【第28話】『 believe. 』
64.花束の約束【第1章】- The Twilight World -〈第28話〉『 believe. 』
私の目の前にユラユラと揺れる魔法使いのローブが見えた。
その後ろ姿はとても小さくとても傷だらけに見えた。しかし、その彼の姿はまるでかつて先代である父を彷彿とさせる程の威厳を感じさせた。
「今だ!!!!!!!!」
その声と共にあたりに隠れていた兵士達が一斉に瓶に入ったポーションを竜の傷口目掛けて投げつけた。木々や草の中、王宮の屋根、城壁、そこら一体に忍び、時を待ち構えていたとされる兵士達が、その彼の一言によって動きを見せた。
投げつけられたポーションは、狙い通り傷口に当たり、竜はその場で痛みを露にしながら悶え苦しみ、耳を覆いたくなる程の断末魔を上げた。
そして、先ほどまでとは打って変わり、体の傷を癒す為に羽を広げてその身を覆っている。
「遅くなってごめん。助けに来たよ。」
私の目の前に、一人の男性が立っていた。
その声は、まるで暗闇の中を『こっちだよ!』と照らし導くかのように、澄んだハイトーンの声で聞こえて来たんだ。
鼓膜を破るような竜の唸り声も、身を焼くような炎の熱さも、私を責め立てる絶望のノイズすらも、その声を聞いた瞬間に嘘のように凪いでいった。世界中の全てが私を否定する中で、そのハイトーンの声だけが、私を許すように真っ直ぐに胸の奥へと届いたのだ。
「あ…………あなた…………は……」
彼は紛れもなくアデンだった。
アデンはまっすぐに竜を睨みつけて、私を庇うように少し手を広げていた。
「アルフ、彼女をお願い。」
「承知した。さぁ、姫様、おれ達と共に‥‥!」
一人の兵士が近づいて私の腕を肩に回す。
しかし、私はアデンのその姿から目が離せずに居た。まるでその姿は、絵本に出てくる勇者のように見えた。
「どうして………………あなたが…………。」
「理由は後。さぁ、立って。」
「どうして…………。私はあなたを幽閉した……のに。」
掠れた声が、喉を伝って溢れる。
彼は一切の迷いがない、澄み切ったダイヤモンドのような瞳で私の方を振り向き、静かに口を開いた。
「約束したでしょ。僕らは友達だから。」
燃え盛る業火の熱風が、二人の間を吹き抜けていく。しかし、彼の周囲だけはまるで別の世界に切り取られたかのように、不思議なほどの静寂に包まれていた。
「私のせいで、みんな死んだの。私が死ねば、私さえいなければ‥‥‥こんな‥‥‥。」
私の目から涙が零れ落ちた。気がつけば、王としての仮面は綺麗さっぱり無くなっていた。ただの弱くて、泣き虫で、誰かに助けてほしかった一人の哀れな少女が、そこには居た。
「‥‥‥‥分かるよ、マーフ。分かるんだ。」
小さく、私に聞こえないくらいの声で、彼はそう言った。
彼は自分が着ていたローブをバサッと振り向いて私に着せた。
その瞬間、氷のように冷え切っていた私の身体が、ふわりとした確かな温もりに包まれた。
鼻を突く焦げた肉と血の臭いの中で、そのローブから微かに香る日向のような匂いが、狂いそうだった私の呼吸を少しずつ現実に引き戻していく。
そして、彼は私と目を合わせて言った。
「…………けどね、守れなかった思いも、救えなかった後悔も、君が不幸になる理由に使っちゃいけないよ。どれだけ君を殺したとしても、どれだけ自分を恨んでも、傷つけても、そんな事本当は誰も望んじゃいないんだ。」
彼の目はとても強かった。
それと同時に涙が出てしまうくらい優しい目をしていた。
まるで私のこれまでの人生を全て認めて、受け入れてくれるような安心感のある目。
「……私さえ……私さえいなければ…………お父さんも…………。」
「マーフ。」
彼は優しく私を抱きしめた。
「…………だめっ、触らないで……。私…………今は血だらけで……私が、みんなを殺したのよ…………。」
私は震える手で彼を突き飛ばそうとした。自分がひどく醜いバケモノに思えて、この温かさに触れる資格なんてないと思ったからだ。
しかし、悲しいほど私の腕に力は入らず、何より彼は、泥と血にまみれた私を嫌な顔一つせず、更に強く抱きしめ返してくれた。
