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邪教堕ち巫女さま天下泰平《ミュートロギア》  作者: 一ノ瀬るちあ/エルティ


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21話「百石ヶ原」

 インクをぶちまけたような黒い雲。

 遠い木々は風に揺れ、ざわざわと産声を上げる。

 一面覆うススキの葉は、刃を突きつけ来る者拒む。

 その草原に点在する大きな石を飛び移る影が一つ。


 その影は、闇夜の世界に浮いていた。

 風に揺蕩う白衣に、強すぎるほどに折り目の強調された緋袴。群青色を塗り重ねた静寂に、少女の姿はぽっかり浮かぶ。


 点々と在する石々を転々し、草原の中央辺りで少女は足を止めた。佇む彼女はただ在るだけで、この殺風景に花天月地を想起させる。


「ここが、百石ヶ原。始めてきたけれど、なんというか」


 辺りをぐるっと見回して、少女は呟く。

 胸がざわめくような、感覚が一つ抜け落ちたような。そんな違和感が拭えない。


「情報屋、私は来たぞ。何処にいる」


 少女の声が、だだっ広い草原に響きわたる。

 やがて声は闇に飲まれて掻き消える。

 木霊することない声に、しかし声が返ってきた。


「ようこそシロハさん。お待ちしておりましたよ」


 すると近くの岩陰から人影が飛び出した。

 シロハは振り返りざまに札を抜き、居合いの様に振り抜いた。泥の塊を引き裂く感触を覚えると、影がぼろぼろと崩れ往く。


 シロハはステップを踏んでその場から一歩離れる。

 慣性に従った人影の残骸は、シロハのいた位置を通り過ぎて石の上に落ちた。見ればその黒い影は、脈を打つかのように蠢いている。


「これは、穢れ……?」

「ええそうです。穢れです」


 そう言うとまた、人影がシロハに飛び掛かる。

 それをシロハは横に避けながら札を構える。

 泥闇は誘蛾灯に飛び込む虫の様に札にそうする。

 首を斬り落とされた穢れは、同様に石の上で蠢いている。


「一体どれだけの恨み募れば、これほどまでに高濃度の穢れが……」

「あはは、シロハさん。こんな言葉、知っています?『万斛の恨み』さて、邪神ネバダが殺したとされる人の数はいくらでしょうか」

「……万斛は膨大な量を表す言葉であって、直接的な数量は関係ないと思ったけれど?」

「だからこそ、皮肉が聞いてて面白いじゃないですか。殺した数は万を超え、募った恨みは万斛。あはは、滑稽ですよね」


 シロハは辺りを見回す。

 ナッツの声はすれど、先ほどから影は見えない。

 それどころか声のする方向すら曖昧だ。

 シロハは声から位置を特定するのは不可能と判断する。


「まぁいいわ。つまりあなたは、この穢れはネバダが殺した人たちの怨念によるものだと言いたいの?」

「言いたいというより、事実ですよ。この百石は、一つ一つが集団墓地です。この下には死んでも死にきれない、見苦しい白骨が眠ってますよ」


 その時、先ほど切り落とした人影の首だけがシロハに向かって飛んだ。シロハは札を使い、羽子板で羽をつくかのように打ち返す。ぐちゃりと、泥がつぶれる感触が手の平に伝う。


