【202】冒険者登録
「良い朝だね」
アルバンが晴れやかに微笑んでいる。
ベスティアの陽射しは強い。朝の光が、暖かいクリーム色をしている。乾燥した空気の中、室内で埃が微かに舞っていて、それがキラキラと輝いている。
アルバンの真っ白な髪も光っている。
顔の傷跡に塗った香油が馴染んで、艶めいていて、肉色をしたその部分が花で布を染めたかのようにさえ見える。微笑みの中に希望があって、それで、銀色の目の奥が柔らかく揺れている。楽しくって嬉しくってたまらない。
楽しいね、嬉しいね、幸せだね、が溢れて、部屋中に満ちている。
私も嬉しくなって「はい」と答えた。
一緒に行こうね、どこまでも行こうね、という、子供同士の約束みたいで、二人してクスクス笑いながら、冒険者の服に着替えた。
「胴当て、大丈夫? きつくない?」
「ええ。ピッタリです」
私の装備はカルキノスの外殻を加工したもの。人体の急所である胸やお腹を守るためのもので、職人が丹精込めて削り出してくれたもの。前と後ろのパーツが別れていて、肩と脇の下、それから腰に付いたベルトで調節する。カルキノスは青い殻なので、鎧だけが青い。ターコイズみたいな青。ズボンとシャツは黒曜ツルバミ染め。手袋とブーツもセット。インナーは首元まで詰まったものであり、伸縮性があって丈夫。なんでも、アラクネの糸を混紡しており、斬撃や摩擦に強いとのこと。
マントは二枚。市街地で今日も使っていた、単に日除けのためのものと、ダンジョン内で使うために持ってきた、火竜の翼膜を使ったもの。
魔力なしで最弱の私が本来手に入れてはいけないほどの品々だが、アルバン曰く「戦えない人こそ出来る限り良い装備で体を守るべき」とのことであり、確かに私は文句なしに弱いので、死なないためにもこの装備は必要だろう。
アルバンはしっかり武装している。私とお揃いのデザインのインナーとズボン。手甲と脛当ては火竜の骨を削り出したものである。白い骨の鎧としか見えないので、かなり詳しい人でもそれが火竜の骨で造られているとは分からないだろう。
火竜の骨はオリハルコン以外では傷さえ付かず、鉄よりも遥かに軽い。
白銀で強いからと慢心したりせず、出来る限り対策をして油断もしない。稀な人だと思う。
「本当はツェツィーリアの鎧も火竜の素材で作りたかったけど……。」
「仕方ないですよ。急な話でしたし。それに、重さ的にもカルキノスが限界でした」
ベスティア行きが決まったのは急な話で、私の防具に関しては完全に急拵え。
アルバンは一応、緊急事態発生時に備えてコッソリ職人抱え込んで前々から自分用の装備を火竜の骨で作らせていたらしい。そもそもアルバンは体そのものが特別頑丈だが、有事の際には辺境伯として、そしてドラゴンスレイヤーとして、戦場に赴くことになる。麾下の騎士や兵士たちの志気高揚のためにも火竜素材の鎧は必要。いわば緊急時に必須のフォーマルウェアなので、作るしかないのである。
職人はパーツごとに、フルプレートアーマー式のものを作ってくれていたそうなのだが、現時点で完成したのが手甲と脛当てだけだった。本来なら胴体パーツが最も優先度が高くはあるのだが……王太子殿下の結婚式関連の準備諸々やった時に、アルバンの体格の変化が顕著だったため、少しサイズを見直しててから作らせようということで遅れていたが故のこの状態だ。
無論、貴重な火竜の骨を預けられるような職人は滅多に居ないため、当然、アルバンが抱え込んだ職人には私の装備を作る余力などなく……急ピッチで手甲と脛当ての調整をするのが精一杯だったのだ。
加えて、私には筋力がないため、防具の素材は軽くて頑丈な魔獣素材一択となる。
アルバンやフリートホーフ北方騎士団が討伐した魔獣素材は山ほどあるが、色々と探してみて、強度が高く、かつ軽い素材として選んだのがカルキノスの外殻だった。
他にも候補となる素材は複数あったのだが、カルキノスの外殻であれば厚い殻を削り出して微調整するだけで済むため、加工が素早く、確実にベスティア出発までに間に合うとのことでこれに決まったのである。
