第三百三話 VS新納魁世Ⅰ
保衛部長ラウレアーナ・ビュワルツェンを魁世の皇后に推挙する。明可がラウラを魁世救出に参加させるために提示した報酬は、彼が瞬発的に思いつけたラウラへの最大の見返りだった。
「わかりました。お願いしますね?」
そうラウラは明可の見返りの提示と参戦要請に、に《・》こやかに応じた。
元から単身でカイザー・カイセ陛下をお救い奉るつもりでいた。これはラウラにとって当たり前のことであり、報酬など関係ない。なにがなんでも陛下を、神の揺籃たる御方を取り戻す。世俗に染まった教会と信仰を捨てた筈の自分に、真に信じる心とその対象として現れた方、有史以来の大事業を成さんとする大人物で、自分を求めてくれる。それが彼女にとってのカイザー・カイセであった。
そうして単身突撃で準備をしていると、明可の方からやってきて勝手に報酬まで示してきた。ラウラとしては内心笑いが止まらない。
大皇カイセには未だつがいの女がおらず、現在その候補はイジュウイン宰相代理を始め、恐らく政治志向の似通っているハイドリヒ総裁、陛下の最側近である補佐官フィーリア。恐らくもっといるだろうが、少なくともラウラはこの競争で三番手未満なのは確かだった。それが明可の後ろ盾を得たのである。むこうから勝手に有難がってくれるのなら、それを十二分に利用する。
イジュウインらに対し、軍部の協力を得られているのは自分だけ。あとはカイザー陛下をお救いし、あとでゆっくりと式と新居はどうするか決めていけばいい。
「陛下、なのですか……そこにいらっしゃるのは私の知る陛下なのですか⁈」
ウォーテルローに出現した漆黒円蓋の内部、外に反して白色の広大なフィールド。ラウラが明可ら十一人で侵入した時、その中央には魁世と酷似した、円環の瞳をもつ人物が立っていて、挨拶もなく爆発をお見舞いしてきた。
ラウラには咄嗟に反応できなかった。頭の処理と理解が追いつていなかったからで、明可の総員散開でようやく体が動いた。
粉塵舞う中、明可は中央の攻撃してきた人物へ目をこらしながら断言する。
「あれは我々の知らない、どこか別の魁世だ」
「どうして断言できますっ!なにか精神を操られてしまっているのかもしれません」
中央の人物へ槍を正眼に構える直からも失笑が漏れる。
「馬鹿かお前。俺達の知る魁世がこんな大人数をたった一人、不利な状況で戦おうとするか?戦いをまず有利な状態にしてから始めるのが魁世という男。ここに奴は独り、これなら俺達でめった刺しにして終わりだ。それにあの長い髪、ふざけた服装、首にぶらさげた頭蓋骨の数珠、仮装大会じゃないんだ、あれは魁世じゃ無い」
直のいる場所から遠くの方、短刀を手で回すのは藍。
「あっそう、じゃあ、もうとっくに魁世の有利な状況だったら?」
「……八田、言いたい事があるならもっと大きな声にしろ」
直は、元の世界で学園祭のクラスの催し物を決める際に八田藍と平群、桑名の三人がふざけた意見を出してきて苛立ったことを今更になって思い出す。こういう含みのある言い方をしてくる八田藍が嫌いだった。
あの時に魁世の野郎は俺ではなく藍の肩をもちやがった。おかげで学園祭の準備で部活には行けなくなる上、学園祭前夜には学校に泊まるはめになった……なにがお化け屋敷とメイド喫茶と謎解き迷路を合体させよう、だ。俺を“ぬりかべ”にしたこと、今でも恨んでいるぞ、魁世、貴様には晴らしていない恨みが沢山ある
どこにいやがる。ここで殺したくらいで恨みは帳消しにさせるか
「あそこに立ってる魁世は私達を片手で斃せるんじゃないかってコト。とっくに勝てる算段がついてて、後は全員殺すだけ」
再び中央の人物から閃光が走った。今度は一本ではなく三十にも分かれた殺人光線が救出部隊を襲う。
