22話「ネバダ①」
それは星降る夜の事。
一条の流星が、暗幕を垂らした空を裂く。
幾千の星々は、大地に等しく輝き落とす。
穢れも知らない星空とは対照的に、荒野では悍ましい出来事が起きていた。先ほど大地に落ちた黒い光は、ナッツの体に降り注いだ。
すると突如、ナッツは悶え始め、白目を向いて獣のような唸り声を上げた。大きく開いた口からは死を具現化したかのような、意匠の凝らされた不気味なナイフが引き上げられる。
ピキリと、金属の欠ける音がして、ナイフとナッツが自壊していく。
「……嘘でしょう?」
シロハは虚脱感に襲われるしかない。
自壊したナイフから現れたのは、自分と瓜二つの少女。
あの幻想が真というのなら。
ナッツの話が真実だというのなら。
目の前に降臨したその女性は。
「ネバダ……っ!」
「……私?」
シロハの声に、ネバダが反応した。
しかし次いで出た言葉は、呼び掛けに対する応答というよりは、目の前に自分が立っていることに対する疑問という方が的確だ。
「いえ、私の名前はシロハです」
「シロハ……?」
ネバダは指を口に当て虚空を見つめた。
シロハという名前の巫女を思い出そうとするが、彼女の記憶にそのような巫女はいない。次いでネバダは辺りをぐるっと一望した。まるで蛇がとぐろを巻いたとでも言わんばかりに、大地には空間を捻じ切った跡が残っている。
ネバダは星を見た。
星詠みと呼ばれる、太古の昔に失われた技術を行使する。
「あぁ、そういうこと」
星の動きは、全ての因果を網羅する。
ネバダはこれまで起きた歴史を正しく把握した。
そんな技術がどうして失われたかと言うと、歴史を隠蔽するためだ。星を詠む者がいる限り、後世にネバダの存在は語り継がれる。それを恐れた古き民は星詠みを排除した。その事を蘇ったネバダに知られることになるのは、彼らも予想だにしなかっただろう。
今が夜だったのは、ネバダにとって都合が良かった。これが昼なら、現状を把握するのに時間が掛かったからだ。
「ここは私がいた時代の、遥か未来なのね?」
「……ええ、そうです」
自然体に近いネバダと対照的に、シロハは緊張感を持ち続けている。
「私が、怖い?」
ネバダの問いに、シロハは答えに詰まる。
怖い怖くない以前に、シロハとしてはどう対応すればいいか分からないというのが本音だ。
シロハは知っている。
ネバダが、穢れを一人で負うことを覚悟した日を。
――誰かが穢れる必要があるというのなら、一切合切私が背負ってやる。
シロハは知っている。
ネバダが、自分の二の舞を演ずる者が現れないよう願っていたことを。
――穢れに身を堕とすのは、私一人で十分だ。
シロハは知っている。
ネバダも自分も、同じ破戒巫女であることを。
そして彼女がそれを望んでいないことを。
「……答えたくないのか、答えられないのか」
そう言うとネバダは、星に向かって指をさした。
そして指揮棒を振るかのように、夜空に何かを指書きする。やがて腕が止まる。
代わりに彼女の目から、涙が流れ落ちた。
「……変わって、ない」
ネバダの今の儀式は、特定の人間の歴史を星から読み取るためのものだ。対象は、もちろんシロハ。腕を止め、涙を流すまでの一瞬で、ネバダはシロハの歴史を追体験したのだった。
そしてそれは、ネバダが絶望するには十分なものだった。
「私がいた時代から何千年が経った……? それなのに、未だに人は斯くも醜く争う?」
「……あなた、もしかして星から何かを読み取れるの?」
ネバダが涙ながらにシロハの方を向く。シロハは自分の泣き顔を見ているようでどきりとした。ネバダは星から因果を読み解くことが出来る事、シロハの過去を読み解かせてもらったことを打ち明けた。
シロハはその言葉を聞いて警戒度を上げた。
彼女の信念からして、破戒巫女にどういう感情を向けるか分からなかったからだ。
どこから来られてもいいよう臨戦態勢を取る。
「ごめんなさい」
「……ぇ?」
シロハは自信を背中から抱擁する感触に驚愕した。
警戒していたはずなのに、背後を取られた。
何かを言った気はするが、脳の処理が追い付かない。シロハは前方に駆け出し抜け出した。
「……あ」
ネバダを視界に入れようと振り返ったシロハの前に、彼女はいた。シロハの速度に合わせて距離を保つ。取れたと思えた距離は、相も変わらずゼロのままだった。
ネバダの手が開かれる。
影がシロハに伸びる。
そしてシロハは、ネバダにやさしく抱擁された。
「……辛かったでしょう? 苦しかったでしょう? ……ごめんね。ごめんね」
「……は? え? は?」
シロハの頬を、雫が伝って行った。
シロハの涙ではない。
次々に零れるそれは、ネバダの瞳から溢れた感情だ。
「私がもっとしっかりしていれば、あなたをこんな目に遭わせることは無かった。私が素直に人を救うことを受け入れていれば良かったんだ。ごめん、ごめんね」
