表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『美しき吸血鬼王は、灰銀のハンターに檻へ落とされる』  作者: なつめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/231

第51話 檻に入れても意味はない



 檻は、王を閉じ込めるために作られる。


 鉄で組み、銀で縁取り、聖印を刻み、血術を封じ、扉には三重の鍵をかける。


 人間たちはそう考える。


 教会区もそう考える。


 ハンター組合も、おそらくそう考える。


 危険な吸血鬼を捕らえたなら檻へ入れろ。


 暴君ならなおさらだ。


 王血ならなおさらだ。


 稀血ならなおさらだ。


 外縁を荒らし、崩れ種を餌にし、人間の悲鳴すら罠へ変え、野良吸血鬼を寄せ、王の名で夜を支配する吸血鬼王なら、檻へ入れる以外にない。


 そう考えるのは自然だった。


 人類は何でも箱に入れれば安心する。箱に入らない怪物がいるから、世界はこんなに面倒なのに。学習能力が墓地で昼寝している。


 だが、ルスト・ヴァルレインはそう考えなかった。


 外縁の古い見張り小屋の地下には、檻があった。


 教会区がかつて使っていた捕縛檻だ。


 銀の格子。


 聖別された錠。


 床に刻まれた浄化紋。


 壁に残る古い祈りの文字。


 並の野良吸血鬼なら一晩で弱る。


 崩れ種なら暴れても格子へ焼かれ、やがて動けなくなる。


 人間が吸血鬼を恐れながら作った、粗野で、必死で、嫌悪に満ちた檻。


 その檻の前に、クラウディオは立っていた。


 正確には、立たされていた。


 喉にはまだ、ルストの牙の痕が残っている。


 白い首筋に深く沈んだ、赤黒い二点。


 血術で塞いでも消えない。


 王血で命じても消えない。


 高位吸血鬼の再生すら拒む、支配反転の刻印。


 クラウディオは黒い外套をまとい直していたが、衣の乱れは完全には戻っていなかった。喉の痛みも、身体の奥に残る血脈反応も、前夜の屈辱も消えていない。


 それでも、彼は美しかった。


 怒りで瞳を赤く染めてなお、王だった。


 ただし、王冠のない王だった。


 そして今、その王は檻の前に立たされている。


 クラウディオは、檻を見た。


 それから、ルストを見た。


「ふざけるな」


 掠れた声だった。


 喉がまだ戻りきっていない。


 その掠れさえ屈辱で、クラウディオの眉がわずかに歪む。


「我をこのようなものへ入れるつもりか」


 ルストは檻を見ていた。


 鋼色の瞳は冷静だった。


「入れない」


 即答だった。


 クラウディオの怒りが、わずかに行き場を失った。


「……何?」


「檻に入れても意味はない」


 ルストは檻の銀格子へ手を伸ばした。


 素手で触れる。


 銀に焼かれない。


 普通の吸血鬼なら、銀に触れた瞬間に皮膚が焦げる。高位でも不快を示す。だが、ルストの手は変わらない。


 クラウディオはその手を見た。


 見たくなかった。


 だが見てしまう。


 その手が自分の顎を固定し、喉奥の血脈反射を押さえ、空嘔吐と痙攣と屈辱を引きずり出した記憶が、身体の奥で熱く疼いた。


「意味がない、だと」


 クラウディオは低く言った。


「当然だ。この程度の檻で我を閉じ込められるはずがない」


「そうだ」


 ルストはあっさり認めた。


 クラウディオは歯を食いしばった。


 認められるのも腹立たしい。


 否定されても腹立たしい。


 この男は本当に、どの角度から来ても不愉快だった。


 ルストは続ける。


「お前なら、檻を壊す。壊せなくても、血で中を満たす。自分の血を餌にして野良や崩れ種を寄せる。外から人間を呼ばせることもできる。檻の中で大人しく腐る性格でもない」


「分かっているなら、なぜ連れてきた」


「確認だ」


「誰の」


「俺の」


 ルストは檻から手を離した。


「檻に入れる選択肢を消した」


 クラウディオは笑った。


 低く、冷たく。


「貴様が我を選別するか」


「そうだ」


「思い上がるな、灰銀」


 クラウディオの瞳が深紅に沈む。


「我は王だ。貴様の管理下へ置かれるものではない」


