⑪再会
5年生の臨床実習は2月いっぱいで終わり、6年生からは班ごとの実習ではなくなる。個人で希望を出してマッチングした実習先で4月から7月まで1ヶ月ごとに実習を行うことになるのだ。私はこの実習班での日々の終わりが近づいていることに少しずつ寂しさを感じていた。
「前に話してた、実習お疲れ様会いつにする?」
あと2週間で実習も終わりとなる2月半ば、けんちゃんがお昼休みに言い出した。
「終わってから期間空けずにやりたいし、もしみんな大丈夫なら、最終日の夜にやる?」
よっしーが言ったとき、私はうっちゃんとの約束を思い浮かべて、
「最終日は、」
と言いかけると、
「ごめん、俺金曜日は予定があって、難しいわ。土曜日にしない?」
うっちゃんが言った。
「私も土曜日の方がありがたいかも。」
笹田さんも同調したので、お疲れ様会は土曜日に、笹田さん夫妻のお家で手料理をごちそうしてもらうことになった。
「良いお酒持って行きます!昼間から酒が飲めるなんて、最高だなー。」
言い出しっぺのけんちゃんは満足そうに頷いてた。私はチラっとうっちゃんを見た。目は合わなかったが、あの約束をちゃんと覚えてくれているんだと思った。
その日の夜、家で過ごしていると、スマホの通知が鳴った。何だろうと思って、画面を見て心臓が止まりそうになった。
タテからのLINEだった。
"突然連絡してごめんなさい。どうしても会って話したいことがあります。会ってもらえませんか?"
私は既読を付けないように、通知画面で内容を確認し、一旦深呼吸をした。文章を読んでまず、今さら何の用だろうと思った。私の家に忘れ物があるなら、家を出てから5ヶ月以上経つのに、連絡してくる確率は低いだろうし、LINEで伝えて、直接渡すか、着払いで送るかすれば充分なはずだ。わざわざ会って話したいと言っている時点で違うだろうと思った。
タテが現在、例の彼女と続いているのかどうか、私は知らなかった。知りたくもなかったし、周囲の人々もわざわざタテの話をしてくるようなことはなかった。
…今の彼女と別れたのだとしたら、あわよくば私と復縁したいと思っている?
もしそうなら、私のことを何だと思っているのだろう。あんな別れ方をしても、私なら復縁できると考えているのだろうか。…舐めないでほしい。
怒りにまかせて文章を書くと、ひどい文章を書いてしまいそうだったし、まだ相手の要件が何か分からないうちから、決めつけるのも良くない。私は一度、スマホを置いてどう返信するかしばらく考えた。そもそもこのまま返信しないという手もあった。でも、届いた文面が"久しぶり!"とか"元気だった?"みたいな浮かれた文章だったら、無視しようかと思ったが、実際に届いた文面は切実そうだったので、まずはタテの話したい内容を聞いてからどう対応するかを決めようと思った。
"話したいことがあるのであれば、LINEで充分だと思うので、こちらに書いてください。"
20分くらい時間を空けて私は返信した。これを読んでどう出るか様子をみよう。下心がなく、本当に切迫した緊急自体の可能性もゼロではないし…と思っていると、タテからはすぐに返信が来た。
"文章だと、とても長文になってしまうし、どうしても瑞稀に直接会って話がしたいです。図々しいとお願いだと思うけれど、どうか考えて欲しいです。"
タテはどうしても会いたいようだった。私の頭の中には、一瞬、一緒に楽しい時間を過ごした頃のタテの顔が思い浮かんだ。しかし、すぐにうっちゃんの顔に変わった。今の私が第一に優先すべきはうっちゃんだ。いくら、かつて楽しい日々を一緒に過ごした相手だからといって、優先順位を間違えてはいけない。私はすぐに返信した。
"直接会うのは難しいです。君の彼女に勘違いされるのも嫌だし、言いたいことがあるなら、LINEで書いてください。"
私はうっちゃんと向き合うって決めたんだ。そう思ってスマホを置こうとすると、すぐに通知が鳴った。
"彼女とは別れました。だから瑞稀には迷惑はかけません。少しの時間で良いのでお願いします。"
別れました。という一文を読んで、心臓がドキリとはねた。これは、やっぱり復縁したいと言われるのだろうか。
"君と会っていることが知られて、誤解されても困ります。変な噂になるのも嫌です。"
うっちゃんの顔を思い浮かべながら文章を打った。うっちゃんの名前を出すことは憚られたので、匂わせるような文章になってしまった。
