【203】巨人の盃
空気が湿っている。
肌寒いほどだが、しかし、凍えるほどではない。
真っ黒で、細かな泡を内包して欠け、削れた火山岩の隙間に苔やシダ、キノコが生えている。小さな池ほどの大きさの、足首までほどの深さの窪みに溜まった水の中にも、何種類もの水草が生え、名前も知らないような黄色い小さな魚が泳いでいる。
空間は広い。
ここが地下であることが信じられないほどに天井は高く、明るい。
巨大な真っ白い鉱石が荘厳な柱のように並んでいる。その白く美しい結晶体の数々はどこか薄ぼんやりと光っているようにさえ見える。また、その結晶群の母岩に含まれる微細なものたちはもっとはっきりと発光していて、最初は岩が光っているのかと思ったが……よく目を凝らしてみると、それは見たこともないような苔と、丸いキノコたちなのだった。
発光する苔やキノコの光と、恐らくは地上から差し込む光を受け、鉱石が白く反射させているために、この空間は明るいのだ。途中までの道ではランプが必要な程であったが、ここは真昼のよう。
天井近くでは鮮やかな、黄色とオレンジ色の鳥が飛んでいる。
大きな木々も幾つか、うねるように根を張り、枝葉を伸ばしている。大樹もあれば、低木もあり、樹高の低い木の中には実を結んでいるものもあった。
茂みにはネズミやカエル、蛇などが居て、他にも、見たこともないような、ごく小さな水色や黄色の蝶が飛んでいる。
「――美しい」
隣で、アルバンが呟いた。
思わず、というような、素直な感嘆であり、感動の言葉だった。
「なに驚いてんだよ。冒険者にとっちゃ、待合室みたいなもんだ」
「他の冒険者の方々も、ここで休憩したり、待ち合わせしたりしているんですね」
「そうだ。ここは巨人の盃って呼ばれてる。ここも既にダンジョンではあるんだが、ここから更に五つの道に別れてんだ。それぞれ特徴が違うから、アタシらはそれぞれのダンジョン名で呼んでるな」
「へぇ、そうなんですね。巨人の盃……言い得て妙です」
「他にも特徴のある場所は名前が付いてる。でもまあ、まずダンジョンの名前だけど……」
と、ヒメナさんが説明しようとしたのだけれど――。
「新種の藻だ! 藻! 藻が!」
「カーヴァンクル? 小型、小型の変異種!? 待ってミトン! 殺さず! 生かしたままで!」
「ヒカリゴケ、ヒカリゴケがっ」
「このカエルは魔獣ではないけど、もしかして……模様からして、ヴォジャノーイにそっくりだし、もしやベイツ型擬態!?」
「オァーーー! 誰か池に落ちたぞ! 顔から滑って血が! 水質が汚染される! 早く引き上げるんだッ!」
「虫網濡らすなよ! 死守しろ!」
「やった! 網は無事だ! 紫色っ、紫色のトンボがっ!」
「土壌のサンプル、サンプル、サンプル〜! 酸性寄り? アルカリ? えっ、あっちはアルカリ寄りなの? 窪みによって土が違う? 全部採取しよ〜!?」
「ツェツィーリア、ごめん一緒に来てくれるっ!? あっちに、あっちにでっかいナメクジが!」
秒速で大惨事。
主に研究者たちのテンションの上がり方がやばい。
全員ヤバいお薬でもキメたんですか?
その疑惑が浮上してしまうぐらいのガン上げである。
聞いちゃいねぇ。
アルバンなど、片手に小さいスナネズミ……もとい、カーヴァンクルを確保した上で、もう片手で私のローブの裾を引いて見に行こうよと子供みたいになってしまっている。愛称呼びも取れてしまっているあたり、相当である。
「すみませんヒメナさん。ここまで皆さんが理性を失うとは思いもせず」
「前途多難過ぎんだろ」
「ツェツィさま、なんとか護衛の騎士が回収してるけど、研究者たちが集める端からどっか行っちゃうから、一旦止めた方が良いと思う」
「まあ、どうしましょう……? とりあえずアルバン様、ナメクジは俊敏には逃げられないと思うので、そのカーヴァンクルを籠に入れておいた方が良いのでは? 順番に観察した方が捗ると思います」
「騎士団の屋外演習用のホイッスルなら持ってる。吹いてもいい?」
「やってみましょう。ニーナ、お願いします」
ピィ――――――!
