【第24話】『 無謀な戦い 』
61.花束の約束【第1章】- The Twilight World -〈第24話〉『 無謀な戦い 』
「……!!……様!!!姫様!!聞こえますか?!姫様!!!」
まるで遠くの方で誰かが私を呼ぶ声がする。
私は誰だ……?なぜだろうか。なにがあったのかすら思い出せない。
確かさっきまであの子と“かくれんぼ”して遊んでいたはずだけど…………。
分厚い水の中に沈んでいたような鈍い感覚が、徐々に薄れていく。
最初に肌を焼くような異常な熱気を拾い、次に、砂を噛んだようにザラついた舌の違和感が戻ってきた。塞がっていた耳の奥を空気が無理やり通り抜けるようにして、少しずつ世界の輪郭が鮮明になっていく。
ドゴォォォォンン!!!
遠くの方で爆発する音がする。
ここはどこだ……。私は一体なんでこんな所に……。
「左翼崩壊!!ガーテルの班は全滅です!!!」
「怯むな!!陣形を立て直せ!!あの化け物をここより先へは絶対に行かせるな!!」
「魔法が効かないぞ!?どうなってるんだ、クソッ!!」
「回復を……誰か、回復の班を!!俺の足が……っ!!」
悲鳴、怒号、そして硬いものが砕けるような嫌な音が、鼓膜を劈くように絶え間なく飛び交っている。
鉛のように重い瞼をゆっくりと押し上げる。
最初はモザイクがかかったようにぼやけていた景色が、チカチカと瞬きを繰り返すたびに、少しずつ残酷なほどハッキリとした色と形を帯びていった。
鼻を突くのは、むせ返るような血の鉄臭さと、肉が焦げる異臭。さっきまで私を包んでいた、あの甘くて優しい石鹸の匂いはどこにもない。
視界の端に映るのは、無残に砕け散った何十本もの剣と、ひしゃげた大盾の山。それらがどれほどの時間、この絶望的な死闘が繰り広げられてきたのかを無言で物語っていた。王宮の美しい石畳はすでに元の色を失い、仲間の命が溶け出した赤黒い血の池と化している。
「退くな!!姫様をお守りしろ!!命に代えてもだ!!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
すでに魔力切れで倒れ伏しながらも呪文を唱えようとする魔導士達。原型を留めていない仲間の亡骸を乗り越え、何度も何度も突撃を繰り返す聖騎士たち。
彼らの目は長時間の疲労と恐怖で赤く血走り、それでもなお狂気じみた闘志で、山のような巨体を持つ竜の足元へと群がっていた。
「…………私は……誰…………。」
「クソッ!!姫は重度の脳震盪だろう。俺が奥までお運びする。お前達はあの竜を頼む!!」
「了解!!!」
そう言って聖騎士達は剣を構えた。彼らは王国が誇る精鋭中の精鋭であり、決して死を恐れる臆病者ではなかった。
「怯むな!!脚の関節を狙え!!」
「…………うぉぉぉぉ!!!」
後方から放たれた魔導士たちの氷槍や炎弾が、牽制として竜の顔面へと殺到する。その目眩ましに合わせ、大盾を持った重装騎士たちが地響きを立てて突撃し、竜の前進を己の肉体ごと受け止めにかかった。
「聖騎士の皆さん!!今だ!!」
彼らが作ったその僅かな隙を突き、怒号と共に飛びかかった数十人の騎士達の剣が、一斉に黒竜の漆黒の鱗へと振り下ろされる。
「行くぞ……!!俺に続けぇぇぇぇ!!!!!!!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
バインディッシュがそう叫び、彼らの班全員が声を荒げながら攻撃する。
それは長年の血の滲むような訓練で培われた、寸分の狂いもない完璧な連携攻撃。命と全体重を乗せたその一撃は、鋼鉄の城門すら容易く叩き割る威力を秘めていたはずだった。
ガキィィィン!!!