 シロハは札をぱっと離し、自身は石を蹴って飛び退いた。

 闇が札を飲み込んでいく。


「ほら、聞こえてきませんか? 巫女を殺さんと欲する、怨霊の雄叫びが。醜い言霊が」

「ちっ!」


 岩の陰から、茂みの蔭から、泥人形が無限湧きする。千切っては逃げ、千切っては逃げ。

 シロハはヒトガタの様子を観察した。

 目や耳がある場所に穴は無く、代わりに少し窪んでいる。そして、口があるはずの窪みから、恨み言が木霊する。


『ミコだ。コロせ。コロせ』

『ウバわれるクルしみをシらないヤツらに、ワレワレのイタみをシらしめろ』

『ヨコせ。オレにレイリョクを、カエせ!!』

「しゃらくさい!」


 シロハが猿臂を伸ばし、敬礼するように腕を振る。

 シロハを中心に、円形に札が展開される。

 手を掲げ、霊力を叩きつけるようにぶちかます。

 瞬間、札に刻まれた神代文字が起動し穢れを払う。


『レイリョク、レイリョクだ! オレ、オレの――!』

『レイリョクを、ヨコ――!』


 その攻撃に、泥闇は逃げるではなく駆け寄った。

 当然、【浄化】の力を前に無残にも型崩れする。


「気味が悪いわね」


 シロハは職業柄、色々な穢れを見てきた。

 当然、中には意志を持っているかのようなものもあった。ヒトの皮膚に張り付く穢れ、影に憑りつく穢れ。しかし、浄化が絶対の天敵であることに漏れは無い。その点浄化の光を見てなお駆け寄るこの泥人形は異形と言わざるを得ない。

 シロハを以て、悍ましいと言わしむ。


「あはは、見ました? シロハさん。自殺しに行きましたよ彼ら。あはは!」

「あんたより間近で見てるよ。百見は一行に如かず、出てきてあんたも体験してみたらどうかしら?」

「えー、嫌ですよ。泥遊びを楽しいと思える時期はもう終わったので」


 そんな会話をしている間にも、泥人形は無限湧きする。これではキリがない。

 シロハはため息をついて、一枚の札に霊力を籠めた。それを石にぺたりと貼り付け、次いで筆を取り出す。さらさらと文字を書いていき、最後に霊力を流す。


術式付与(エンチャント)【浄化】」


 シロハがそう言うと、石が聖なる光に包まれる。

 するとすぐさま、どす黒い瘴気が岩の下から沸騰した。


「へぇ、もしかして、全部の墓石を浄化するつもりですか? 言っておきますけど、無理だと思いますよ? 百石ヶ原と言っても、石が百個しかないわけではないので。先に札が尽きると思いますよ」

「その必要は無いわよ」


 そうシロハが言ったすぐ後だった。

 手を加えていない周りの岩々からも、穢れが溢れ出す。穢れの目指す先はシロハ。霊力を放つ札。


『レイリョク、オレのレイリョクぅ!!』

『オレの、オレのだッ!』

『ヨコせぇ!』


 穢れは一意専心、霊力目掛けて推進する。

 浄化の光を放つ石にも気付かず、次から次に浄化されていく。


「先人は偉大ね。効率のいい害虫駆除の方法を知っている」

「飛んで火にいる夏の虫ってやつですか。一寸厄介ですね」


 一段と強い殺気を感じ、シロハはその石から飛び退いた。採石場で聞くような音が耳をつんざく。爆風に飲まれ、シロハは空中で大きく体勢を崩した。腕を眼前で交差させ、飛散する石の欠片から顔を守る。


 手近な岩に手を伸ばし、指の力で姿勢を制御する。

 腕の筋が切れる感触の代わりに、岩に叩きつけられる未来を回避する。即座に腕に【治癒】の文字を発動しつつ、元居た岩の方に視線を送る。

 岩を通る一点とする、どこまでも続く半直線がススキの茂みを薙ぎ払っている。中心にあった岩は、もっと悲惨だ。まるで最初から存在しなかったかのように、粉微塵になってしまっている。