"誰かに見られるのを避けたいなら、瑞稀の家の前に車で行きます。車の中で話すのはどうですか?考えて欲しいです。お願いします。"
タテの押しは強かった。このままLINEをしても埒が明かないのかもしれないと思えてきた。それと同時に、私の中でタテとの思い出がどんどん蘇ってきた。このままだとマズイ、ケジメをつけよう。と思った。
"分かりました。その条件なら会います。"
お互いの都合をすり合わせ、次の金曜日の夜、会うことにした。うっちゃんに返事を伝える前に、ケリをつけようと思った。
約束の金曜日の実習終わりに、私はうっちゃんに声をかけた。
「うっちゃん、うっちゃんの家に19:30くらいに行ってもいい?」
「うん。大丈夫だよ。待ってる。」
うっちゃんはそう言って微笑んだ。
家に帰り、タテとの約束の時間を待った。私は緊張していた。彼と話すのは約6ヶ月ぶりだ。…間違えてはいけない。懐かしさに負けてはいけない。自分に言い聞かせていると、スマホが鳴った。
「家の前に着きました。」
タテからのLINEを読んで、私は深呼吸し、覚悟を決めた。家の前に出ると、1台の黒いミニバンが停めてあった。運転席にタテの姿が見える。…少し髪が伸びていた。私はそのまま助手席に乗り込んだ。
「お久しぶりです。今日はありがとう。」タテは私が座るのを待って言った。
「用件を早く伝えてください。」
恐らくとても素っ気なく聞こえただろう。私は流されるのが怖くて、タテの顔を見ないようにしていた。
「…本当に、ごめん。瑞稀には本当に申し訳ないことをしたと思っています。たくさん傷つけてすみませんでした。」
タテはそう言うと頭を下げた。私は何も言わないでいたので、車内に沈黙が流れた。しばらくしてタテは話し出した。
「瑞稀と別れることになって、別れ話をしたけれど、あのときは近くに瑞稀がいたから、別れることへのリアルな想像ができていなかったし、実感できてなかったんだと思う。…考えたくなかったんだとも思う。あの日、瑞稀が家を出て、部屋に一人で取り残されてから、もう、瑞稀と一緒にいられないんだってことをやっと、実感して、すごく怖くて、悲しくて、何より寂しくて仕方なかった。しばらく本当に動けなかった。そんな状態だったから、部活もうわの空で、何かあったんだろうってすぐ周りに気付かれた。それで、瑞稀と別れたことを言ったら、めちゃくちゃ驚かれた…。俺を元気づけようってことで、飲み会やることになったんだけれど。計画したヤツらが、悪ノリで、新しい彼女を作って元気出させようってなったみたいで、ずっと俺に憧れてるって部内で言ってた奈菜が参加してて。それでその飲み会で飲み過ぎて記憶飛ばして、そのまま奈菜の家に行ってた。朝起きたら、奈菜に付き合ってほしいって言われて、一旦断ったんだけれど、「タテさんが今は元カノのこと引きずってても、気持ちが変わるまで待つんで、付き合って欲しいです」って言われて…。飲み会に参加していた全員で俺を奈菜の家まで送り届けたらしいから、家に行ったこともばれてたし、何より…寂しくて仕方なかったから、その言葉に甘えて、」
別れ話の時にも聞いた馴れそめを、延々と話し続けるタテに腹が立ってきた。
「その話は前に聞いたよ。もういいから。…結局何が言いたいの?私この後予定あるから、用件早く言ってよ。」
タテの話を遮って吐き捨てるように言った。
「ごめん。言い訳なんて聞きたくないよね。本当にごめん。…奈菜とはそんな始まり方だったから、本当に俺がダメだったんだ。結局、瑞稀がいない寂しさを埋めるために、付き合っただけだった。しかも付き合い始めてからも、奈菜のこと何から何まで瑞稀と比べてた。すごい嫌なヤツだったと思うよ。それで何回か、別れようって伝えたけれど…。奈菜は、「自分のことを好きになってくれるように頑張る。」って言って…結局、奈菜の気持ちに甘えて、そのままズルズル付き合ってた。本当に俺最低だった。」
「本当、最低だね。彼女が可哀想。」
「…でも、やっぱりどれだけ時間が経っても、どれだけ奈菜と一緒にいてもダメだった。瑞稀のことが忘れられなかった。だから、別れて欲しいって言った。このまま一緒にいても、奈菜のことを好きになることはないと思うって。さすがに半年間付き合ってて、そう言われたら、あきれたんだろうな。別れるのに同意してくれた。」
私のことが忘れられなかったと聞いて、情けないけれど、少し嬉しいと思ってしまった。結局、私も引きずっていたのだから。