これに加えて、私は以前、アルバンからプレゼントして貰った野外活動用のコンパスやスクロール入れなどと共に、背負いやすいリュックサック。中にはシャトレーヌから一部付け替えた薬瓶やメモ帳、携帯用のペンを繋いでいる。
アルバンはというと、鎧に加えて腰にはでっかいウエストポーチが三つと剣。背中には人さえ運べそうな程の大きな背負子。食料や研究に必要な道具一式、サバイバル用品などが満載であり、大きめの鍋もぶら下げている。
「もしツェツィーリアが疲れちゃったり、怪我をしちゃったら、僕が背負うからね」
「あっ、はい。私の運搬も考えての背負子だったんですね」
「うん。座れた方がツェツィーリアも楽かなって」
「ありがとうございます。助かります。私も、アルバン様やニーナにもしものことがあったら、すぐにエリクサーを使いますね」
「ありがとう。よろしくね。ツェツィーリア」
ダンジョンなんて、どう考えても大変なことしかないし、アルバンがどんなに強くて頭が良くても、二人して死にかける可能性も充分にあるから、お互いに命を預け合うことになる。
本当なら不安になるところだとは思うのだけれど、不安はない。
だって、私は既に一度、アルバンに命を預けている。
オーギュストとアマーリアの出産の時にもそうだった。
私は自然分娩ではあの二人を産めなかったし、助けがなければ死んでいただろう。けれど、アルバンはヴァンダという有能な産婆を探してきてくれたし、本人も、麻酔や手術や、エリクサーで助けてくれた。私の命をきちんと預かって、自分の持てる手段全てを使って助けてくれる人だと分かっているから、怖くない。
妊娠や出産と同じこと。大丈夫。私もう、一度やっているのだもの。
今度は私が何かあったら、アルバンやニーナや、他の方々を助けることになる。エリクサーを怪我人に間に合わせること。私にもそれなら出来るかも知れない。なるべく足手纏いにならないように動くこと。
冬のベルンシュタイン城砦で、教わったこと。火を起こせるようになった。先だっての冬には乳母やメイドに教わって、食べ物に火を通せるようになった。煮るのが一番簡単で失敗しにくいから、それだけとりあえず、出来るようにはなったから、少しでも他の人の役に立ちたい。
「ツェツィーリアさま、おはようございます」
「ニーナ」
二人して準備が済んだ頃合いで、ニーナがドアをノックした。
ニーナも準備は万端で、訓練中に愛用している革鎧に加えて、私やアルバンとお揃いのインナーとズボン。鎧は胴体部分と手甲だけで、足元はサイハイブーツ。ダンジョンでは屈んだりして膝を着いたりする場面が多いだろうから、という理由だ。
ミトンも革製の首輪を付けており、金属の丸いプレートを通している。薄い金属のプレートには、針を使って研究チームの拠点の住所を記しておいた。野生の魔獣と思われて他の冒険者に討伐されてしまうのを防ぐため、視認性の良い黄色い首輪である。
ニーナも私のものと似た形の、けれど私よりずっと大きなリュック。中身は見た目以上に重たい。理由としては、生存に必要な岩塩、それをニーナには多めに持って貰っているからだ。
無論、誰かの荷物が失われるリスクも考えて、複数の品目はそれぞれの荷物に分散させてはいるが、比率はそれぞれの体力などに合わせて変えている。
ニーナは岩塩始め食料品の比率が高く、私はエリクサー始め、怪我をした時のための薬やらガーゼやらが多めとなっている。
理由としては、私には戦闘技能もなく、魔力すらないため、他の人たちは私を守らざるを得ない。どちらにしろ周囲の人々が私を守らねばならないのであれば、私にエリクサーなどの物資を集中させた方が合理的である、という考え方からだ。
「ツェツィーリアがエリクサーを持っていると仲間内で共有しておけば、魔獣に襲われた時、どんな状況下でもまず否応なしにツェツィーリアが最優先で守られる状況が出来上がる。少なくとも魔獣との戦闘が終わるその瞬間までは、裏切られることもない」
「ええ。鞄を引ったくられる可能性はありますが、余程の混戦状態に陥らない限り、ニーナが居たら問題ないと思います」
装備を整えた状態で、階下へ。
同行する研究者の方々や測量士の方々の準備が整っているか、装備や物資の備えが充分かを護衛の騎士たちが一人ずつチェックしている。