 次の瞬間の事だ。

 空から黒い塊が、ぼとりぼとりと雨の様に降り注いだ。今の一撃で弾け飛んだ穢れだ。


「っ! 邪魔!」


 シロハはスナップを効かせ、扇子の様に札を開く。


 自身はその場で一回転し、札を四方に等間隔で放った。


 地に伏せる虎の様に身を低くして、霊力を解放する。


 自身の霊力の大半を使う、必殺の大技。



「«隹神威(フリカムイ)»」



 シロハが術名を唱えると、空が唸った。

 唸りは黒雲を雷雲に変え、雷雲は大地に恵みをもたらす。

 稲妻は穢れを追い抜き地に刺さる。

 大地を穿つ雷鳴が四方に散らばる札に落ちた。


 四方に輝くお札の中心、シロハの上に。

 巨大な鳥が顕現する。

 片翼だけで七里はあろうかという、大きな鳥だ。


 大仰な詠唱はいらない。

 大袈裟な身振りはいらない。

 ただ簡潔に、ただ簡素にシロハは命令を下すのみ。


「薙ぎ払え」


 主命を受諾した霊鳥は、鋭い声を響かせる。

 その雄叫びは闇を切り裂き、決して衰えない。

 次いで翼を羽ばたかせると、荒れ狂う風が吹き荒れる。

 嵐が巻き起こる。

 台風の目は一人の巫女。

 彼女を中心に、ただ命令を遂行するがごとく暴風は吹き荒れる。


 暴れ狂う上昇気流に、雷雲さえ霧散する。

 まして大地ならなおさらだ。

 石は捲れ上がり、嵐に飲まれ、血肉となる。

 草原は捻じ切られ、ミキサーにかけられて消滅する。


「ちょちょちょっ! タイム、ターイム!」


 隠密に長けたナッツと言えど、隠れる影がなければ気配を隠す事くらいしかできない。しかしそんなお粗末な方法が通用するシロハではない。彼女の二つの瞳は、しかとナッツを捉えた。


術式付与(エンチャント)【浄化】」


 シロハが言うと、怪鳥に紋様が刻まれる。

 太古の文明を連想させる、不規則な線と点で出来た紋様だ。嵐から逃げるナッツに向かって指をさし、シロハは«隹神威»に命令を追加する。


「喰らい尽くせ」


 «隹神威»は一鳴きし、その双眸に狭小な存在を映す。その大きなくちばしが、周辺の土ごとナッツを飲み込んだ。

 そして霊鳥は自身を光に変換する。

 邪悪を払う、聖なる光だ。


「があああああぁぁぁぁあぁ!!」


 情報屋のけたたましい悲鳴が虚空を揺らした。

 怪鳥は役目を終えたとばかりに、淡い光になって空気に溶けた。


「……驚いた、まだ生きているのね」


 «隹神威»の消滅で落下したナッツに向かって、シロハはそう言った。

 全身に火傷を負い、落下のダメージか四肢は変な方向に曲がっている。しかし、胸が膨らんだり(しぼ)んだりしているのを見るに、まだ息はあるようだ。驚きの生命力である。


「は、はは。これが生きているように見えますか」

「死んだも同然だとは思うけどね、同然ってことは、選を異にしてる状態でしょう?」

「ははっ、こりゃ手厳しい指摘ですねぇ」


 ナッツが一つ、大きく息を吸いこむ。吸い込んで、血を吐いた。内蔵も負傷しているのだろう。放っておけばいつか死ぬ。


「残念ね。ここの穢れを使って、私を依り代にしたかったんでしょうけど、そんなのお断りよ」

「……振られちゃいましたねぇ。もう生きることに希望も持てません。シロハさんの手で殺してくれませんか?」

「おあいにく様。私も«隹神威»で霊力を使いすぎた。霊力切れなんて久々に起こしたわよ」

「あぁ、それで最後まで出し渋ってたんですか」


 霊力切れを起こすと、言い難い倦怠感に襲われ、いわゆる無気力状態に陥る。目の前の死にぞこないに祝福を与える事すら億劫だった。


「でしたら、最期に話し相手になってください」

「勝手にしゃべってなさいよ」

「えー、そこは『もう喋るな』って言うところじゃないんですか?」

「あんたの口は死ななきゃ閉じないでしょうに」

「ごもっとも」


 ごほごほと、ナッツは笑った。

 笑みを携え、思い出を語る。


「疑問に思いませんでしたか? 経歴が冒険者と情報屋の私が、ネバダの存在を知っていることを。不審に思いませんでしたか? S級の地位を捨ててまで情報屋になった私の事を。気づきませんでしたか? 悠久の時を生きるでもない私に、神話を正しく把握する術はないという事に」

