⑥宣言
私は5年生、タテは4年生になった。5年生になると、学籍番号順に5-6人組に分けられ、附属病院で実習が始まった。この学年になると、初期臨床研修を行う病院を決めるため、長期休みには病院見学を行う学生が多く、私も夏休みには県内の病院をいくつか見学する予定だった。
お昼休みに実習班で昼食を食べていると、天然パーマがトレードマークで、笑うとなくなる目が特徴的な相沢健太郎ことけんちゃんが班員に質問してきた。
「みんな、夏休みどこの病院に見学行くの?」
「俺は、とりあえず県立中央病院に行くよ。けんちゃんは?」
同じ卓球部で、3学年上の先輩と付き合っており、S県に残ると言っていた伊倉良樹ことよっしーが答えた。よっしーは、入学当初、女性かと見間違うほどのロングヘアで無精ひげを生やしており、近づきがたい印象だったが、先輩と付き合い出してから、さっぱりとした短髪になり、以前は周囲から怖がられていた切れ長の目も、逆に魅力的になった。彼は、先輩と付き合ったことで、見た目を整えてもらえたと以前話していた。
「とりあえず、地元の病院に見学行くかな。まだこっちに残るか迷ってるけど。」
サッカー部に所属しており、OBが多く在籍している消化器外科から、熱心に勧誘されている、けんちゃんは言った。
「うっちゃんはどうするの?」
「俺も地元の病院見に行くけど、一応県立中央病院も行く予定だよ。」
みんなからうっちゃんと呼ばれている内村公希は答えた。彼は小動物のような可愛らしい目鼻立ちをしており、165cmと小柄なことから、女装が似合うため、所属するバドミントン部の余興では基本的に女性役をやらされていた。
「私は大学で研修するから、この実習が見学みたいな感じだよ。」
学士編入生で、現役生より10歳年上である笹田美奈子は言った。彼女は身長が170cmであり、ショートヘアがよく似合い、眼光鋭く、宝塚歌劇団の男役のようなカッコ良さがあった。
「瑞稀ちゃんは?」笹田さんに質問され、
「私は奨学金の関係でこの大学の医局に入るのは決まっているので、研修先も県内にしようと思います。よっしーとうっちゃんと一緒で、県立中央病院は見学行くつもりです。」私は答えた。
「よっしーも、笹田さんも、瑞稀ちゃんもここに残るのは確定なんだねー。よっしーはもう結婚するの?」けんちゃんが聞くと、
「話し合いの結果、俺がこっちに残ることになったからねー。向こうの圧も正直すごいし。」
と、よっしーは答えた。
「結婚適齢期の女性と付き合うっていうのは、その覚悟がないとね。」
既婚者で、入学を機に結婚し、旦那さんと一緒にS県にやってきた笹田さんは笑いながら言った。旦那さんは現在、附属病院で薬剤師をしている。
「瑞稀ちゃんがこっちなら、タテも残るの?」うっちゃんに聞かれ、
「うーん。私はそうして欲しいけど、まだ向こうは4年生だしね。ちゃんと話してない。」私は答えた。
「認識のすり合わせは大事だよね。」
S県に来るときに、結婚して旦那さんに一緒に来てもらうか、別れるかで揉めたと話していた笹田さんの言葉には非常に重みがあった。
私は、タテと将来の話をしたいと思いつつ、毎日忙しく、話し合いができていなかった。だけど、それだけではない。
気付かないようにしていたけれど、なんとなく、将来の話をタテは避けている感じがしていた。
「ただいまー。」
夏休み前日、最後の部活を終えたタテが家に帰ってきた。明日は、バスケ部の練習もない。時間はたっぷりあった。私は、今日こそ将来の話をしなければならないと思った。
「おかえり。お風呂入ってきたら?」
私がそう言うと、タテはお風呂に入った。
タテが今後のことをどう考えているのかが分からなくて、最近はずっと不安だった。私はタテと結婚したいけれど、結婚したいとはっきり言うのは、重い女になってしまうかもしれないと思って、伝えるべきか迷っていた。しかし、いつまでも将来の確証がない状態は苦しく、我慢もできなくなっていた。いよいよ、私も覚悟を決めることにした。タテがお風呂から出てくるまでの時間がいつもよりもずっと長く感じた。
「体育館のクーラーの調子が悪くて、全然風来なくてさ、暑すぎてやばかったわ。」
と言いながら、テーブルの前に座る私の横にいつものようにタテが座ってきた。今日こそは話す。と改めて意気込んで、私は少し緊張しながら切り出した。
「今日、実習班のみんなと夏休み、どこの病院に見学行くか話してたんだよね。よっしーは彼女と結婚するから、こっちに残るんだって。」
「そうなんだ。」
タテはペットボトルのお茶を飲みながら答えた。タテの表情は変わらず、その本心はうかがえなかった。
「あのさ、タテが留年したとき、別れない代わりに、将来のことを見据えて付き合うって言ったこと覚えてる?」タテはまだお茶を飲んでいる。