その待ち時間の間に、薄い生地のパンに鶏肉のトマト煮込みを挟んだサンドイッチで朝食を済ませる。これから運動するため、私は軽めにしておく。
しかし、ニーナは満腹状態で激しく動くのにも慣れているため、大きめのサンドイッチを次から次へと、たっぷり四個も食べている。
私は何とか我慢した。
「ツェツィーリア、全員、準備が出来たみたいだ。出発しよう」
「はい」
立ち上がって、フードを被って並んで出発。私はアルバンの隣を歩く。
白い街並みの道を大勢でゾロゾロ歩いていると、まだ朝とはいえ、周囲から注目されてしまう。
他の方々は、私やアルバンが髪の色で目立たないようにと気を遣って、自主的にフードを被ってくれている。良い人たちだ。
コルミニョの冒険者ギルドはダンジョンの入り口すぐ近くに構えられている。大きく立派な木造建築で、一人ずつ順番に、冒険者登録証を渡して貰う。
「よぉ、無事に準備は出来たみてぇだな」
「何とか形にはしたつもりだけど、奥地に進むようならヒメナにまた相談するよ」
アルバンはカウンターの横で、ギルドマスターのウーゴさんと談笑しつつ、全員にきちんと冒険者登録証が行き渡るのを待っている。
冒険者登録証は首から提げる形の木の札。ランクに応じて星のマークが付く。
A級冒険者なら大きな星がひとつ。E級なら小さな星が五つ。E級からD級までは星のマークも単に木を彫っただけのものだが、C級からは細工物となり、星型に繰り抜いたものに、魔獣や鉱石の素材を同じ形にピッタリ嵌め込んで作ったものであり、専門分野によって色が変わる。
例えば、魔獣討伐や護衛など、受ける仕事が多岐に渡る人。大抵のA級冒険者はこれに該当するが、その場合は白い星。ヒメナさんのように採取専門なら緑の星、といったように。他にも赤や青、黄色などバリエーションはあるそうで、何を得意とする冒険者なのか見ればすぐ分かるようになっている。
私や、他の研究者や測量士の方々は全員最下級のE級。
ダンジョンへの立ち入りに関しては冒険者でなくとも構わないし、違法性はないものの、もしダンジョン内で他の冒険者とトラブルになった場合、こちらも冒険者として登録しておけば、ギルドが間に入って仲裁してくれるので、登録しておく方が良いのだ。
「けどなぁ、本当にC級スタートで良かったのか?」
「討伐記録だけなら山ほどあるけど、ダンジョンで討伐した訳じゃない。不相応だよ。E級から始めても良かったぐらいだ」
「そっちの護衛はB級なのにか?」
「僕は大抵、魔法で片を付ける。広い場所で強い魔法が前提。ただし、コレは違う。魔力はそこそこ。主に身体能力と技術頼み。狭いとこでも戦える。まだ子供だから、体も小さいし、僕より役に立つよ」
「そのガタイで剣が使えねぇのか」
「一応学んだけど、自慢できる程じゃないね。向いてはいないかな」
アルバンのこの証言、嘘でも何でもないのだけれど、あのハインリヒさんに教わったという時点で半端な騎士より剣も使えるし、絶対に傷を負わないように防戦メインで教わっているから技量が充分ある。おまけに、竜の血を浴びたおかげで体が頑丈で力が強いから、ただのパンチで大半の生き物を仕留められるだろう。
弱点らしい弱点が「風邪を引く」とか「感染症になる」とか「家族が心配な余りに体調を崩す」ぐらいしかないので、本来、火竜の骨の手甲を防具ではなく打撃武器として使った方が圧倒的に強いだろう。
なんならアルバン、素手で鉄のぶっとい鎖とか手枷を簡単にぶっちぎれるので、素手の方が強いのではないか疑惑がある。
なのに、いつも私に触る時とか凄く優しいソフトタッチだし、子供達のお世話をする時なんかも大きな手でそっと丁寧にチマチマオムツ替えているあたり、大変器用だし優しい。常日頃から優しいあたり本当になんというか、素敵過ぎる。好き。
「おっ、来てんな」
「ヒメナさん、おはようございます」
そうこうしていたら、ヒメナさんが合流。
水を弾く仕様と思われる、ダークグレーの短めマントを羽織っており、ダガーを何本も吊ったベルトが二本。それに加えて、腰にはやや大振りのマチェット。更に、チラ見えするのは背中に背負った謎の物体。
なんだろあれ?