「……」

「相槌くらい打ってくれてもいいじゃないですか。話すのが大変なのは私もおんなじなんですから」

「ん」

「……。私がまだ冒険者をしていた時の事です。私たちのパーティは、荒廃した都市を見つけました。もう何千年も昔に栄えた文明かと、意気揚々と探索を開始したんですよね。まぁ金銀財宝眠る都でしたよ。オーパーツとしか言いようのない、不思議な道具があたくさんありましたよ」

「ん」

「私の店、空間拡張の魔道具って言ったじゃないですか。あれ、半分嘘なんですよ。正確にはあれ、魔道具じゃなくてオーパーツだったんです」


 ナッツの目が、一度閉じられた。

 懐かしいですねとつぶやいた後、再び目が開かれる。

 幾千の星が瞬いていた。


「そんなある日の事でした。時の推移をありありと体現し、風化し荒廃したその都市に、時の流れを感じさせない建物を見つけました。不思議に思い、(かんぬき)を外し中に入ると、一人の少女が眠っていました」

「まさか……!」

「あはは、そうです。彼女こそが邪神ネバダ。彼女の胸に刺さるナイフに触れた時、ネバダの記憶が流れ込んできたんですよね。今も脳裏に焼き付いてますよ。血の匂い、血の温もり、血の快楽を。ハッと気づけばナイフは無く、代わりに私は気付きました。自分が、ネバダという存在に魅入られてしまったことに」


 ナッツの顔に浮かぶ笑みが、深くなる。


「憧れの存在が居ると、真似したくなりますよね。私もそうでした。ふふはっ。あぁ、あの時の仲間の表情は忘れられませんよ」

「あんた、もしかして」

「えぇ、殺しました。この手で」


 事も無げに、ナッツは言い切った。

 シロハは何かを言おうとしたが、自分に何かを言う権利はないと思いとどまり、結局そのまま閉口した。


「しばらくは怯えて暮らしましたよね。何せルミナスの教えに背いたのですから。天罰が下るのは今日か明日か。それを考えずにはいられません。けれども罰は下ることなく、私はルミナスが完全に消滅したことを悟りました」


「それから私は、血雨を大地にもたらしました。最初の内はそれで満たされていたんですけど、途中で刺激に慣れてしまいましてね。なまじネバダの力量を知っているがゆえに、自身の振るう凶刃では満足できなくなったんですよ」


「そこで私は考えたんですよね。ネバダをこの世界に蘇らせようと。様々な文献を漁りました。中には龍神が魂という事について触れている書物もありました。そして数年が経った頃、一つの事に気付いたんですよ。自身が全く年老いないことに」


「思い当たる節はありました。邪神ネバダに突き刺さっていたナイフ。あれがネバダを殺めたものではなく、眠りにつかせるものだとしたら。あれを壊せばネバダは目覚めるんじゃないか、そう考えました」


「それからさらに数年、私はナイフを取り出す方法を探しました。しかしどうにもナイフは私と同化していて取り出せない。そこで、思い至ったんですよね。この封印を壊すことができるほどの相手を見繕い――」


 ナッツの顔に、三日月が浮かぶ。

 背筋も凍りつく、不気味な笑みだ。


「――私を殺してもらおうと」

「あんた! 最初から目的は!」

「あはは! そして条件はここに揃った! 封印の門は開かれた! さぁ邪神ネバダよ!」


 ナッツが大きく声を張り上げる。

 口から血が噴き出すのも構わず、命を削って叫ぶ。


「再び現世に舞い戻れ!」


 黒雲が、再び天に渦を巻く。

 大地を、黒い光が貫いた。

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