「もう置いている」


 短い言葉。


 クラウディオの顔から笑みが消えた。


 その言い方。


 その確信。


 それは喉の痕と同じだった。


 もう刻まれている。


 もう始まっている。


 クラウディオが認めるかどうかとは関係なく。


「貴様……ッ」


 血術が走りかけた。


 だが、ルストの視線がわずかに動いた瞬間、クラウディオの指が止まる。


 読まれる。


 押さえられる。


 また喉を。


 また血脈を。


 また身体を。


 その記憶が、動きを止めさせた。


 止めた自分に、クラウディオはさらに怒った。


「見るな」


「見ている」


「見るなと言っている」


「動くからだ」


「貴様に監視される筋合いはない!」


「ある」


 ルストは平坦に答える。


「お前は危険すぎる」


「誉め言葉のつもりか」


「事実だ」


「なら恐れろ」


「恐れる相手なら、噛まない」


 クラウディオの喉が、かすかに震えた。


 噛まない。


 嘘だ。


 噛んだ。


 深く。


 大量に血を啜った。


 消えない痕を残した。


 死より重い恥を刻んだ。


 クラウディオの首筋が熱を持つ。


 思い出しただけで、血脈が反応する。


 怒りと屈辱と、身体に刻まれた抗えない記憶が混ざる。


「二度と、その口で噛むなどと言うな」


 クラウディオは低く言った。


「次に言えば、舌を裂く」


「やれるなら」


「その言葉も聞き飽きた」


「なら、やれ」


 ルストは一歩、近づいた。


 クラウディオは反射的に血術を構えかける。


 だが、ルストは刃を抜かない。


 ただ近づく。


 クラウディオの前まで。


 近い。


 忌々しいほど近い。


 クラウディオの喉に残る痕を見下ろせる距離。


「触れるな」


 クラウディオが言う。


「触れない」


「噛むな」


「今は噛まない」


「今は?」


 クラウディオの目が鋭くなる。


 ルストは訂正しない。


 それがさらに腹立たしい。


 「貴様……!」


「条件を言う」


「誰が聞くと」


「聞かなくていい。破れば押さえる」


 クラウディオの表情が、怒りで歪んだ。


「まだ我に条件を出すか」


「出す」


 ルストの声に迷いはない。


「一つ。崩れ種を餌にするな」


 クラウディオは黙った。


「二つ。人間の声を罠に使うな」


 クラウディオの指が動く。


「三つ。外縁で無差別に野良や獣化種を寄せるな」


「貴様が狩ればよいだろう」


「寄せるな」


 ルストは短く返す。


「四つ。俺の許可なく人間を殺すな」


 その瞬間、クラウディオが笑った。


 声は低い。


 ひどく冷たい。


「我が人間一人殺すのに、貴様の許可を求めるのか」


「そうだ」


「王に向かって、よくもそこまで」


「王だから言っている」


 ルストの目が、クラウディオを真っすぐに捉える。


「お前が動けば、夜が動く。お前が血を散らせば、野良も崩れ種も寄る。お前が人間を罠に使えば、外縁が荒れる。だから管理する」


 クラウディオは低く唸った。


「我を、危険個体のように言うか」


「そうだ」


 即答。


 クラウディオの血が、怒りで逆立つ。


 危険個体。


 王ではなく。


 暴君でもなく。


 吸血鬼王でもなく。


 管理対象。


 その扱いは、檻より屈辱的だった。


 檻に入れられれば、壊せばいい。


 閉じ込められれば、脱出すればいい。


 だが、管理下に置かれ、歩くことを許され、しかし自由ではないと示される。


 それは、王にとって檻以上に耐えがたい。


「なら五つ目だ」


 ルストは続けた。


「俺から離れすぎるな」


 クラウディオの瞳が一瞬、静止した。


「何だと」


「同行させる」


 短い宣告だった。


「檻には入れない。常時閉じ込める意味はない。お前は壊すし、壊さなくても中から周りを荒らす」


 ルストはクラウディオを見た。


「だから、俺が連れて歩く」


 沈黙。


 クラウディオの喉が、低く鳴った。


 怒りが深すぎて、声になる前に喉の奥で歪む。


「我を、貴様の部下のように連れ歩くつもりか」