よくよく見てみると、なんか、矢筒っぽいものも持ってるな?
もしかして弓?
見たことないタイプの弓だな?
「ヒメナさんは、弓を使われるのですか?」
「ん? ああ。たまにな」
「細長くて四角くて小さい、その、背中のものが弓なのでしょうか?」
「おう。折り畳みのリカーブボウだ。主に、こっちの矢に、ロープ結び付けて使うもんだな」
ヒメナさんが、背負っていた黒い、細長くてかなりコンパクトな棒をサッと取り出してくれる。ガシャン、なんて音がして、折り畳まれていた両端が広がって、弓の形になる。
「では、難所の移動用に使うロープを飛ばして固定する専用の弓なのですね。威力はどのくらいですか?」
「あー、木なら確実にいけるな。あとは、火山岩ならなんとか」
「戦闘にも使うのでしょうか?」
「超大型の魔獣を相手にする時、背中に乗り上げるために使うことはあるな」
「そうなのですね。ヒメナさんは余り、そういった用途では使わないのですか?」
「人相手の護身用としてなら使ったりすることはあるケド……アンタ、貴族の奥方なのにミョーに詳しいな?」
「うちの奥さんは戦術マニア。武器なんかも好きだし知識もあるからね。バリスタの射程範囲と射角を計算して、火竜討伐が出来るかどうか試算したりするぐらいなんだ」
「へぇ……クライノート貴族って真面目なんだな」
「ツェツィは特別。真面目で賢いんだ。ていうかさ、トラブルの素になるから身分のことあんまり人の居る場所で言わないでよ。ツェツィが人質に取られたらどうするの」
「あ〜、攫うの簡単そうだしな。でも、貴族だっていうのは隠すな」
「なんで?」
「ツラが良過ぎる。庶民だと思われたらあっという間にこんなんマワされて売られて二度と会えねぇぞ。金持ちだったら身代金取れるから帰っては来れるけど……こんなツラだと、どっちみちボロ雑巾になるまでヤられんだろうな」
「詳しい説明ありがとう。でもさ、ヒメナ、教えてくれて助かるは助かるんだけど、うちの清純な奥さんにそういう汚い言葉聞かせないでくれる?」
「はぁ? ダンジョン内じゃ他のバカどもがもっと碌でもないこと喋ってんだぞ? 慣れろ」
「ええと、文脈的に判断するに、攫われたら集団レイプの被害に遭って、その上殺されたり売り飛ばされたりする、という認識で会っていますか?」
「合ってる。なんだ、奥さんの方は前向きじゃねーか」
うんうん、と腕組みしたヒメナさんが頷いてくれるものの、内心ではヒエエ怖い勘弁してください。とか思っている。
物騒。
えっ、女の人や子供が攫われるのは日常茶飯事なんですか?
なんですよね。
き、気を付けよう。
ニーナやアルバンやミトンから離れず、ピッタリくっついていようっと!
