⑦優しさ
「タテは今、地元だっけ?」タテの隣にやってきた橋本さんが聞いた。
「そうです。大学病院で整形外科やってます。」タテがそう答え、私は2人の会話をなんとなく聞いていた。
すると、田島さんが話しかけてきた。
「瑞稀ちゃんの子供っていくつだっけ?」
「今、1歳半です。赤ちゃんからやっとキッズになってきた感じです。」
「えー、写真見たい!」
「じゃあ、今からとっておきのやつ出します。田島さん、可愛いのカツアゲさせてもらいますよー。」
私はそうおどけてスマホの画面を触った。
私が子供の話をしたとき、タテは少しこちらを見た気がした。
「…どういうこと?」
意味が分からなかった。別れたとはいえ、まだ2週間だ。
「2年生のバスケ部のマネージャーの奈菜がずっと俺のこと好きだったらしくて、瑞稀と別れたことをバスケ部の奴らに言ったら、すぐに飲み会セッティングされて。そのとき俺、酔いすぎて、そのまま奈菜の部屋に行ってた。それで、目が覚めたら、付き合ってほしいって言われて…。今付き合ってる。」
目の前で話を聞いているのに、遠くから声が聞こえているようで、現実味がなかった。言葉がなかなか出なかった。
「…なんで私に話すの?」
言いたいことは色々あったが、口から出たのはそれだった。
「こういう経緯だから、バスケ部のやつらはもうみんな知ってるし、瑞稀もすぐに、うわさで聞くと思って。他人から聞くくらいなら、俺から直接聞いた方が…誠意があるかと思って。」
私のこと好きだって言ってたのに、別れたくないって言ってたのに、そんなにすぐ別の子と付き合うの?誠意だと…ふざけるな。タテとの3年半の思い出が音を立てて崩れて行く気がした。
「誠意って何?タテから聞こうが、周りから聞こうが、私が傷つくのは変わらないんだけど。言い訳してるだけでしょう?向こうから言ってきたから、自分は悪くないんだって。あのさ、今付き合っている時点でどちらから言ったとか関係ないんだけど。」
自分で思っているよりも低い声が出た。冷静に言おうとしたつもりだったが、言いながらどんどん腹が立ってきた。私が怒っているのは明らかに伝わったと思う。
「…傷つくって言うくらいなら、別れなきゃ良かったじゃん。」
タテは、こちらを見ないまま言った。
「何…?タテに結婚する覚悟がなかったからじゃん。私に同じことまた言わせるつもり?私は覚悟を決めて付き合ってたのに、それをひっくり返したのタテじゃん。私に責任転嫁するの?」
怒りで声が震えた。自分があんなに好きだった人に、こんな感情を抱きたくなかった。
「もう、出て行って。早く。一緒にいたくない。」
私はタテを睨んだ。タテは、何か言いたそうだったが、玄関に向かった。
「もし、何か俺のもの残ってても、捨てて良いから。」
こちらを見ずに言い、タテは出て行った。
悲しい、悔しい、苦しい、腹立つ、…悲しい。なんで?なんで?なんで?ネガティブな感情で心の中はぐちゃぐちゃだった。私は、その場で声を上げて泣いた。座り込んで、しばらく立ち上がれなかった。
「…マジであり得ないんだけど、むかつきすぎて死にそう。」
1人でいることが耐えられなくて、翌日、一緒に病院見学に行く予定の麻衣にLINEすると、すぐに家まで来てくれた。そして、今までの話をすると、麻衣は私以上に怒ってくれた。
「あいつ、頭おかしいって!何考えてるの?!3年半付き合った彼女との結婚を考えてないのもふざけんなって思うし、フられたからって自分に憧れてる後輩に手出してんのも気持ち悪すぎて吐き気がする。ってかそれをわざわざ瑞稀に言うってなに?!馬鹿なんじゃないの?!」
麻衣は一気に言った。
「瑞稀の3年半を奪っておいて、留年しても付き合い続けた瑞稀にこの仕打ちはなに?瑞稀はタテの追試に付き合って、自分はもうしなくてもいい勉強もしてあげてたのに…。タテのために…。」
気付くと、麻衣の目は潤んでいた。
「ごめん、麻衣…。」
私が麻衣の背中をさすって言うと。