「そろそろ将来の話がしたい」
私がそう言うと、タテはこちらを見た。しばらく沈黙してから、
「…瑞稀は俺と結婚したいの?」
タテは聞いてきた。
「結婚したい。結婚するつもりで一緒にいた。私はこの大学に残らなきゃいけないから、タテにもこっちに残って欲しい。」
はっきりと断られるのが嫌で、今まで曖昧にしてきたことを伝えた。今日は逃げずに向き合うと決めていた。お願い、私と一緒に残るって言って。私はそう祈りながら、しばらく黙っているタテの顔を見つめた。
「…ごめん、俺、地元に帰らないと。」
心のどこかで不安に思っていたことが的中してしまった。ショックだった。しばらくお互いに無言になった。
「…初期研修を地元でやってから、こっちに帰ってくることも難しいの?」
私は、動揺していたが、声が震えないようにゆっくり伝えた。
「…こっちに残るのは難しい。」
タテは下を向いて言った。
「私と、結婚しないの?」
私はもう声が震えていた。
「瑞稀のこと好きだよ。でも、俺は地元に戻らなきゃいけない。」
「…じゃあ、私との将来は考えてないの?」
「…本当にごめん。」
そのあと、どんなやりとりをしたか、しっかりと覚えていない。でも1つだけ確かなのは、彼は私と結婚しないつもりだったことだ。話している最中は泣かなかったが、夜、彼の隣で布団に入って声を殺して泣いた。こんなに側にいて、大好きな人なのに、その人と結婚できない。その事実が、ただただ悲しかった。2人で過ごした日々が、思い出が一つ一つ鮮明に思い出されて、涙が止まらなかった。
一晩考えて、私は決めた。
「別れよう。」
朝、いつものように、一緒に朝ご飯を食べたあと、タテに告げた。
「…俺は瑞稀のこと好きだよ。一緒にいられる限りは、側にいたい。」
タテは悲しそうに言った。
「タテが卒業するまででしょ?そこでお別れなんでしょ?その先一緒にいられない人と、付き合い続けるのは、苦しい。私にはできない」
私は、泣きそうになりながら言った。
「俺は…、瑞稀が好きだよ。」
「私だって好きだよ。でも」私はタテを見つめた。
「私と結婚しないんでしょ?考えは変わらないんでしょ?もう辛い。一緒にいる未来が期待できないのが悲しい。これから、どんなに一緒にいても、いつか来るお別れが頭によぎっちゃうから、今まで通りにはいられない。」
私は途中から、流れてくる涙を止められなかった。タテは下を向いて黙っていた。何度か何かを言いかけていたけれど、結局は無言のままだった。それからどれくらい、お互い黙っていたか分からないが、タテは口を開いた。
「分かった。」そして、私を見て言った。
「別れよう。」
タテとの関係が終わる日が来ると、思っていなかった。でも想像以上にあっけなく終わってしまった。
元々私が住んでいた部屋にタテがやってきた状態だったので、タテがこの部屋を出ることになった。私は実家に帰省する予定を早めて、その日から2週間家を空けて、その間にタテに引っ越してもらうことにした。
「じゃあ、2週間後に。」
私はそう言って、荷物を持って家を出た。
駅までの道を歩きながら、今までのことを思い出していた。3年半、私の隣にはいつもタテがいた。私は手を繋ぐことを嫌がるから、外では繋がない代わりに、家に帰ると抱きついて離れてくれなかった。何度も何度も好きだと、私のことを可愛いと言ってくれた。いつも側にいたのに。この先一緒にいる約束はしてくれない。
「…なんでよ。」
私は思わず口に出してしまっていた。そして、また少し泣いた。こんなに悲しいとき、ドラマなら大雨だろうけれど、その日はとても晴れていた。
2週間後、県立中央病院に見学に行くために、私はS県に戻ってきた。そして、渡していた合鍵を返してもらうために、家でタテに合う約束をしていた。久しぶりに帰った家には、タテのものは残っていなかった。タテは少しよそよそしかった。
「引っ越しお疲れ様。家探すの大変じゃなかった?」私が聞くと、
「特にこだわりもなかったから、以外とすぐにみつかったよ。後輩に車出してもらったから、引っ越し作業も2時間ぐらいで終わったし。」
タテはあまり目を合わせずに答えた。
「そっか…。じゃあ、鍵もらっていい?」
私が言うと、タテは私に鍵を渡した。鍵にはお揃いのペンギンのキーホルダーが付いていたが、外されていた。そのキーホルダーは初めて一緒に旅行したときに水族館で、買ったものだった。少し、胸が痛んだ。
「確かに受け取りました。」
私はそう言って、軽く頭を下げると、そのまま沈黙が続いた。すると、タテは何かを決意したような表情になった。
「瑞稀、話したいことがある。」
タテは私を見て言った。
「俺、今付き合っている子がいる。」