「分かるよ。ずっと戦ってきたんでしょ。今日まで、ずっと一人で。」
冷たく硬い鎧越しではない、人間の温かく柔らかな鼓動。トクン、トクンと規則正しく鳴る彼の心音が私の耳に伝わり、それがどんな魔法よりも強く私の心を鎮めていく。
それと同時に、私はこれまでの不安と恐怖が滝のように溢れ出した。
「…………どうして………………。もう終わりなの。全部……私のせいで…………全部…………。」
「うん。」
「………………私……私は!!!」
「わかってる。大丈夫。」
「私……私私私……私は!!!」
「うん。」
「………………私には……何も…………。」
「うん。」
「…………ごめんなさい………………。」
「……分かるよ、分かるんだ。」
「…………。」
「恨めしいよね。世界がまるで綺麗事に見えてしまうよね。どんな言葉も、優しさも、全部ふざけんなって思っちゃうよね。」
彼の紡ぐ言葉は、痛いほど私の核心を突いているのに、どうしてか魔法のように優しかった。気がつけば、私の目から溢れ出した大粒の涙が、頬にこびりついていた泥を洗い流し、彼の肩を濡らしていた。
「……。」
「本当は誰かに許して欲しかったんだよね。助けて欲しかったんだよね。ごめんね。理解するのに時間がかかってしまった。」
彼は何も言わず、ただ震える私の背中を、赤子をあやすような優しいリズムで撫で続けてくれた。
「………………私、どうしたら?」
縋るように、求めるように彼に問いかけた。
彼は再び私の目を見て答えた。
believe. 信じる。
そして彼はその場で立ち上がり、言った。
太陽が彼を照らし、私の足元にあった影を日の光がゆっくりと消してゆく。
厚く垂れ込めていた鉛色の雲が割れ、そこから一筋の黄金色の光が天使の梯子となって舞い降りた。光の柱が私と彼を包み込み、足元にこびりついていた死の気配を、優しく、そして確実に溶かしていく。
「…………信じる……?」
私はそんな彼を下から見上げた。
すると天から降り注ぐ光が、宙を舞っていた不吉な黒い灰を反射して、まるで金色の雪のようにキラキラと輝きを見せる。
「何度躓いても、必ず立ちあがろう。僕らが生きている“今”は誰かが守り通した“今”なんだ。」
彼は私に手を伸ばしてそう言った。
よく見てみると、彼の手にはたくさんの深い傷跡があった。彼の首筋にはアザもある。何があったのかは分からないが、今ようやく見えた。この人の真っ暗な背景が。
彼もまた、私と同じように深い暗闇の中でもがき、絶望し、傷つきながら生きてきた人なんだと分かった。
だからこそ、その傷だらけの手から伝わる温もりが、私にとって嘘偽りのない本当の暖かさを感じたのだ。
「……あ、あぁ、ぁ……………………」
私は彼のその手のひらにゆっくりと手を伸ばした。
希望も無い。何も見えない暗闇から、その手はまっすぐに私の心まで伸びていた。
震える手を伸ばし彼の手を取った。そしてアルフと呼ばれる兵士に支えられながら立ち上がった。
「アルフ。」
「あぁ、後は任せたぞ、アデン!無茶すんなよ。」
「あぁ、君こそ、頼んだよ。」
「………………アデン…………何をする気なの??」
彼は口を噤んだ。
「……ダメ………………なにもしないで…………あなたまで殺されちゃう…………。」
私は感情のあまりギュッと彼の手を握る。
「どうせ無理よ。何をしたって…………もう…………。」
彼は少し困ったような顔をしながら、私にこう言った。
「大丈夫。考えがあるんだ。」
あぁ、そうだった。
この人と最初に会った日も、この不思議なくらい優しい目に絆されて、彼を乗せたんだった。
「約束する。必ずこの国を救ってみせる。」
「‥‥‥あなたは‥‥‥‥‥。」
彼は再び前を向いた。そしてアデンは竜に向かい、走った。
最後まで読んでいただき、
誠にありがとうございました。
今後とも、
この作品を完結まで描き続ける所存であります。
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