「……知らなかったけど、ダンジョンって人攫いも多いの?」
「ああ、そうなんだ。最近増えたな。若い女とか、ガキが消えてる。どう考えても魔獣の討伐や採取じゃない、完全に人を調達するのが目的で紛れ込んでる奴らが居る。ギルドでも問題にはなってて、実力のある奴らにそれとなく警戒を頼んじゃいるんだが……中々尻尾が掴めねぇんだ」
ウーゴさんも頭を悩ませている案件だったらしい。
他の信頼できる、実力のある冒険者たちも仕事のついでに注意はしてくれているらしいのだが、ダンジョンの内部はかなり複雑になっているため、恐らく人攫いの集団は独自に自分たちだけの隠れ家を作っているから足が付かないのではないかという話であった。
「人攫いにしたって、A級B級の奴らと見りゃ、大人しくするに決まってんだろ。アタシの予測じゃ、C級の奴らが副業感覚でやってるな。ありゃ。だから、お前らもダンジョン入ったら、C級の奴が近付いてきたら警戒しろ」
「A級とB級の方は大丈夫なんですか?」
「A級B級になると、アタシが居るパーティーに声掛けてくるなんてのは緊急時だけ。生き死にの場面で裏切る奴は居ねぇだろ。依頼が被る可能性もあるし、そういう時でなけりゃお互い、声も掛けねぇよ」
「なるほど。では、やはり、特に用もないのに近付いてくる時点でおかしいんですね?」
「そうだ。特にアンタは弱いから、距離取れ。距離。そっちの護衛を間に挟め」
「了解しました。ニーナ、よろしくお願いします」
「ああ。任せろ。ミトンと二人でツェツィさまを守る」
アルバンもニーナもヒメナさんも強いが、私は弱い上に鈍臭い。つまり、他のみんなが忙しい時に、私が油断してフラフラしてたら、間違いなく攫われる。
拉致とか無理。怖すぎ。
気を付けよう。
「じゃあ、行こうか」
横一文字に「ミッ」と唇を引き結んだ私の肩を抱いて、アルバンが優しく声を掛ける。
緊張してしまったが、アルバンが落ち着いているのでちょっと安心。
ゆっくり歩いて、ダンジョンの入り口へ。
それは大きな洞窟だった。
高さ、幅、共に10メートルほどの洞窟の入り口が、太く頑丈な丸太を組んで補強されている。
想像していたよりもずっとしっかり整備されている。地面に関しても、隅に苔やシダが生えてはいるが、しっかり削られていて、途中まで荷馬車も進める程だ。
私たちはダンジョン内部の地図作成や魔獣、魔植物、その他のダンジョン固有の動植物の調査が目的なので、荷物が多い。なので、小さめの荷車とロバ使って、主にサンプル採集のための瓶とか保存容器とか、測量のための道具類を乗せて運ぶ。
「ロバは小さいのに……知らない人間に囲まれていても、おとなしく重たい荷物を運んでくれて、偉いですね」
「ああ。馬はかっこいいけど、ロバは可愛い」
私もニーナも、ロバが可愛くて仕方ない。
馬よりちっちゃくて、たてがみ黒くって体がグレー。あとなんか、馬よりフォルムが丸っこくてプリティ。
私はこれまでロバに縁がなかったのだが、たまたま今回この調査のためにレンタルしたロバがやたら可愛かったので、移動中も特に意味もなくロバを撫でたりしてしまう。
「こら。働いているロバにちょっかい出しちゃダメだよ」
「ごめんなさい。つい、可愛くって」
「可愛くても、体が大きくて、人間よりも強い生き物なんだから、必要もないのにベタベタするのは危険だよ。その気になったら、人間の指なんて簡単に食いちぎれるんだからね」
「えっ、そうなんですか……知りませんでした。以後気をつけます」
「うん……ちなみに、馬でもそうだからね? 牛は前歯がないからまだ安全といえば安全だけど、自分より大きな生き物には迂闊に手を伸ばさないようにしようね?」
家畜、案外強いし、割と危険。
そうだよな。おとなしく良い子で人間の言う事聞いてくれるからつい油断してしまうが、全く違う生き物なんだし、多分だけど、蹴られたり踏まれたら死ぬ。
なんで人間の言う事聞いて働いてくれるのかが謎。でもとりあえず、なんかある程度まで懐くから協力して貰っている存在。そのぐらいの認識の方が良いのかも知れない。
「ロバに指持ってかれる奴はよっぽどの間抜けだろ……過保護にも程がねーか?」
ヒメナさんが呆れ顔を晒している。