「部下ではない」


「では何だ」


「管理対象」


 クラウディオの血術が爆ぜた。


 床の石が裂け、赤黒い糸が一斉にルストへ向かう。


 怒りを押さえることなどできなかった。


 王を。


 王を、管理対象と呼んだ。


 それだけで十分だった。


 だが、ルストはすでに読んでいた。


 銀の刃が抜かれる。


 血糸が切られる。


 起点を踏まれる。


 クラウディオがさらに血術を組み直そうとした瞬間、ルストが距離を詰めた。


 手首を掴まれる。


 壁へ押さえられる。


 喉の痕が熱を持つ。


 クラウディオの身体が、一瞬だけ記憶で硬直した。


 ルストはそこを逃さない。


 ただし、今度は喉奥を押さえない。


 噛まない。


 吐かせない。


 手首だけを壁へ固定し、クラウディオが逃げられない距離で言う。


「暴れるなら、また押さえる」


 クラウディオは赤い目で睨んだ。


「やってみろ」


「必要なら」


「貴様……ッ」


「次は人間も崩れ種も巻き込まないところでやる」


 ルストの声は平坦だった。


 「それまでは同行だ」


 クラウディオは唇を歪める。


「我が従うと思うな」


「思っていない」


「なら」


「従わせる」


 まただ。


 短く、迷いなく、確定した言い方。


 クラウディオは、怒りで身体を震わせた。


 それでも、どこかで理解している。


 ルストは脅しているだけではない。


 この男は本当にやる。


 逃げれば追う。


 暴れれば押さえる。


 血術を使えば起点を潰す。


 喉を傷つければ血脈を封じる。


 自害しようとすれば、また身体の制御を奪う。


 そして、死なせない。


 死ぬことすら許さない。


 その支配が、クラウディオの背筋を怒りと屈辱で震わせる。


 ルストは手を離した。


 クラウディオは即座に距離を取る。


 距離を取った自分にまた怒る。


 すべてが腹立たしい。


 この男といると、自分の反応すら思い通りにならない。


 クラウディオは喉の痕を押さえた。


「この痕をつけた責任のつもりか」


「そうだ」


「笑わせるな。貴様が刻んだ恥を、貴様が管理するというのか」


「そうだ」


「恥知らずが」


「お前ほどじゃない」


 クラウディオの瞳が赤く燃えた。


「今、何と言った」


「崩れ種を餌にする王よりは、恥を知っている」


 沈黙。


 小屋の中の空気が凍る。


 クラウディオは、低く笑った。


 今にも血術で小屋ごと裂きそうな笑いだった。


「貴様は本当に、死にたいらしい」


「死なない」


「我が殺す」


「その前に管理する」


「その言葉をやめろ!」


 クラウディオが叫ぶ。


 喉が痛む。


 痕が熱くなる。


 それすらルストに見られた。


 クラウディオは、噛み殺すように言う。


「見るな」


「見える」


「見るなと言っている!」


「なら叫ぶな」


 ルストは平然と返した。


 会話が噛み合わない。


 いや、噛み合っているからこそ腹立たしい。


 ルストはクラウディオの怒りを受け流すのではない。


 短く切る。


 余計な感情を挟まず、必要なところだけを押さえる。


 血術と同じだ。


 クラウディオの言葉の起点まで読んでいるようだった。


 ルストは扉へ向かった。


「出るぞ」


「どこへ」


「外縁北路」


「我が行くと言ったか」


「言っていない」


「なら行かぬ」


「連れていく」


 ルストが振り返る。


「野良の群れが動いている。お前の血の残り香に寄った可能性がある」


「我のせいだと?」


「そうだ」


「なら貴様が勝手に狩れ」


「お前も来る」


「なぜ」


「自分の血が何を呼ぶか見ろ」


 クラウディオは言葉を失いかけた。


 その言い方が、また屈辱だった。


 まるで叱責。


 まるで教育。


 まるで、王が自分の撒いた火を見るよう命じられている。


「貴様は我を何だと思っている」


「危険な王」


「管理対象ではなかったのか」


「両方だ」


 即答。


 クラウディオは、怒りすぎて一瞬笑った。


「実に不敬だ」


「今さらだ」


