死刑囚
死刑執行の直後、月城朔は異世界へ落ちた。
そこで出会ったのは、感情のない聖女・リゼ。
人を殺してきた男と、救うためだけに生きてきた少女。
これは、そんな二人が“普通”を知らないまま旅をする話。
雨が降っていた。
濡れた道路にできた水溜まりには、赤いライトが揺れている。
パトカーのサイレンが徐々に近づいてくるのがわかった。
月城朔は、警察官に腕を掴まれながら歩いている。
手には自分のものではない血が付着していた。
それだけで証拠となるには十分だった。
抵抗していないにも関わらず
「歩け」
と、強い力で背中を押される。
もう逃げられないことは朔自身が1番分かっていた。
少し離れた場所から野次馬らしき声が聞こえる。
「何した人?」
「最近ニュースで話題の連続殺人犯らしい……」
「あんなに普通な子が……?」
普通……。
その言葉に朔は眉をひそめた。
できるなら自分だって普通になりたかった。
――しかし、なれなかったのだ。
車に押し込まれた朔は、窓の外の灰色の空を見上げた。
冷たい雨の音だけが車内に響いている。
その音を聞きながら、朔はぼんやりと思った。
あぁ、やっと終わるのか――と。
朔は幼い頃から、自分は空っぽな人間だと感じていた。
友人が泣いていても、何も思わない。
誰かが傷ついていても、胸が痛まない。
笑顔を向けられれば返せるし、皆が悲しそうにしているとそれらしい顔もつくれる。
しかし、どうして皆がそこまで他人に感情を動かされるのか理解できなかった。
自分の心には、ぽっかりと穴が空いていて何かが欠けている。
それを悟られないように、朔は普通を演じ続けた。
周囲に合わせて笑い、空気を読んで頷き、正しい言葉を選ぶ。
そうしていれば誰にも怪しまれなかった。
朔が自分らしく生きようと感じたのは高校時代のことだった。
雪の降る夜。
裏路地で、一人の男が酔い潰れて眠っていた。
顔を見ると近所で有名な男だとすぐ気がついた。
酒を飲んでは暴れ、妻を道具のように扱う。
機嫌が悪ければ、怒鳴り声を上げながら彼女を何度も蹴りつけていた。
痣だらけの顔で俯く妻。
怯えながら泣く子ども。
周囲の人間は可哀想に、と口にするだけで誰も止めようとはしなかった。
白い雪が、男の肩へ静かに積もっていく。
朔はその場に立ち尽くしながら、ぼんやり考えていた。
――こいつがいなくなったら、どうなるんだろう
悲しむ人間はいるのだろうか。
少なくとも助かる人間の方が多いのではないか。
そう思った時、胸の奥の空洞が静かに脈打った。
初めてだった。
朔はゆっくりと男に近づく。
雪を踏む音だけが静かな路地に響いた。
彼はその無防備な首に手を回す。
男は突然の出来事に驚き、暴れていたが時間が経つとぴくりとも動かなくなった。
朔の鼓動は加速し、充足感を抱いた。
彼はようやく理解した。
自分は今、生きているのだと。
一度知ってしまえば、もう戻れなかった。
最初は、必要な人間だけだと思っていた。
しかし回数を重ねるごとに、その境界は曖昧になっていく。
理由などどうでもよかった。
満たされたかった。
ただそれだけなのだ。
警察署の取調室は異様なほど白かった。
無機質で、冷たい部屋。
目の前で刑事が何か言っている。
被害者の名前や動機を並べ立てる。
朔は黙って聞いていた。
言葉は耳に入っているが、どこか遠くに感じていた。
やがて刑事が痺れを切らしたように低い声で言った。
「……何か言うことはないのか」
朔は少し時間を置いて答える。
「別に」
直後に舌打ちが聞こえた。
数ヶ月後。
死刑判決だった。
人を殺しすぎたのだから、当然だと思った。
しかし、面会に来ていた両親は泣いていた。
朔にはその理由がよく分からなかった。
拘置所の中では静かな日々が続いた。
本を読み、眠り、また起きる。
このルーティンに飽きてきた頃、ついに執行の日になった。
あぁ、俺は死ぬのか……。
朔の心に不思議と恐怖はなく、淡々とした事実がそこにあった。
退屈な日常から解放されることに、わずかな清々しささえ抱いていた。
足音が響く廊下を進み、落下板の上で彼は静かに立ち止まった。
暗闇が落ちた。
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次に目を開けた時、彼の瞳の中に映ったのは波打つ大きな黒い湖だった。
その中心では、長い銀色の髪が揺れていた。