だが、甲高い金属音が鳴り響いただけで、刃は竜の鱗に薄皮一枚すら傷をつけることなく、まるでガラス細工のように呆気なく砕け散った。
「…………そ、そんな……」
「ば、馬鹿な……」
「鋼だぞ……っ!」
驚愕に目を見開く彼らに、竜は絶望的な力の差を見せつけた。
無造作に薙ぎ払われた巨大な前脚が、強固な陣形も、分厚い大盾も無視して騎士たちの身体を紙切れのように吹き飛ばしていく。
「…………に……にげろぉおおお!!!」
「うぁあああああああ!!!」
「く……くるなぁぁあああああ!!!!」
ドチャッ、という人間の身体から鳴ってはいけない生々しい破裂音が連続して響き渡る。
空中に弾き飛ばされた騎士たちは、受け身を取る間もなく城壁に叩きつけられ、ある者は即死し、ある者は自らの折れた骨が臓器に刺さって血の泡を吹いた。
どれほど必死に剣を振るっても、どれほど声を枯らして立ち向かっても、文字通り手も足も出ないのだ。
目の前では、次々と聖騎士として名を上げた兵士達があの竜に食いちぎられ、生きたまま燃やされ続けていた。
「……ち……次に会ったら…………友達に…………。」
意識が鮮明に蘇る中、私はまだ現実の状況が掴めてはいなかった。私は持てる力で右手を前にゆっくりと伸ばした。それはかつての記憶、彼と“約束”を交わしたはずの動作だった。
「姫様?!良かった。意識がお戻りに?!」
その手を忠実な聖騎士であり、長年共に任務に就かせていたアインがギュッと握り返した。
「……こ……ここは……。私は……??…………どうした。」
水滴が落ちて波紋が広がるように、混濁していた思考が急速に現実の状況を理解し始める。
ガンガンと割れるように痛む頭を抱え、ぼやける視界のピントを必死に合わせる。そこに居たのは、血と煤でドロドロに汚れた見慣れた銀の鎧だった。
「…………あ、ぁ。なにが……。」
「しっかりしてください。姫!!!俺です。アイン=ゴーブレーです!!どうか目を覚ましてください!!」
かつて美しく輝いていたその鎧には、無数のひっかき傷と深い凹みが刻まれ、彼の荒い呼吸に合わせて痛々しく軋んだ音を立てていた。
私が気を失っていた長い間、彼がどれほど死に物狂いでこの化け物の前に立ち塞がり続けていたのかが、そのボロボロの姿から痛いほどに伝わってくる。
「……アイン……か。お前……その体は……。……戦況は……どう…………?」
「姫様は頭を強く打ったようです。幸い命には別状ありません。戦況は、芳しくありません。我々の力では、奴に傷を付けることはできても、ここから退かせる事は……。それに更なる被害の恐れがあります。」
「…………そんな……。私はどれだけ寝ていたんだ…………。」
私はどうやら長い間意識を失っていたようだった。
目の前では国民が懸命に命を賭して竜と戦っている。その事実に私は眩暈がするほどの恐怖が込み上げてくる。
「……はぁ……あぁ……あ………ああああぁあぁぁぁぁぁあ!!」
「姫様!!どうか落ち着いてください。」
「…………どうしたらいい。」
ガタガタと全身の震えが止まらない。王族としての矜持も、民を守るという誓いも、圧倒的な力への恐怖を前にして音を立てて崩れ去っていく。
「…………ねぇ……!!……どうしたらいいと思う?!……私、もう分かんないよ!!こんな事になるなんて…………ねぇ、アイン、教えて???私、どうしたらいいのよ!!!」
「姫……様。」
その瞬間も、兵士は、騎士は、皆目の前でぶちぶちと竜の手によって肉塊にされていた。その現実に、私のこれまで確立していた王としての仮面は破れ去った。
そんなただの子娘に成り下がった私の顔を見て、アインは息を呑んだ。
「はは……ははは…………ごめんなさい。……こんな弱い私で。本当にごめんなさい。もう私には何も考えられないの。」
「姫……。姫はどうかお休み下さい。ここより先は我々が命を賭してお守りいたします。」
「……アイン……?」
アインは私の手をゆっくりと下ろし、覚悟を決めた様子で言った。
「 あなたにお仕えできて光栄でした。 」
そう言ってアインは、私を書庫の奥へと寝かし、再び竜との戦いに向かった。
最後まで読んでいただき、
誠にありがとうございました。
今後とも、
この作品を完結まで描き続ける所存であります。
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