次いで中央の人物は背面から黒鉄色の触手、巨木のような太さから蛇のように細く鋭いものまで、先端は名剣のように鋭いそれを二十本以上も伸ばす。それはドーム全体を覆わんと生えてきて見た目通りの凶悪さを振り撒いた。彼の腰に佩いた大剣は未だ抜かれていない。
「それじゃ、魁世の命は私が貰うから」
藍は中央へと走る。直は声を荒げた。
「おいッ俺の獲物だ‼」
奔り出した直と藍を見て、明可は他の者達を一瞥した。
「直と八田、新田は中央の人物……アナザー魁世に直接攻撃!俺と師匠、琥太郎と浪岡、ビュワルツェンはあの触手に攻撃。奴の意識を分散させ、直たちを援護する。興壱は遠距離から攻撃」
聞こえているか確認する暇もなく、明可は俊敏に迫ってきた黒鉄の触手に対し、魁世から下賜された太刀を構えた。
黒鉄の触手を弾き、逆に斬りつけようと太刀を振り上げる。魁世が攻撃してくる、この異常事態に明可はどこか高揚を覚えてしまっていた。
オグマ・ラグナとの勝負、魁世の手札に邪魔された。きっと溜まっていたんだろう。ならば
「良いさ、ここで発散できる。悪いな、魁世」
…
大皇消失、漆黒円蓋の出現。これ以降、補佐官フィーリアと保衛部長ラウラは諸将や兵たちの前に姿を見せず、何をしていたのか。
「お久しぶりね。補佐官」
「宰相代理……」
魁世から雨雪たち文官連の防衛を一任されている琥太郎が此処に移動するとなって、防衛対象の雨雪たちもウォーテルローに着いた。
誰かを連れることもなく雨雪はふらりと大幕営で一番大きな天幕を持つ、魁世の執務室兼私室に足を踏み入れた。もっとも、入口の幕を上げればすぐに机や寝台の位置が知れる広さで、仰々しいものは無い。
これまで魁世の方から雨雪に会いに来るのが殆どで、彼の執務部屋で二人で話すことも、内装をまじまじと見ることも無かった。
執務室をざっと見渡した雨雪には少し不思議だった。魁世の部屋にしては小綺麗すぎる、彼は綺麗好きだったが、掃除好きではない。綺麗なものを傍に置くが、それをどこまでも自分にとって良く見える場所にしか置かない、他人の目なんて気にも留めない。
元の世界の高校時代から、面倒な書類は纏めて一つの戸棚に押し込んでしまうし、どうみても安物の置物を修学旅行の思い出だとか誰かと出会ったきっかけだからと趣もなく机に自分だけが見える向きで横一列で並べるひとだった。元の世界ではよく自室に来ていた雨雪は覚えている。
それがこうも来客も想定して完璧に整理整頓されている。それが今、淡々と机の書類を整理、処分していた補佐官の手腕によるものだと雨雪には理解できた。
「なんのご用でしょう」
突然の来訪者によって書類の整理を邪魔されて不快なのか、どこか言葉に棘がある。
いいや違った。フィーリアはもっと別の大きな事に心を乱され、まともに作業もできていない。よく見てみれば手に持つ書類を何度も縦横を揃えてから横にずらし、再び手にとって縦横を揃えることを繰り返していた。
「真面目なのね。けど、そんなに不安なの」
手元を一瞥してきた雨雪に、フィーリアはやや食い気味に応じた。
「私は陛下が必ず戻ってくると信じています」
「その割には作業が進んでいないようだけれど」
瞬時に自己の現状を言い当てられたフィーリアは、銀縁の片眼鏡を床に逸らした。
どこか睥睨して言い当てた構図になってしまい、雨雪は自分を恥じる。べつに気を悪くさせる気はなかった。
「嫌な言い方をして悪かったわ。貴方のような優秀な補佐役がいるから、あのひとは自由にできているのに」
「小職は宰相代理ほど優秀ではありません。宰相代理も小職の巷での呼び名をご存知でしょう」
小イジュウイン。フィーリアはその事務処理能力を文官を率いる大官吏の一回り下という形で評されていた。