甲高い音。爆音。そして長い。
ニーナの肺活量が遺憾無く発揮されている。
笛の音は大体、騎士団であれフィールドワーク中の研究者であれ、生命の危機とか、ヘルプコールであるとか、危険種接近のお知らせだったりするので、長く爆音で鳴らせば一応動きは止まる。
「皆さん、集合してくださーい!」
私の肺活量はゴミ。
頑張って叫んだので一応、聞こえてはくれたようである。動きが鈍って一瞬、我に返った研究者たちを、護衛の騎士たちがすかさず捕獲。エイヤッと麻袋に詰めた穀物の袋を運ぶかのように、肩に白衣の人々を雑に担いで騎士たちがエッホエッホと集合してくれる。
騎士の皆さんありがとうございます。本当にお疲れ様です。
が、騎士たちに雑な感じで回収されている白衣の人々、大体みんな植物とか鉱物の破片とか、虫の入った虫網とかを握り締めて戻ってきているあたり、根性がすごい。
「皆さん、落ち着いてください。まず、パーティーリーダーであるヒメナさんからお話があります」
「全員うるっせぇ。あと、ダンジョンで浮かれんな。散るな。纏まれ。死ぬぞ。聞けねぇ奴はどうしても無理っつー話になったら膝の骨砕いて地上に戻す」
皆さんに見えるように、ヒメナさんには物資運搬用の木箱に乗って頂いた上で、全員地べた座りでお説教。
「てか、アタシのこと拝み倒してパーティーリーダーにしといて言うこと聞かねーとか、マジで意味がわかんねーんだけど」
「ごめんなさい。仰る通りです。皆さん、ダンジョン内ではヒメナさんがリーダーです。ヒメナさんの指示に従って下さい」
「ご、ごめんなさい……。」
研究者一同、反省。
そう、何を隠そう、このダンジョン調査チームのリーダーはヒメナさん。
責任者としてはアルバンやスヴィン博士やコボネ博士なのだけれども、ダンジョン内での活動に関してはヒメナさんが指揮をとる。だって誰も死にたくないし死なせたくないから。
ヒメナさんが「引き返す」と判断すれば即撤退。
ヒメナさんが「動くな」と言えばその場で直立不動。
そういう風に行動するというのを事前に取り決めていたのである。これは私やニーナ、アルバンも例外ではない。
対人関係で何かトラブルなどが発生した場合はヒメナさんとアルバンが話し合いで決めるし、研究者たちの要望とヒメナさんの判断が対立したら都度話し合って落とし所を決めるというルールである。
にもかかわらず、ダンジョンの入り口でもうこの体たらくである。
おかしい。
頭の良い人々の筈なのに、理性が吹っ飛んでいる。
「ヒメナさん、この度は……どうお詫びして良いか」
「料金一割増し」
「お支払いしましょう」
ヒメナさんの眉間には深い皺。
こんな問題児ども、いや問題しかない変人どものお守りなんてやってらんねーよ、というのがありあり分かるその表情。大変申し訳ございません。でもヒメナさんに見捨てられたらこのプロジェクト、頓挫しちゃうからお金でどうにか許されたい。買えるならお金で買います安全と命。むしろ出せるもの、それしかないのだし。
「つーか、迂闊にそこらへんのモン触って死にたくねーからアタシを雇ったんだよな? なんでいきなり揃いも揃って握り締めに行ってんだよ」
「えっ、だって、ここに棲息している種に関しては安全でしょ?」
呆れ果てた様子のヒメナさんに対して、アルバンがケロッとしたツラで返答。
「ここは待合室みたいな所だって話だし。他の冒険者も多数存在している。つまり普段から人通りが多い場所であり、危険な生物は極めて少ないと考えられる。また、同時に人間が介入することによって淘汰されるような種は冒険者文化の隆盛と共にとっくのとうにこの場所からは排除されていて、今残っている動植物は結果的に人間に対して大きな害を齎さず、また人間が半生活域として踏み込んできてもコロニーが壊滅せずに生き延びられるぐらい繁殖能力には優れているものだけだと判断して、まずサンプルの確保に走ったんだけど……違う? 凄く珍しいものが混ざってたりする?」
アルバン、空気が読めない。
が、他の研究者の方々も同じなので、アルバンの意見に対して揃って「うんうん」と頷きまくっているあたりもうダメである。
ヒメナさんが物凄く嫌そうな顔を、している……。
「お前ら……判断力があるのに奇行に走るのか」
「違った? 何か有害なものがあったら教えて欲しいんだけど」
「……そこの黄色いカエルは触んな」
「ハイ! 大丈夫です! 麻痺毒ですよねっ! 手袋で防護してます!」
「そっちの赤い露草も毒だから絶対食うな」
「アルカロイド系ですよね? さっき自分の腕に塗って人体実験しました! 痛くて痒いです! 解毒薬は飲んでます!」
「そっちの白い蝶の鱗粉目に入ったら失明するから近寄んな」
「あっちの木に居た紫色の芋虫が幼虫ですよね? 確保してます! 大事に育てます!」
次々指摘される危険生物の数々に対して、それらのサンプルを確保した研究者の方々が、元気よくお返事をしてくれている。というか、食らっても死ななそうな範囲を自己判断して自分の体使って人体実験してる人がそこそこの割合で居るの、どうかしてるな?