「瑞稀はなんっにも悪くない!!あのクソ男が悪い!あんなやつがやったことで、私が泣かされるのも、マジで腹立つ!!死ね!!」
麻衣は叫んだ。
「本当にごめんね。」
私が言うと、麻衣は私を抱きしめてくれた。
「こんなに良い女を悲しませたあのクソ男は地獄に落ちる。っていうか私が地獄に落とす。」
自分よりも怒ってくれる存在がいると、安心できた。
「ありがとう。私、怒っていいよね?別れてたのは確かだし、恋愛は自由と言えば、自由だから…。なんか、ちょっと自信なくなちゃって。」
そう言うと、
「いい。絶対いい。呪っていい。だって、瑞稀はタテのことちゃんと好きで、将来のこと考えてたんでしょう?そこまで思った相手に、別れてから2週間で彼女ができて、フったお前が悪いって開き直られたら、誰だって傷つくよ。怒ろう。」
麻衣は何度も頷きながら言った。
「でも、一通り怒ったら、瑞稀には、あんな雑魚のことは忘れて、良い人を見つけてほしい気持ちもある。瑞稀の未来は絶対明るい。私が保証する。」
麻衣は、力強く言ってくれた。
「ありがとう、なんか自信が出てきた。前向きにいけそう。」
私は笑った。その夜は、病院見学前日だというのに、一晩中話し続けた。大切な友達がいることは私にとって本当に幸運だった。翌日、2人して目を腫らしたまま寝不足で病院見学をした。
あっという間に夏休みが終わり、実習の日々が始まった。私がタテと別れ、タテに彼女ができた話は、すでに広まっていた。この狭い町では当たり前のことだった。実習の初日、更衣室で笹田さんに会うと、両手を広げてこう言われた。
「余計なお世話だったらごめんね。人生の先輩ヅラしたくて。」
「ありがとうございます。最近色々な人の優しさと温もりに触れて、私は幸せ者です。」
おどけてそう言い、私は小走りで笹田さんに抱きついた。
「それは、瑞稀ちゃんが周りに優しい良い人間だからだよ。よしよし。」
笹田さんに頭を撫でられながら、私は人に恵まれているなと感謝した。
けんちゃん、よっしー、うっちゃんは、私に起こったことには触れず、いつも通り接してくれた。みんな、優しい人たちだった。
その日の実習は昼休み後、夕方のカンファレンスまで4時間の空き時間ができた。あまりにも長い空き時間なので、家に帰る班員もおり、昼食後、私は1人で自習室に行った。昼間の自習室は私以外に誰もおらず、がらんとしていた。教科書をめくりながら、来週実習する予定の眼科のページを開いていた。
1人で家にいると、否応なしにタテとの日々を思い出してしまうため、私はなるべく遅くまで大学の自習室にいた。引っ越そうかとも思ったが、物件自体は気に入っているし、タテのせいでわざわさ引っ越すのも癪に障るので、卒業まで住むつもりでいた。しばらくすると声をかけられた。
「瑞稀ちゃん、勉強どう?」
うっちゃんだった。その左手には大きなレジ袋を持っていた。
「お疲れ様、正直、眼科全く興味ないから、どうしたもんかと思っていたよ。」
そう答えると、うっちゃんは持っていたレジ袋を机の置いた。
「これなに?」
レジ袋を見ながら質問すると、
「差し入れ。瑞稀ちゃんお菓子好きでしょ?前にみんなで好きなお菓子ランキングつけたときに、熱弁してたから。」
以前、実習の空き時間に班員で、好きなお菓子ランキングを付けあったとき、私はガルボとパイの実、トマト味のプリッツの素晴らしさをプレゼンしていた。レジ袋の中を覗くと、あの日私が挙げていたお菓子はもちろん、おいしそうなお菓子がたくさん入っていた。
「え!これわざわざ買ってきてくれたの?」
私が驚くと、
「なんか、ちゃんと食べてるかなって思って。好きなお菓子ならいけるかなと。」
うっちゃんは微笑んで言った。実はタテと別れてから食欲がなく、3kg体重が落ちていた。ちょうどダイエットしたかったし、痩せてラッキーとも思ったが、タテと別れた噂を聞いていた周囲の人々には心配をかけていたようだった。
「あー、なんか心配かけちゃったならごめんね。もう元気なんだけど、色々噂聞いてたら気になっちゃうよね。」
