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感情のない聖女

 ここはどこだ。確か俺は死んだはずだが……。

 無意識に首元に手をやる。

 さっきまで確かに、縄が食い込んでいた感覚があった。

 その姿を想像して肺が苦しくなり、朔はゆっくりと息を吸い込んだ。

 湿った土の匂いが肺に届き、その生々しさが現実だと告げていた。


 視界いっぱいには、深い森が広がっている。

 聞いたことのない鳥の声、遠くでは獣の遠吠えが聞こえた。


 しかし、朔が一際目を引かれたのは大きな黒い湖と、それに手を浸けている銀髪の少女だった。


 血の気が薄く、触れれば壊れてしまいそうなほど白い肌の上で、伏せられた深い藍色の瞳が静かに揺れている。

 白いワンピースの胸元には十字架の刺繍が施されており、風が吹くたび銀糸のように細く柔らかそうな髪が、華奢な背中でさらりと揺れていた。


 晴天の中、陽の光を気にする様子はなく、黒い水の中をのぞいている彼女からなぜか視線を逸らせなかった。


 彼女の目に感情らしいものは一つも浮かんでいない。

 さらにその容貌も相まって人形かと疑うほどだった。


 少し経つと、視線を感じたのか少女は顔を上げる。

 そして朔の存在に気づくとその瞳を大きく開いた。

 しかし、数秒もしないうちに先ほどと同じように水の中に目をやる。


 朔は小さくため息をつき、少女の方向に足を進める。


「ここはどこなんだ?」


 そう彼女に問う。


「ノクシアの森」


 目線を動かすことなく、簡潔な答えが返ってくる。


「今お前は何をしている」


「浄化。私は聖女だから。」


 湖に触れたまま、少女はつぶやく。

 聞きなれない言葉だった。


「……ふざけてるのか」

「どうして?」


 少女はようやく朔を見る。


「ふざける必要があるの」


 彼女は淡々と言う。

 朔は昔から、嘘には敏感な方だった。

 だからこそ、嘘をついていない彼女の言葉に戸惑いを隠せない。


「……ここは、日本じゃないのか?」


「ニホン……?」


 少女は首を傾げる。

 通じない。

 ここでようやく朔は理解した。

 ――本当に知らない場所に来たのだと。


「あなた、血の匂いがする」


 不意に少女が言う。


「……何」


 朔の動きが止まる。


「たくさん殺した人の匂い」


 静かに彼女は言う。


「逃げないのか?」


「どうして?」


「お前に危害を加えるかもしれないだろ」


 少女は少し考える。


「あなたは私を殺したい?」


 感情のない瞳で朔に問う。


「今は、殺さねーよ」


 少女はそう、と再び視線を湖に移す。

 朔も先ほどより薄くなった黒い水に目をやる。


 しばらくすると森の鳥の声がふっと途切れた。

 誰かが音だけを奪ったような異様な静けさだった。

 代わりに近くで低い獣の唸り声が聞こえた。


 朔はゆっくりと顔をあげる。

 すると、黒いものを纏った犬らしきシルエットがこちらに近づいて来ていた。

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