うん、恐らくその感覚もまた間違ってはいない。
いないのだけれど、やっちまいそうなマヌケが私であるというのもまた事実なので、アルバンの忠告は正しい。
「ヒメナさん、私……ボート遊びの時に、うっかり池に頭から落ちたことがあるタイプの人間なので……ロバに負けるのはあり得ると思います」
ブッ! とヒメナさんが物凄い勢いで顔を逸らして爆笑している。無言で。肩を震わせて。
恥ずかしい。
が、私がどういう人間であるか知って貰った方がダンジョン内では良さそうなので、端的に人生の鈍臭エピソードをかますのは間違いではないと思う。
「な、なんで、落ちたんだよ……?」
「池に、蓮の花が咲いていて……一輪、折って持ち帰ろうと思って、手を伸ばしたら、こう……ツルッと。ツルッといってしまいました。頭から落ちました」
とうとうヒメナさんが「ブハァ!」と隠すことすらままならず噴き出している。
自分でやったこととはいえ、私の目が死んだ。鏡を見なくてもわかる。
そりゃあ、A級冒険者としてバリバリ活躍しているヒメナさんのような俊敏な人々からすれば、ボート遊びで花取ろうとして池に落ちるなんてことは爆笑ものでしかないだろう。
「ああ、もしかして、別荘の横にある、あの池?」
「はい」
「えっ、あそこ、結構深そうだったけど……大丈夫だったの?」
「たまたま、近くの農夫が……一部始終全てを見ていたので、近隣住民の皆さんが総出で助けてくれましたね」
とうとうヒメナさん、堂々と爆笑。
あの時は、さしもの私も本当に情けなく、そして申し訳なかった。だが、それよりも先に物凄くこう、羞恥心が凄かった。
「怪我とかしなかった?」
「はい。近隣住民の方々がすぐ助けてくれましたし、びしょ濡れになって頭にカエルを乗せることになったぐらいですね」
「まあ、あの土地柄なら……君のことは何が何でも助けてくれるだろうとは思うけど、大事件だったんじゃない?」
「いいえ。むしろ……無事だと分かった途端に、皆さん大盛り上がりでしたね。喜んでいました」
「なんで?」
「私のお父さまもおじいさまもあの池に落ちたそうなので」
あっ、ヒメナさんが咽せた!
アルバンは微妙に引いている。言葉を失っているなこれは。おもろげな意味で恐れ慄いているというのが伝わってくるぜ。
「えっと……グリンマー家の伝統なの?」
「違います」
やや躊躇いつつも、事前情報の不足であり、そういう領地特有の何らかお祭りの一環なのだろうかと訝しんだらしきアルバンが、珍しくボケをかましている。
これがトドメとなったのか、ヒメナさんが死んだ。
もうまともに動けないらしく、ぼす! とロバの引く荷車にダイブして、小刻みに震えつつ、ゲホゲホと咳き込んでいる。
「大丈夫だ、ツェツィさま。ツェツィさまのことは、ニーナが抱き上げて水の上を運ぶから、溺れたりしない」
「ありがとうございます、ニーナ」
私のダメさ、とろさ、マヌケさをものともせず、誠実で有能な騎士であるニーナが慈愛に満ちた眼差しでそうフォローしてくれるが、逆に居た堪れない。いっそ、ヒメナさんのように爆笑してくれた方がまだマシである。
しかし、真面目な良い子のニーナにそんな因縁は付けられないので、私は黙ってアルバンに八つ当たり。
脇腹のところを服の上から軽くつねるなどしてみるが、まさかそんなことされるとは思っていなかったアルバンが「あっ……!」なんて微妙にセクシーな声を出している。
くっ、特別頑丈な英雄仕様だから、万力のような力を込めてつねったのだが、擽ったい程度にしかならぬらしい。
力入れすぎて私の指が馬鹿になってしまった。
馬鹿は私である。救いようがない。
「く、擽ったいよツェツィ」
「なんでちょっと嬉しそうなんですか」
「怒って拗ねてるの珍しいから、新しい一面が見られたのが嬉しくって」
「やっぱどうかしてんだよなこの人」
つい油断して素が出てしまったが、アルバンはやっぱり照れ照れしているし、ニーナはそんな私の口調の荒さをスルーしてくれている。
聞いてしまったヒメナさんはくっくっく、と笑って顔を上げて「お前ら、思ったよりダンジョン向きかもな」と言った。
これは……正直、ちょっとだけ嬉しい。どこがどうダンジョン向きなのか分からなかったけど。




