旅立ち
「――終わった」
水が完全に透明になった瞬間リゼはそう呟き、手を引き上げた。
「やっとか……」
この世界の時間の感覚は掴めないが、朔は数時間この作業をしていたような気がした。
「……でも、本当にできるなんて」
リゼが朔の方を見てそう呟く。
「何の話だ?」
「浄化。聖女以外でできる人初めて見た。」
「はぁ?お前当然みんなができるかのように言ってたじゃねえか」
「そんなこと言ってない。」
確かにリゼは直接的にそんなことは言ってないが……。これ以上話しても無駄だと思い、朔は綺麗になった湖へ目線を向けた。
すると――
何かが水面に浮かんでいるのが見えた。
「何だこれ?」
朔は水面に浮かんでいるものを掬い上げた。
それは、透明な湖の光を反射して淡く光る小さな石であった。
「知らない。でも、湖の底にあったものだと思う。」
「何でわかる」
「穢れが溜まる場所。そこから出てきたなら核かもしれない。」
朔はそれを見つめる。
「核って、これが原因で水が黒くなってたってことか?」
「そう」
リゼは石をじっと見つめる。
その瞳にはいつもの無機質さとは違う、僅かな緊張が浮かんでいた。
「サク、それ捨てないで」
「は?何でだよ」
「何か持っておいた方がいい気がする」
「……面倒くせえな」
そう言い朔は石を見下ろす。冷たいはずなのに、どこか脈打つような感覚が指先に伝わってくる。
どうせこいつの姉が、こいつを殺すために入れたものだろ。
朔はそう感じていたが、口に出すことはなくそれをポケットに押し込んだ。
リゼの方を見ると、目を伏せて考え込んでいる。
その小さな肩が少し落ちており、彼女も姉の思惑に気づいたのだと朔は理解した。
「行くぞ」
リゼは瞬きをする。
「どこに?」
「知らねえよ、けどここにいる方が危険だろ」
リゼは少し考えるようにして、
「一緒に行動してもいいの……?」
と、つぶやいた。
その言葉に彼は一瞬だけ動きを止めた。
だがすぐに顔を背ける。
「勝手にしろ。」
リゼは小さく頷き、朔の後ろをついて歩き出した。
透明になった湖は静かに揺れ、草食動物たちが水を飲みに集まってきていた。
「これからどこへ行く?お前の方が詳しいだろ」
朔はリゼに問う。
リゼはしばらく黙っていた。
「死人に口無し……」
と小さく呟く。
リゼの言葉のあと、森の音だけがやけに大きく聞こえた。
「自虐か?」
リゼは首を横に振る。
「自虐?」
「自分で自分を貶すやつ」
リゼは少し考えてから言った。
「私は自分を貶してない」
「じゃあ何でそんな言い方してんだ」
「湖に行く前、姉さんがそう言ったから」
「……まじで、ろくでもない姉だな。お前の自分の意思はどこにあるんだよ」
リゼは自分の胸に手を当てる。
「ここ……?」
朔はその手を見て沈黙する。
「そういう物理的な場所にあるものなのか」
「じゃあどこ?」
「さあな」
リゼは真顔のまま呟く。
「曖昧」
朔が小さく息を吐くと、森の音だけが戻ってきた。
その時、朔の腹が小さく鳴った。
「……」
リゼがそちらを見る。
「音がした」
「勘違いだ」
「お腹……?」
「やめろ、その確認」
リゼは少し考えて、真剣に言う。
「あなた、食べないの?」
「普通は食うだろ」
「私、あんまり食べない」
「聖女って、仙人か何かなのか?」
「仙人?」
「いや、忘れろ」
リゼは素直に頷く。
「で、何を食べるの?」
「何って、普通の飯」
「普通……」
リゼはその言葉を繰り返す。
「普通って、何?」
「……やめろ、その質問」
「あ、さっきの犬ならすぐ食べれる」
リゼは閃いたように言う。
「犬か……」
朔は一瞬だけ空を見上げた。
「犬は食わねえよ。普通はな」
「そうなの……?」
リゼはその言葉に驚いているようだった。
「でも、さっきの犬……新鮮。食べれる」
「いや、そういうもんじゃねえんだよ。」
朔は思わず声を潜めた。
「そもそもあれは魔獣だろ?」
「魔獣でも、肉は肉」
真剣な表情でリゼは言う。
「そうかよ。まあ食ってみるか」
そう言った瞬間、リゼの表情が僅かに明るくなった。
喜んでいる――と言うより、役に立てると理解した子供のような、淡い光。
「じゃあ、持ってくる」
「おい、走るなって」
リゼはすでに魔獣の死骸に早足で進んでいた。
朔は舌打ちしながら後を追った。