「開き直るな」


「行くぞ、クラウディオ」


 名。


 また名。


 クラウディオの喉の痕が熱くなる。


「その名を呼ぶな」


「行くぞ」


「呼ぶなと言っている」


「クラウディオ」


 わざとだった。


 クラウディオは血術を放ちかけた。


 だが、ルストはもう扉を開けていた。


 外の冷たい夜気が小屋へ入る。


 森の匂い。


 血の匂い。


 外縁の荒れた夜。


 ルストは振り返らずに言った。


「逃げてもいい」


 クラウディオは目を細める。


「ほう」


「追う」


 短い。


 あまりに短い脅し。


「暴れてもいい」


「押さえる、か」


「そうだ」


「殺してもいいか」


「俺を殺せるなら」


 クラウディオは低く笑った。


「いつか必ず殺す」


「その前に来い」


 ルストは外へ出た。


 クラウディオは、小屋の中に残った。


 行く必要はない。


 従う必要もない。


 王が、灰銀のハンターに同行するなどあり得ない。


 管理下に置かれるなど、檻に入れられるより屈辱だ。


 そう思っている。


 思っているのに。


 クラウディオは喉の痕に触れた。


 消えない痕。


 ルストが刻んだもの。


 死ぬことすら許さないと言った男。


 恥じたまま生きろと笑った男。


 その男が、外で待っている。


 待たれている。


 その事実が腹立たしい。


 だが、ここで残れば、逃げたように見える。


 それだけは、絶対に許せない。


 クラウディオは黒い外套を整えた。


 喉の痕は隠さない。


 隠さないことで、せめて自分が恥に呑まれていないと示す。


 そう決めた。


 扉へ向かう。


 外へ出る。


 ルストは少し離れた場所に立っていた。


 待っていた、という顔ではない。


 ただ、そこにいる。


 それがまた癪に障る。


 クラウディオはルストの横を通り過ぎながら言った。


「勘違いするな」


「何を」


「我は貴様に従うのではない」


「そうか」


「貴様を殺す機会を逃さぬために同行する」


「それでいい」


「よくない!」


 クラウディオの声が荒れる。


 喉が痛み、痕が熱を持つ。


 ルストはそれを見た。


 クラウディオは即座に睨む。


「見るな」


「見える」


「その返答も飽きた」


「なら慣れろ」


「貴様ァ……!」


 夜の道を、二人は歩き出した。


 前を行くのはルスト。


 少し後ろにクラウディオ。


 だが、クラウディオはすぐに横へ並んだ。


 後ろを歩くなど許せなかった。


 ルストは何も言わない。


 それも腹立たしい。


 同行。


 管理。


 檻ではない。


 だが自由でもない。


 クラウディオは王城から遠く離れた外縁の夜を歩きながら、自分が初めて、誰かの管理下に置かれている事実を噛み締めていた。


 噛み砕きたいほどに。


 喉の痕は消えない。


 ルストの牙は、王の身体に残っている。


 そして今、その痕を刻んだ男の隣を歩いている。


 殺すために。


 見返すために。


 屈辱を返すために。


 そう言い聞かせながら。


 ルストは前を見たまま言った。


「離れるな」


「命じるな」


「離れれば、また押さえる」


 クラウディオは赤い目で彼を睨んだ。


「いつかその口を塞いでやる」


「今は歩け」


「我に命じるなと言っている!」


 外縁の夜に、二人の声が低く沈む。


 王と狩人。


 暴君と管理者。


 檻に入れられなかった危険な王と、その王を連れ歩く灰銀のハンター。


 檻に入れても意味はない。


 だから、ルストはクラウディオを連れて歩くことにした。


 王は自由に見える。


 けれど自由ではない。


 その屈辱が、喉の痕と同じように、クラウディオの血へ刻まれていく。


 そして彼は、まだ認めない。


 自分がもう、ルストの管理下にいることを。


 認めないまま、隣を歩く。


 殺意を抱えて。


 恥を抱えて。


 消えない牙の痕を、白い喉に晒したまま。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