 エスが見えなくなってから、彼女が発した言葉を反芻していた。


「私が生きる理由を探すのも、チャンさんがレインを追い求めるのと同じかもしれませんね」


 ふと、自分がしばらく硬直していることに気がついた。


「同じ...そうなのか?」


 彼女は生きたいと言っていた。その意思は崇高なものだと思っている。


「否...否である」


 レインとは、悪を討つ神の光。


 彼女が追い求めるものとは正反対の属性であった。


********


 私エスは北東方向へと向かっていた。


 理由はひとつ。まだ行ったことがないからだ。


「あそこにきっと、まだ人が残ってる」


 目指す方向には巨大なテコが見えた。巨大な建造物がある所には人が密集しているのが定石だ。私は走る。


 右手はなにもない平野が広がっているのだが、左手は深い崖になっている。底が見えない崖は、落ちたら一溜りもないだろう。


 キュービットで移動手段を作りそれに跨がうのも良かったが、走るのが心地よかった。


「はっ...はっ...」


 もう少しスピードを上げようかと思っていた最中である。


 びゅっ、と耳元で風を切る音がした。


 何かが高速で私の顔の横を通過したのだ。


 その物体は私の目の前で静止し、正体を露わにする。


 アルミケースで造られた、長方形のカードのような物体。まるで警告を発するようにLEDが白く点滅している。


「メガスロット...!」


 嫌な予感がした。メガスロットは辺りのキュービットを巻き込み、人の形を成していく。


「探したぞ生娘!今度こそお前を殺す!」


「...っ!ロン!」


 尋ね人は唐突に。心の準備が出来ていないとか言っている場合ではなかった。この場所で起こっている凄惨たる死を招く首魁であり、打倒すべきメガスロット、ロンと図らずも接敵したのであった。

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