⑬質問
美香、麻衣、景子には、実習班のお疲れ様飲みの後に、うっちゃんと付き合い始めたことを報告した。3人とも大いに祝ってくれた。
「今度こそ、結婚式の余興やるからね!」麻衣は嬉しそうに言った。
無事に6年生に進級し、個人での実習が始まった。それぞれ実習先が違うため、うっちゃんと私は直接会う頻度は低くなっていたが、毎日連絡を取り合っていた。久しぶりに会えた5月の大型連休の時に、初期臨床研修先の病院をどこにするか話し合った。
「前にも言ったとおり、俺はS県に残るから、県立中央病院で研修したいと思ってる。瑞稀ちゃんは?」
「私も県立中央病院がいいと思っているけど…。同じ職場に彼女がいたらやりづらくない?」
私がおそるおそる聞くと、
「俺は気にしないよ。大丈夫じゃないかな。先輩達もカップルで同じ職場の人多いし。働いたら忙しくなるから、同じ職場の方が会いやすいし。」
「うっちゃんがそう言ってくれるなら安心した。」
私はうっちゃんとの未来に現実味を感じていた。
映画研究会の活動にもたまに参加していたが、5年生になったタテはほぼ参加していなかった。顔を見ると余計なことを思い出しそうだった私は、少し安心していた。
夏が終わり、実習が一段落すると、ひたすら国家試験の勉強をする日々になった。私はうっちゃんと毎日一緒に家で勉強していた。
「あーー、頭がパンクしそう。脳味噌の容量を軽く超えている気がする。」
医師国家試験は90%という高い合格率を誇る。合格率が低い試験は受かることが大変だが、合格率が高い試験は逆に受かって当然という受け止め方をされるので、非常にプレッシャーがかかる。医師国家試験とはそのプレッシャーをはねのける精神力が試される試験なのだと思っている。残りの10%に入らないためには、他の受験生が正解できる問題を同じように正解できるように地道に暗記をしなければいけない。
「2時間勉強したし、一旦休憩しようか。さっき買ったお菓子開けよう。」
うっちゃんはそう言うと、勉強を始める前に、一緒にスーパーに行って買い込んだお菓子の一部を出してきた。
「暗記には糖分が必要だ。ありがとう。」
うっちゃんにお礼を言って私はパイの実を食べ始めた。
「どういたしまして。」
うっちゃんはそう言うと、トッポの封を開けた。
付き合い始めてからもうっちゃんは、とても優しかった。いつも私を気遣って行動してくれた。ただ、そのせいか、自分から積極的に私にスキンシップを取ろうとしなかった。私は、付き合う前とあまり変わらないやりとりをしている現状に、少し寂しく思う気持ちがあった。脳裏にタテと付き合っていた頃にはすぐ触れられていたことが浮かび、すぐに打ち消した。比べるのなんて失礼過ぎる。まだこんなことを考えるなんて。
優しいうっちゃんと支え合いながら、試験勉強の日々を過ごしていった。その甲斐あって2人揃って、無事に試験に合格することができ、同じ病院で初期臨床研修を行うことになった。
卒業式の1週間前に、映画研究会の卒業生追い出しコンパ(追いコン)が行われた。さすがに元同期生の最後の日なので、タテも参加していた。私は久しぶりにタテを見て、…つい、目で追ってしまった。あの日車内で、好きだと言ってくれた姿が目に浮かんで、胸が痛んだ。もう1年以上経つというのに、元彼を吹っ切るというのは、想像以上に難しいようだった。
楽しい会はあっという間に過ぎ、3次会でお開きになった。映画研究会での思い出に浸りながら、帰り道を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「瑞稀」
声で分かった。タテだ。振り返ると、タテはこちらを見ていた。そのままお互いに見つめ合ったまま時間が過ぎた。
タテは何かを言おうとしてはやめてを繰り返していた。
「タテ」
私は声を出した。
「元気でね。」
何か話せば、色々と溢れてしまいそうだったから、私は終わらせようとした。タテは何かを言おうとして...、やっぱり、言うのをやめたようだった。
「...瑞稀も、元気でね。」
私はその言葉を聞いて、前を向いて歩き出した。うしろを振り返らないように。
「本当に環ちゃんの花嫁姿やばかったわ!キレイすぎて!上野は前世でよっぽど徳を積んだな?!」