「コイツら、マジでめんどくせぇ〜。何をどうしたらギリギリで死なねぇのか知っててやるのが最悪」
「本当にすみません。そういう方々だと思って頂いた方が良いかもしれません」
「だろうな。じゃ、もういいわ。どうせしばらくここで遊ぶんだろ? 巨人の盃の中から出なけりゃ、好きにやってろ。ただし、他のダンジョン前の扉には近寄るなよ」
ヒメナさんが指し示した通り、この巨大な地下空間、巨人の盃なる場所には、四つの巨大な門が構えられている。
鉄と分厚い木で造られた扉であり、それらはそれぞれに違った名前を有するダンジョン、その洞窟に蓋をするような形で構えられている。
冒険者たちはまず、この巨人の前庭に辿り着いてから、各々目的に合致する行き先を選び、門を潜るのだそうだ。
一応、国としても定義としても、この巨人の盃もダンジョンの一部ではあるものの、冒険者は主に、ここから繋がる各洞窟道をダンジョンと呼ぶそうだ。
扉の先を進むと、それなりに強い魔獣が居たりもするらしく……主に強い魔獣は奥地にしか出ないそうだが、万が一ということもある。いざという時にはこの巨人の盃で凶悪な魔獣を迎え討ち、市街地への被害を防ぐのだそうだ。
「具体的にはどのくらいの距離まで近寄って良いのかな?」
「10メートル。その距離ならいきなり門の向こうから魔獣が飛び出しても即死はしない」
「わかった。じゃあとりあえず、昼まで全員、各々サンプル採取と観察ってことで……解散!」
ワーワー賑やかに研究者の皆様は元気いっぱいに散っていった。さながら田舎の、そこらへんに居る庶民の子供達のように。虫を追いかけたり草を集めたり、カエル捕まえたり。なんかよう分からんが数名はザブザブ浅めの池に躊躇なく入っていっていたり、様々である。
それらの散っていく研究者をダッシュで追い掛けてハラハラしつつ見守る騎士たち。
しかして、この場に留まった一団が存在していた。
「えっ、あの、なにを触ったら死ぬんですか……?」
直立不動で、規則正しく並んで恐怖に震えているのは測量士の皆様である。
うん。はい。そうですよね。
普通はこうですよ。
彼らは主に、クライノート王国から遠路はるばるやってきた、こちらも魔獣研究者とは別方向で極めて専門的な技術を有するインテリ集団である。
地図を作るのには真面目さと根気と体力と計算能力が不可欠であり、測量士というのは育てるのがなかなか難しい。最終的に地図を作るとなった時に、膨大な数字の記録と格闘しながら専門の道具を使って描き起こさねばならぬのである。
測量には当然ながらそれ専門の道具が多数存在している。半円方位盤なる特定の目印となる遠方の方位を測る、方位磁石を埋め込まれた半円形の道具とか。杖先方位盤なる杖の先に方位磁石を付けた方位角を測るかっこいいアイテムとか。あとなんか、象限儀なる丸を四分割したみたいな形の坂道の角度を測るための道具とか。
一応、途中で私もちょこちょこ話は聞いて、ざっくり「こういう道具を使うんですよ」とは教えて貰った訳だが、使い方なんてサッパリ分からん。あと、教えて貰ったところで実際に何をどうやるのかとかなんも分からん。
地図を作るのは本当に大変。
測量士さん達は、みっちりしっかりお勉強して、かつ一人前になるまで実地でやって……という方々であるからして、体力はある。主に歩くとか、野外活動、キャンプなんかもしっかりやれる。