シロハの脳が、ようやく状況に順応する。ネバダがシロハに向けているのは、憐憫と共感だ。そしてそうしてしまったのは、ルミナスに殺した数だけ人を救えと言われたときに、癇癪を起こしたからだと責任感を覚えている。そこまで正確に現状を把握した。
「……こうして私が生まれて来れたのは、あなたのおかげです。感謝こそすれ、恨んだりしませんよ」
「私が居たら、あの日あなたを救えたかもしれない」
あの日というのは、シロハが人を殺した日の事か、それともルミナス大神社が焼き討ちに遭った日のことか。
「私一人を救うために、何人殺さないといけないと思ってるんですか。命を救うのは、奪うよりずっと難しい。終わることのない懲役を、未来永劫続けるつもりですか」
一人救う間に、一人より多くの人を傷つける。救った人が、別の人間を傷つけることもある。だとしたらその救済は、何を以て終焉とするのか。
「……そう、ね。この世界に、救いなんてないのかもしれない」
ネバダは弱々しい声でそう言った。
弱々しい声はしかし、母の様に優しく、柔らかく、暖かかった。
その穏やかな声で、ネバダは続ける。
「やっぱり、この世界は失敗作だ」
小さい声だった。
呟くような、囁くような。
噛み締めたような声は、シロハの耳にしっかりと届いた。
「そうですね。ルミナスが世界を生み出して、長い年月が過ぎました。それでも争いは無くならないし、人は貶し合う。未だに不完全だと思いますよ」
「……そうね。不完全なのよ。そして、この世界が完成することは、未来永劫、――きっとない」
「ネバダ……?」
シロハを抱きしめるネバダの手に力が入る。
シロハの白衣に、皴が寄る。
「罪は、この世界を生み出してしまった事。過ちは、この世界を守ってしまったこと。だから、罰は――、この世界に下す」
シロハはハッとしてネバダを見た。
その目は信念に燃え、確固たる意志を宿している。
ネバダがシロハを放すより先に、シロハがネバダを抱きしめる。
「待って! この世界に罰を下すって、本気なの!?」
「……理解は求めないわ」
「っ、話し合う権利くらい、あって然るべきだと思います」
「……そうね。でも、分かっているんじゃないかしら?」
ネバダの言葉に、シロハは口を噤んだ。
ネバダの言わんとすることは分かっている。
「私が眠りについて、幾星霜が過ぎた。それでも世界には変わらず、理不尽に揉まれ、不条理に苛まれる人が存在している」
ネバダはシロハの目を一度見、瞼を閉じて続ける。
「今現在、どれだけの人間がそうかは知らない。けれど、この数千年の間に、数えきれない人間が絶望に墜とされ、縋った神に見放され、希望も持てずに朽ちていったでしょう。そしてそれは、これから先も変わらない。人が歴史を紡ぐ限り、そこには苦難が待ち構える。その大きさは、きっと人によってさまざま。けれど確実に存在している。それならいっそのこと」
「いっそのこと、絶望をここで終わらせる……ですか」
「……その通りよ」
これから生まれてくる命の数は無限だ。そしてその無限より大きい絶望が、これから生まれることになる。
今現在を生きている生命の数は有限だ。どれだけ大きな絶望を用意しても、所詮は有限でしかない。
たとえ誰に恨まれたとしても、後に生まれてくる子供たちの為に、ネバダはここを終末にしようとしているのだ。
「別の道は、ないんですかね」
「さぁて。知ってる? 無い事の証明は出来ないのよ」
「あぁ、その理論、数千年前からあったんですね」
「あれ? もしかして今は覆されてる?」
「いえ、今でも不可能なままですよ」
要するに、証拠がなければ証明しようがないという事だ。
ツチノコの存在を否定する人がいるにもかかわらず、未だにUMAとして保留にされているのが分かりやすい事例だろう。
「あるかどうかも分からない。この先無限の時間をかけたって、最適解に到達しない可能性だってある。そしてその場合、結末は限りなく残酷よ。それはあなたも、身をもって知っているでしょう?」
「……だから、その全てを背負うと?」
「遠い昔に、とっくに覚悟は決めてる」
しばらく二人は、お互い見つめ合っていた。
夜を攫う風だけが、この世界に音を生み出している。
少しして、シロハはため息をついた。
「意志は固いようだけど、残念ね。まだ、世界を壊させるわけにはいかないの」
「……どうして? こうしている間にも、世界のどこかで苦しんでいる人がいる。ここで全てを終わらせた方がいいのよ」
「残念だけど、私には約束があるのよ。必ず生きて帰るって約束が」
シロハが札を構える。
ネバダも札を構える。
その表情に、分かりづらくも確かな悲しみを携えて。
「私には、私の帰りを待ってくれている人がいる。だから、こんなところで終わるわけにはいかないの」
「……そう、そうなのね」
ここに、二人の破戒巫女が相対した。




