リゼ
「何で助けたの」
少女は無機質な声で尋ねた。
さあな、と朔はぶっきらぼうに答える。
「そればっかり」
少女は小さくつぶやき、彼の腕に視線を落とす。
先ほどの傷はかなり深いようで、血がダラダラと流れていた。
「触るな」
朔は伸びて来た手を拒んだ。
「血の匂いが、濃い」
「気持ち悪い言い方すんな」
「事実」
少女は感情のない声で返す。
「それ、私なら治せる」
「そんな怪しいことやられてたまるかよ」
そう、と彼女はまた湖へ向き直った。
朔はしばらくの間黙って少女の背中を見ていたが、口を開く。
「いつからここにいるんだ?」
「一日と半分」
「なんで?」
「教会からこの湖の浄化を頼まれて。」
少女は水面を見つめたまま続ける。
「これが黒かったら魔物が増えるからって。」
朔は眉をひそめた。
「こんな危ない場所に一人でか?」
「この国には聖女は一人だけで良いって、姉さんが言ってた。」
「私はここで死ぬらしい。」
その言葉は、あまりにも淡々としていた。
まるで自分の死を他人事のように語る。
朔は一瞬言葉を失った。
胸の奥に説明のつかないざらつきが残った。
そういうことを、何の感情もなくいうのか、と。
そして同時に彼女がなぜここにいるか、さらには生きることに無頓着な理由も彼の中で静かに繋がった。
朔はため息をつきながら彼女に目をやる。
「……お前の姉って、ろくでもねえな」
少女は何も答えることなく、俯いた。
朔は話題を変えるように言う。
「この浄化ってやつは、いつになったら終わるんだ?」
「この水が透明になったら。あなたが手伝ってくれたらもう少し早く終わる。」
そうかよ、と朔は見よう見まねで黒い水に手を入れた。
「で、どうすれば――」
言いかけた瞬間、傷の痛みがすっと引いていく。
朔は驚いて腕を見る。
裂けていたはずの傷は、跡形もなく消えていた。
「……お前、騙したな」
自分は嘘に鋭いはずだ。
それなのに彼女の言葉は見抜けなかった。
すると彼女は、
「嘘じゃない」
と、間髪入れずに答える。
「手伝ってもらうお礼に傷を治しただけ」
少女の言葉を聞いた朔は、しばらく黙ったまま湖を見つめていた。
黒い水に触れた指先から、じんわりと冷たさが這い上がってくる気配があった。
「……で、どうすりゃいいんだよ」
めんどくさそうに言いながらも、彼女の返答を待つ。
少女は横目で朔を見て言う。
「ただ、手を入れて。あなたの中の白いものが混ざれば、少し薄くなる」
「白いもの?」
朔は眉をひそめる。
「うん。あなたの中にある、まだ汚れていない部分」
少女は当たり前かのように言う。
朔は鼻で笑った。
「そんなもん、もともと俺にあるわけねぇだろ」
「あるよ。少しだけど。」
彼女は即答した。
朔は返す言葉を失い、舌打ちをして誤魔化すように湖に向き直った。
少し経つと、少女の言うとおり朔の手が触れた部分だけ色が薄くなった。
「……おい、本当に薄くなってるじゃねえか」
「うん。あなたの白が混ざったから」
「おい、お前は気持ち悪い言い方しかできないのか」
少女は首を傾げたままぽつりと言う。
「でも、事実」
朔はため息をつきながらも、黙って水をかき混ぜた。
しばらく沈黙が続いた後、少女がふいに口を開いた。
「……名前、聞いてない」
朔は手を止め、彼女を見る。
「は?」
「あなたの名前」
少女は水面を見つめたまま言う。
「知らないまま一緒に浄化するの、変」
「変って……お前が言うかよ」
少女は小さく瞬きをしただけで、何も返さない。
その無反応さで、逆に朔の肩の力が抜けた。
「……月城朔だ。好きに呼べ」
少女はその名を一度だけ、呟く。
「ツキシロ、サク」
「噛むな」
「難しい」
少女は淡々と返す。
「……じゃあ、サク」
朔は少しだけ目をそらした。
呼ばれ慣れていない名前が、妙に胸に残る。
「で、お前は?」
少女は一瞬だけ考えるように視線を落とし、
「……リゼ」
と答えた。
「それが名前か?」
「うん。でも、みんなは聖女って呼ぶ。聖女は聖女で良いって。教会が。」
その言い方はあまりにも当たり前で、まるで自分の存在が役職に塗りつぶされていることに疑問すら持っていないようだった。
「……ふざけた話だな」
朔は低く呟く。
リゼは朔の言っている意味が分からないと言った様子で、彼の方を見ていた。
その無垢さに朔は苛立ちを隠せなかった。