やれるのだけれども、しかして、彼らはあくまで測量のプロであって、生物のプロではないのだ。
そこら辺に居るありふれた野生動物とか魔獣に対する注意点とかはしっかり頭に入っていても、こんなダンジョンなんていう、特異な生態系ここに極まれり、新種、亜種、固有種目白押しです! 一歩進むごとに「こんにちは初対面の謎の生き物です」とやられては、もう怖くって仕方がないだろう。
「あ〜、地図作る奴らは畑が違うからまともな素人か。わかった。とりあえず触ってすぐ死ぬようなヤツはここには居ない。けど、毒持ったやつは多いから、厄介なのは何種類か説明はしてやる。あんたら、どーせ紙は持ってきてんだろ? メモ取れ」
測量士の皆さんのため、ヒメナさんから「触ったら体によくない生き物」のレクチャー。
私も素人なのでしっかり聞いておく。
説明によると、ここには触らなければ無害な生き物しか居ないようだった。
加えて、もし間違って触ってしまっても、触れたところがかぶれるとか、食べてしまったら下痢と嘔吐とか、目に入った上に処置が遅れたら失明とか、そのくらいのものであるらしい。
失明に関しては真剣に恐ろしいが、それもピンポイントで特定の種類の蝶の鱗粉が目に入らなければ平気だそうなので、実際、手に取ってしまった後に目を擦るとかやらなければ問題はない。
広範囲に触れたり、大量に摂取したりしなければ、酷い目に遭っても死ぬことはない、という生き物しか居ないらしいので、測量士の方々はホッとした様子である。
まともな感覚を持った人なら、よく分からん毒々しい色の生き物に積極的に触ろうなんてしないので、肌を保護した上で普通に測量していれば大丈夫だろうという結論に達した。
この巨人の盃に於いては測量士の方々も放牧して問題なかろうということで、一旦解散。
「測量はすぐに終わんねぇだろ? アタシは寝るから、なんかあったら呼べよ?」
「はい。分かりました」
説明を終えるなり、ヒメナさんは空になった荷車の上にゴロンと寝転がって寛ぎモードである。
どうやら、この場所は本当に危険度が低いらしい。
「私たちも、他の方々の作業を見て回りましょうか」
「ああ。アルバンとミトンはカーヴァンクルを追い掛けるのに夢中になってるから、見に行こう」
聳え立つ大木のそばで、アルバンとミトンはカーヴァンクルハンティング。
どうやらアルバンはミトンを説得して協力を取り付けたらしく、次々とカーヴァンクルを捕まえたミトンが、生きたまま咥えてアルバンの元に運ぶというのを延々繰り返しているらしい。
あの狩猟本能全開の猫ちゃんをどうやって説得したんだ。
「素晴らしい。通常種のカーヴァンクルよりこのダンジョンの個体はひとまわりは小さいが、魔力保有量が多い。加えて、通常個体が土属性のみであるのに対して、ダンジョン個体には土属性個体のみならず火属性個体が存在している……通常カーヴァンクルは額にある擬似宝石がスピネルに似た赤色を示すが、既に今日捕獲した個体だけでも赤、紫、水色、黄色など多岐に渡っている……これだけで論文が書ける……!」
ハァハァしている。
あと、キマっちゃった目でガリガリメモに書き込みまくっている。
ミトンが捕まえてくるカーヴァンクルを次から次へと受け取っては籠に入れて、その籠にも凄まじいスピードで個体識別のための番号を振っている。
まだ入り口ですけど、大丈夫かなコレ?