もうすぐ2次会も終わる頃合いにやってきた新郎新婦に、酔った田島さんは絡んでいた。何ヶ所もある2次会会場を回った新郎新婦は疲れているだろうに、酔っ払った映画研究会のメンバーに付き合って、勧められるまま、お酒を飲んでおり、実は酒に弱い新郎は泥酔していた。
酔いすぎて休んだ結果、酔いが覚めたらしい橋本さんが、田島さんをいなして、2次会はお開きになった。
翌日の午前中の飛行機で帰宅予定だった私は、そのままホテルに帰ることにした。荷物を持って外に向かって歩き出すと、後ろから声を掛けられた。
「瑞稀!」
あの声だ。振り返ると、タテは小走りで私の隣に追いついた。
「送らせて。」
追いコンの日もこう言いたかったのだろうかと思った。
「…分かった。」
そう答えて、2人で歩き始めた。しばらくお互いに無言だったが、タテが口を開いた。
「...瑞稀はうっちゃんと結婚するんだと思ってた。」
私とうっちゃんは初期臨床研修の2年間を一緒に過ごした。うっちゃんはとても優しい人だった反面、自分の負の感情を抱え込む性質なのだと私は知るようになった。
厳しくて理不尽な振る舞いをすることで有名な上司の下での勤務中、うっちゃんは明らかに疲れていたし、元気がなかった。私はそんなうっちゃんが心配で、
「うっちゃん、しんどいことは吐き出した方がいいよ。私でよければ、話いくらでも聞くから。」
そう伝えていたが、うっちゃんは弱音を吐かない人だった。いや、吐くことがとても苦手な人だったのだ。
「瑞稀ちゃんありがとう。でも俺の中でちゃんと解決したいし、愚痴言うのが苦手なんだよね。」
私はそんなうっちゃんがもどかしかった。自己解決も大切だと思うけれど、明らかに疲れ果てているのに、側にいる自分に何も話してもらえないことが、もどかしくて苦しかった。私自身は、自分の中のモヤモヤを吐き出すことでストレスを解消するタイプだったので、うっちゃんの負の感情を抱え込むクセを完全に理解することはできなかった。そして自分の感情を相手に伝えることが苦手なうっちゃんに対して、私も本音を言いにくくなっていた。そんな日々が続くと、いけないことだとは思いつつ、良いことも悪いことも何でも言い合えていたタテとの日々を思い出してしまっていた。
この頃からわたしとうっちゃんはすれ違ってしまっていたのだと思う。そのうち仕事の忙しさも加わり、初めのうちはお互いの家を行き来していたが、いつの間にか職場でしか会わなくなっていた。
そんな中、うっちゃんのお父さんが脳梗塞で倒れ、彼は地元の仙台に戻ることになった。S県に残ると言っていたうっちゃんは、私にたくさん謝っていたが、仕方のないことだと思ったし、正直言うと、うっちゃんとの将来を、私は描けなくなっていた。うっちゃんもそれに気づいていたのか、仙台に来て欲しいとは言わなかった。大きな亀裂が入ったわけでもなく、とても静かに、自然に別れることになった。
うっちゃんが仙台に行く日、私は駅で彼を見送ることにした。彼と会うのは今日が最後になるのだろうと感じた。
「瑞稀ちゃん、今までありがとう。」
駅の改札前でうっちゃんはあの頃のまま優しい笑顔で言った。
「こちらこそ、今までありがとう。仙台でも頑張ってね。」
私も笑顔で言った。こんなにも穏やかな別れもあるんだなと思った。
「最後に1個聞いても良い?」
うっちゃんは少し悲しそうな顔をして聞いてきた。
「こんなこと聞くの、情けなくてごめん。…俺のこと好きだった?」
私の態度は、彼にずっと不安な気持ちを3年間抱えさせていたのだろうか。自分でも気付かないうちに、彼を傷つけていたんだろうか。…タテと比べられていると感じる瞬間があったんだろうか。
「…好きだったよ。」
私は目を逸らさずに答えた。間違いではなかった。うっちゃんへの気持ちで救われた瞬間もたくさんあった。楽しい時間も一緒にたくさん過ごした。
でも、もし、うっちゃんの言葉が、「タテより好きだった?」という意味だったのだとしたら…。
私はきっと即答できなかった。
結局タテと別れてからも、タテのことを思い出してしまっていたから。
「…そっか。ありがとう。変なこと聞いてごめん。じゃあ、元気で。」