それを雨雪は好ましくは思っていなかった。自分より小の存在と定義されたフィーリアの心持ちはどうなるのか、勝手に自分より下に見られている人がいることを嬉しいとはとても思えない。その上、自分は二つ名さえ怖がってつけられていないという状況も、どこまでも周囲とは壁のある感覚が嫌だった。
補佐官という役職、特にフィーリアの仕事はなにも魁世のお茶くみだけが仕事ではない。大幕営の事務方トップとして毎日うんざりするほど訪れる謁見者の整理や大皇カイセの日々のスケジュール管理、大皇カイセの軍事や政治における助言や時には諫言も行う。他にも諜報機関である八機関への指示といった表に出ない役割もある。魁世が直接指示することもあるが、基本は魁世の言葉はフィーリアによって補足修正されて各部署に伝達され、まさに最高権力者たる大皇を輔弼する役目を受けていた。
こんなにも重責を背負い、どこへでも行って何でも無茶をやる魁世に常時ついていく激務を問題なく務めている彼女フィーリアを、自分雨雪よりも過少に評価されていることを雨雪は好ましいとはできない。彼女はこんなにも優秀なのに。だからといってどうするわけでも無かったが。
いちいち風聞や噂を気にするのは馬鹿馬鹿しい。他人は他人なのだから。雨雪はそう考えている。
「あのひと……カイザー・カイセは帰ってくるわ」
「嫌味たらしい言い方で申し訳ありませんが、小職は宰相代理と違って陛下との時が浅く、確かな根拠もなく安心できるほど共に過ごした年月は流れておりませんので」
だから宰相代理ほど平静でもいられない。御盟友と呼ばれる者達ほどカイザーと時を刻められない、そしてこれからどんなに日々が過ぎようともその差は埋まることはない
特別な存在は、別の存在が増えれば増えるほどにその格別さが際立っていく。
「小職は、陛下がなくては何の意味もありません。こうして書類を触りながら待つことしかできませんし、小職には陛下しかございませんが陛下には沢山の方がおいでです」
とめどなく言葉が溢れつづけて、それに気づいたフィーリアは口を噤む。
どうしてこんなに喋ったのか。似た波長を感じ取ってしまったからか。
「そうね。立場上は私も、貴女も待つしかない。人には向き不向き、責務と長所があるもの。けれど、あのひとにとっても貴女という存在はひとりだけ。これからどんな人が現れても、フィーリアさん貴女は魁世にはたったひとり」
魁世には特別な存在がいても、それが単数ではなく複数いることはなんらおかしい話ではなかった。この件で雨雪にはとっくに納得がついていて、自分も自分しか得られないものを魁世から貰ったのだから。
「すくなくとも私には貴女ほどここまで整理整頓はできないわ。あのひと、ものを増やして碌に管理もしないのに、捨てるのは躊躇うでしょう?」
「はい。よくわかります」
魁世の話題になってフィーリアは即答してきた。
「小職が少しでも目を離すと途端に執務室を散らかしますし、誰かから貰った甘味をあろうことか重要な書類の上で食べだします。口についた焼き菓子の欠片を手拭いで小職が拭いてさしあげると、陛下は子供のような笑みをされるのです」
ここには居ないカイザー・カイセに呆れたような口調だったが、先ほどまで硬い表情で唇を土色に悪くしていたのを、ほんの少し顔色に暖色が戻ってくる。
どこか共通項が見つかりだしたので、雨雪は本題を切り出した。
「フィーリアさん、そこで提案なのだけれど。聞いてくれるかしら」
「小職に適うことでしたら」
「簡単な話よ。魁世を、カイザー・カイセを私達で攻略、陥落させるの。いつも待ってばかりは癪でしょう?」
宰相代理の黒曜に輝く瞳と、補佐官の片眼鏡が妖しく光る。漆黒円蓋とは別局面でまた新たな闘争が。大皇国の未来を決める戦いが始まる。
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