「お疲れ様です。順調ですか?」
「順調だよ! ミトンを連れて来て本当に良かった。賢いから、お願いしたら殺さずに生かしたまま持って来てくれるんだよ! 捗る捗る」
「凄いですね。どうやって説得したんですか?」
「城の地下にあるあの肉のジャーキーで手を打ってくれたよ」
「城の地下にあるあのお肉の……!?」
火竜の肉のジャーキーを与えられるケットシー。
普通の王侯貴族より贅沢をしている猫ちゃんが誕生してしまった。
いや、私もアルバンのおこぼれに与って、火竜の肉のタルタル食べたりしてるから何も言えないのだけれども。
「ミトンはもう貰ったのか?」
「ほんの少しだけ渡して、残りは後払い」
「そのジャーキー、ちょっとでいいから食べたい」
「ニーナはまだでしたものね。そのうち、何か機会があったら私からプレゼントしますね」
可愛い大事なニーナからおねだりされてしまったが、ここで大放出するわけにはいかない。
何故なら火竜の肉は栄養価が高いので、ドラゴンジャーキーは完全なる非常食。アルバンがせっせと作って荷物の奥底にコッソリ忍ばせていたものである。
もしもダンジョンの奥地でいよいよ食べるものがない、という切羽詰まった状態になったら食べようね。そういう運用を前提としていたアイテムなので、今ここで食い尽くしてしまっては本末転倒。
……なのだが。
「アルバン様、なんで今それを出してしまったんですか?」
「つい……ミトンを説得するための材料が他になくって……!」
「魔法で捕まえれば良かったのでは?」
「素早くて小さくて骨が脆いから、生きたまま捕獲する自信がなくって……!」
「うぅん、なるほど。なら仕方ないですね。ミトンのおやつなら量も少なくて済みますし、支障は今のところ無さそうですが、今後は小型の生き物を生け捕りするための罠を考えた方が良いかも知れませんね」
「うん。そうだね。僕も……ちょっと冷静になるよ。まだ入り口だもんね」
アルバンが程よくクールダウンしたようで良かった。浮かれ過ぎた自覚があるのか、俄かにションボリしている。
が、三分後。
「うわぁ、凄く大きいナメクジ……! 魔力はないからごく普通のナメクジの筈なんだけど、凄くでっかい! 見てツェツィーリア! こんなに大きい」
「わぁ」
手袋着用とはいえ、躊躇なく超巨大ナメクジを手に取って見せに来てくれたりなどする。
小さめの猫ぐらいの大きさがあるぶりぶりに太ったナメクジが「なんやねん」ぐらいの感じでこっちを見てくる。やめて目が合う。なんならヌメヌメしているのは気持ち悪いなと思うが、背中に二本の縞模様があるあたりちょっと可愛いじゃねぇかよとも思ってしまった。
触りたくはないが、珍しいし、ここまで大きいと気持ち悪いという感情より好奇心に軍配が上がってしまう。
「凄く大きいですが、これは普通のナメクジなんですか?」
「うん。魔力がないからね。魔獣じゃないよ。ダンジョン固有種かも」
「湿度が高いから、ナメクジも居るんですね。そういえば、ナメクジって何を食べるんでしょうか?」
「この模様や形からして、チャコウラナメクジの近縁種または亜種だと思うから……植物の葉や新芽、花や実なんかは勿論、腐った植物や虫の死骸、他の生き物の排泄物なんかも食べるんじゃないかな? ただ、ダンジョン内にはスカベンジャーであるスライムが沢山居るって話だから、ここのナメクジは主に、新鮮な植物を食べているのかもね」
「ナメクジって、なんでも食べる生き物なんですね。知りませんでした」
ここでふと気になることが。
この間、バルでカタツムリのガーリック炒め食べたけど、カタツムリとナメクジ、見た目が似てるが、このナメクジもガーリック炒めにして食べたりするのかな?