私は言った。うっちゃんが気にかけてくれるのが分かり、申し訳なかった。
「こんなこと言ったらあれだけどさ、今になって思うと、よくある話だよなーって。長いこと付き合ったカップルが、結婚するかで揉めて、別れてからすぐ別の相手見つけるって。そりゃまあね、いざ自分に起こると、まるで自分が悲劇のヒロインみたいな気持ちになったけれど、そんなこともないよなーって。」
まるで、言い訳するように一気に話す私を、うっちゃんは優しく見つめて、こう言った。
「よくある話かどうかは関係ないと思うよ。同じ経験をしても、どう感じるかは人それぞれだし。誰かがその経験をしても悲しまなかったからって、同じ経験をした別の人間が悲しむべきじゃないなんてことはないし。何かが起きたときに出てきた感情は、その人だけのものだよ。他の人が決めて良いことじゃない。たとえよくある話でも、悲しかったら悲しめばいいし、腹が立つなら怒っていい。」
そう言われて、喉の奥が熱くなった。
「うっちゃん、良いこと言ってくれるね。そうだね、なんかちょっと自虐的になりすぎてた気がする。なんだか申し訳ない。」
そう言うと。
「謝る必要ないよ、自虐的っていうとよくないことのようにも聞こえるけれど、つまりは客観的に、厳しく、俯瞰して自分を見ようとしてるっていうことでしょう?それは悪いことじゃない。行き過ぎるとあまりにも自虐的になりすぎちゃうかもしれないけれど…程度の問題だよ。少なくとも、俺は瑞稀ちゃんが前向きになろうとしているんだなって思った。すごいと思うよ。」
うっちゃんは言葉を選びながら、励ましてくれた。
「うっちゃん、本当にすごいね。人生何週目?私と2歳しか年齢が違わないって信じられない。」
彼の言葉は、胸にストンと落ちた。
「ダテに2浪してないからね。」
うっちゃんはそう言って笑った。
「そうね、前向き。…新しい出会いとかあれば良いんだけれどねー。」
私がおどけて言うと、
「瑞稀ちゃん。唐突だけど、モテる女性とはどんな人だと思う?」
うっちゃんが質問してきた。
「えー?難しいけれど…。恋愛対象としてだよね?そうなると、前提としてわかりやすく可愛い人、顔とかだけじゃなく仕草も含めて。愛嬌かな?あとある程度のノリの良さも必要かなと。うっちゃんはどう思う?」
「瑞稀ちゃんの言うことに全面的に同意。ただ、また違った視点で追加したい。」
「おぉ、なに?」
うっちゃんがそう言ったので、気になった。
「男の大部分はね、自分だけが見つけた可愛い子という属性が非常に好きなんです。みんなが可愛いっていう子はもちろんモテるけれど、ちょっと目立たないけれど、俺はこの子が本当は可愛いって知っているぞって言う存在。」
「なるほど…。眼鏡を取ったら本当は可愛い図書委員的な感じ?」
「そうそう、そんな感じ。ただ…自分で言ったことをひっくり返すようだけど、そういう子を好きな男は多いので、蓋を開けてみるとその子は実質めちゃくちゃ人気者だったりする。自分だけが見つけたわけではなかったと最終的に気付くんです。」
「はー!なるほどね。その視点はなかったわ。」
私は納得して言った。
「あと、もう1個ある。」
うっちゃんは人差し指を立てながらこちらを見た。
「それは、おもしれー女。」
私はどきっとした。かつてタテとした会話を思い出した。
「…つまり、牧野つくしってことね。」私が言うと、
「瑞稀ちゃん、花より男子で例えるの好きだよね。」
うっちゃんは笑った。
「よし、せっかく買ったのに、話してるだけは勿体ないから、一緒に食べましょう。」
うっちゃんはそう言って、お菓子を置き始めた。全て並べると圧巻の眺めだった。
「うわー!テンション上がるわこれ!」
私が声を弾ませると、
「瑞稀ちゃんどれ食べる?」
うっちゃんは聞いてきた。
「うーん、悩むけど、ここからここまで!」
私はそう言ってお菓子の端から端まで両手を広げた。
「いや、全部はさすがに強欲すぎるわ。」
うっちゃんは笑った。