「それと、ムカついたんだろうな。「瑞稀さんが新しい彼氏と付き合ってるらしいって噂聞いたから、もう手遅れだと思うけどね。」って言われた。」
あの蕎麦屋で見かけたバスケ部の後輩のことを思い出した。やっぱり噂になっていたのかと思った。
「それ聞いて…、本当に血の気が引いた。自分がすぐに彼女を作っておいて、言うのは図々しいのは百も承知だけど、瑞稀が他の誰かと付き合うって考えるだけでゾッとした。絶対に嫌だと思った。だから、すぐ瑞稀にLINEした。瑞稀の性格なら、もう彼氏がいたら、彼氏がいるから連絡してくるなって言われるか、無視されると思ったけど…、返信してくれて、会ってくれているから、まだ彼氏はいないって認識でいい?勘違いだったらごめん。」
悔しいけれど、私の性格を分かっている。
「…私を好きだって言ってくれている人がいる。話していて楽しいし、すごく良い人。それに…普通にカッコいい。私は、これから、その人に会いに行って、返事をする。前向きに。」
私は答えた。タテが息を呑んだのが分かった。
「…そいつのこと好きなの?」
私は一瞬、詰まってしまった。
「前向きな返事をするって言ってるじゃん。」
うっちゃんを好きだって断言できたらいいのに。自分が情けないけれど、言えなかった。
「俺は、瑞稀のこと好きだよ。」
今さらそんなこと言わないでよ。やっとここまで立ち直ったのに、私を迷わせないでよ。タテが私を見つめているのが分かる、目が合ったら本当にマズイ。
「…やめてよ。もう、遅いよ。」
私は振り絞るように言った。
「本当に遅い?もうダメ?そいつのこと本当に好きなの?俺は、瑞稀といられなくなって、本当にダメになった。忘れられなくて、会いたくて仕方なかった。俺は瑞稀じゃないとダメなんだよ。本当に好きなんだよ。」
タテは畳みかけるように言った。
「やめてって!」
私はタテを見てしまった。とても辛そうな表情をしていた。
あぁ、私はこの人のことが大好きだった。ずっと一緒にいたいと思っていた。
「自分が言い出したけど、別れることになって悲しかった。…好きだったから。嫌いになったわけじゃなかったから。しかもすぐにタテは彼女ができて、すごく辛かった…。でも、周りの人のおかげでやっと吹っ切れそうだったの、そうするために私は頑張ったの!なのに…いまさらそんなことに言わないでよ。」
私は言いながら泣いていた。
「好きだよ。瑞稀。」
タテの目線は、私を射貫くようだった。
「…やめて。」
私はそう言うのがやっとだった。
「何度でも言う、好き、大好き、本当に好き、誰よりも好き。瑞稀と一緒にいられないなんてもう嫌だ。お願いだから、俺のこと選んで。」
タテはそう言って私の右手を掴んだ。この手を握り返せば、きっとまたタテと一緒にいられるのだろう。私はまだタテを引きずっている。タテから気持ちをぶつけられて私は自覚せざるを得なかった。私は息を整えてから言った。
「じゃあ結婚してくれるの?」
タテは、私のことを見つめ続けていたけれど、苦しそうな表情をして、そのまま黙っていた。私はタテの手から右手を引いた。
「もし、もう一度タテと付き合っても、いつか別れることが決まってるなら…。きっと耐えられない。悲しすぎて。何度も言うけど今回は周りの人に支えられて、やっとここまで立ち直ったの。同じことは繰り返したくない。」
私はそう言って、タテを見た。
「俺は…」
タテはそう言ってから、何か言おうとしていたけど、迷っているようだった。このまま一緒にいると流されてしまう。一瞬で別れる前の気持ちに戻ってしまう。もう迷わないって決めたのに。
「私が、今日これから会う人は、S県に残ってくれるって言った。だから自分と付き合うことを考えて欲しいって。タテにそれが言える?」
タテは苦しそうな顔をしていたけれど、黙っていた。
「もう、終わりだよ。いや、もう終わってたことなんだよ。私はもう、先が見えないのは嫌だ。…どんなに好きでも。だから、出るね。」
そう言って、私は車から出ようとした。
「瑞稀」
タテに呼ばれて私は振り返った。
「ずっと好きだよ。」
タテはこちらを見ていたけれど、出て行く私を止めはしなかった。
「私は、「好きだった」にする。」
そう言って、車から出た。振り返らないように、走って家に帰った。鍵を開けて、玄関に入り、その場に座り込んだ。私は、ずっと泣いていた。涙が止まらなかった。