うっちゃんはそう言って、改札の向こう側に消えていった。私はしばらく、その場に立ったまま、改札の向こう側を見つめ続けていた。
「学生の頃は、お互いに好きであれば、結婚するもんだって思ってた。でもそんな単純じゃないよね。お互いに仕事してたらさ。同じ職種だと仕事のスタンスの違いも気になったりするし、今後のキャリアのすり合わせも必要になるし。個人間だけの問題じゃなく、家同士の話にもなるからね…。うっちゃんとはそこが折り合わなかったんだよ。」
うっちゃんとの別れの詳細は伏せて、彼とは初期臨床研修が終わったタイミングで、別れたのだとタテに説明した。
「そのあと、どう過ごしてたの?」
「実はさ、うっちゃんと別れる前後くらいには、あんなにあった結婚願望が嘘みたいになくなったんだよね。正直、学生時代は、周りが結婚、結婚って話ばかりしてたから、私はそれに流されていたんだなって、思っちゃったよ。」
結婚がしたい気持ちに振り回されていた自分を懺悔するように、タテに話した。
「だから、それからは独身生活を謳歌した。お金もそこそこあるから、旅行したり、舞台観劇したり、ライブ行ったり。やりたいことは全部したよ。楽しかったー。おかげで周りの同期に比べて貯金は全然できなかったけれど、体力があるうちに、好きなことができたから、後悔はしていない。今は子供が生まれて、独身の時みたいに、気ままに生活はできなくなったけれど、遊べるだけ遊びきった感覚があるから、特に不満もない。若い頃は苦労をしなさいって言う人もいるけど、わたしは、遊べるだけ遊んでよかったなって思ってる。そうは言いながら、ちゃんと大学院に通って博士号も専門医も取得したしね。」
私は答えた。
「そっか、すごいね。さすがです。…旦那さんとは、いつから付き合ったの?」
タテに話したとおり、私は独身生活をこれでもかと謳歌し、やり残したことはないと言える状態まで楽しんでいた。そして自分の中のキャリアの区切りと思っていた博士号、専門医を取得して、ふと、結婚について考えた。
「そのとき私は29歳で、こういう仕事をしているから、経済的な心配はなく、一人でも生きていけるわけだけれど、結婚を絶対したくないっていう信念も別になかったし。誰かと過ごす未来の選択肢をなくすのもどうかなと思って。最悪、離婚しても、仕事があれば、生きていけるし。20代の方が相手が見つかりやすいって話も聞いていたし、30歳くらいで結婚できるように今頑張った方が良いかなって思い始めてた。で、ちょうどその時期に、夫に出会ったんだよね。」
縁とは不思議なもので、私の中で結婚に対して前向きになっていたタイミングで招待された高校時代の友達の結婚式で、新郎側の友人として出席していた夫と出会ったのだ。夫は転勤族の会社員で、次年度には異動することが決まっていたので、結婚への意欲が強く、私も30歳までには結婚したいと考えていたので、驚くほどトントン拍子に話は進み、私の誕生日の10日前に婚姻届を提出したのだった。
「結婚ってタイミングなんだなって、そのとき実感した。」
私は夫の異動先についていくために退職し、異動先で妊娠、出産を経て、現在はパートタイムでクリニックで勤務していた。医師免許を持っていると、基本的にどんな場所でも求人があるのがありがたかった。
「そうなんだ。目標通りに達成してるのすごいな。旦那さんどんな人?」
「そうだなー。穏やかで、他人への許容範囲が広いかな?いい人だと思う。」
結婚、出産を経ても、大きな衝突をせずにいられるのは、夫が基本的に私のやりたいようにやらせてくれて、たまにある私の感情の爆発に、丁寧に対応してくれているからだと思う。結婚とは日々の生活の積み重ねで、異性として好きかどうかもある程度必要だと思うが、それよりも、ストレスなく共同生活が送れる相手かどうかが大切なのだと、私は気付かされた。夫との付き合いは、初めから結婚ありきで始まったので、激しく燃え上がる恋という感じではなかったけれど、私は夫のことをとても信頼している。
タテはしばらく黙っていたが、意を決したように口を開いた。
「結婚したいなって思ったとき、俺に連絡しようかなって思わなかった?」