「ナメクジはガーリック炒めにして食べられるんでしょうか?」
「食べても問題はないけど、単純に美味しくないんじゃないかな? バルで食べたカタツムリのガーリック炒め、あれもダンジョン産らしいんだけど、多分あっちに居たよ。見に行ってみようか」
と、アルバンが手の上にでかいナメクジ乗せたまま、近くにあったブルーベリーの木の前まで移動。
ガサゴソ手を突っ込んでのち、枝にへばり付いていたカタツムリを発見して殻を持って捕獲。こっちはバルで見た時と同じように普通サイズである。殻がやや巻貝っぽくて、白とベージュのソフトな色合いである。
「ツェツィーリアの指摘通り、ナメクジとカタツムリは近い生き物ではあるんだけど、食用にされるカタツムリは品種が限られているんだ。これはリンゴマイマイ。名前の通り、リンゴとかバラ科の木の葉や花、果実を食べる。ただし、バラ科植物だけじゃなくって、フルーツ類全般って感じだね。柑橘も好きだから」
「エスカルゴって、贅沢なカタツムリだったんですね」
「そうそう。主にフルーツやフルーツの成る木を食べているから食用に適しているんだと思う。僕も他のカタツムリやナメクジを食べたことはないから分からないけど、腐ったものや他の生き物の排泄物なんかを食べるナメクジは美味しくないんじゃないかな? それに、排泄物を食べるって辺り、どう考えても衛生的ではないから、加熱調理したとしても、調理過程で安全性が著しく損なわれるだろうからやらないんじゃないかな?」
「下処理や搬入の時点でキッチンが汚染されてしまうんですね」
「そうそう。詳しくは料理人に聞かないと分からないけどね。ただ、うん……ツェツィーリアに確認しておきたいんだけど……ダンジョンの奥地で、そろそろ食べるものが何もない、ってなった時に、ナメクジみたいなものを油で炒めてトライするか、それともナメクジみたいなものは避けて例のジャーキーを消費するか、どっちを選ぶ?」
「ナメクジ、ないしはそれに相当する、一般的には食材として認識されない外見の生き物を糧食にするかという問題ですね?」
「うん」
難しい問題である。
生きるか死ぬかの所でなら、最終的には火を通して食べられるものなら何でも、ということになるわけだが、その一歩前の段階でどうするかという話である。
ナメクジ、美味しくないし衛生的でないならこれは、まず携行した食料を消費してから最終手段として考慮するという考え方が一般的ではあるものの、この場合……一番最後に回すべき食糧としてはドラゴンジャーキーである、とくれば……。
「ナメクジを食べて、例のジャーキーを温存するのが良いと思います。肉にも効果があるかは不明ですが、血液には回復効果がありますし、もしナメクジを食べて具合が悪くなっても、ジャーキーによってある程度までは解毒または回復効果が期待出来るかと」
「僕もそれが最適解だと思う。でも……やっぱりナメクジを、って抵抗があるだろうから、どうかなって思って」
「調理ということなら挫けてしまいそうですが、単に生き残るために食べる、ということであれば、私は大丈夫だと思います。ただし、他の生き物を食べる、となったら同じ選択を取れるとな断言出来ません」
バルで食べたカタツムリ、もとい、エスカルゴのガーリック炒めは美味しかったし、普通にクセのない巻貝だと感じたので、ギリギリ調理後のナメクジならいけなくもない……ような気がしているが、虫は無理。
私の弱点は虫。
遠くから見たり、絵を見たり、話を聞いたりするのは平気でも、触ったりするのは無理。食べるのはもっと無理。
そればっかりは生きるか死ぬかの段階になったとしても、いけるかどうか怪しい。
と、いう旨を素直に自己申告。
こういうのは先に言っておいた方が良いのだ。
「分かった。そうだよね。ツェツィーリアは虫、嫌いなんだもんね。それで、追加の質問だけど、蛇や蛙はどう?」
「竜って、鱗がありますけど蛇の仲間ではないんですか?」
「物凄く広義だと蛇の仲間になる可能性はあるかも……? うん。ツェツィーリア、君ってなんていうか、やっぱり物凄く理性的だよね。それに合理的だ」
「そうでしょうか? アルバン様はなにか、無理なものとかありますか?」
「生きるか死ぬかなら、まあ、食べられるものならなんでもいくよ」
「ニーナはどうですか?」
「ナメクジは嫌だ。虫も嫌。蛇と蛙は……よく分からない。でも、そうなる前にもっと美味しい肉を狩るから、ツェツィーリアさまは何も心配しないで。絶対、普通に美味しく食べられる肉をニーナが狩ってくるから」
どうやらニーナは本気で嫌みたいで、かなり力強く肉を確保すると断言してくれた。
頼もしい。
とはいえ、本当の本当に、頑張ってもナメクジしかありません、みたいな状況になったら、餓死しないタイミングで強引にでも元気のある人の手によって口に何かしら詰め込まれることにはなる。命あっての物種。
うぅ、出来るなら、特に危険な目にも遭わず、飢えたりもせず、無事に帰ってきたい。
今はただそのことを祈るばかりである。




